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農家の皆さんに感謝する半年

 はじまりは、子供を連れてとある博物館に行ったことだった。そこでは明治頃から現代にいたるまでの紡績機や織機を見ることが出来た。その日は来館者数が少なかったこともあり、コロナで本来ならさせてもらえなかったはずの、綿から糸を撚る手回し機械の実演を、係のおじさんが子供らにこっそりさせてくれたのだった。
 帰りのバスの中で子供らは綿に興味津々だった。何年か振りにメルカリのアカウントを再取得して、綿の種を買った。綿の種を売ってくれた人は、おまけとして六条大麦の種と、栽培説明書も同封してくれたのである。

 綿の種よりも大麦の種の方が植える時期が早かった。秋~初冬頃に種を植え、二月ごろに麦踏みをした。一握りだった麦の種は、こうなった。

もっさあああ

 茎は「ストローハット」と言うように、硬くて艶があって、根元と穂先近くで空洞の直径があまり変わらなくて、本当にストローのようである。プラスチックストローを紙ストローに変えることを揶揄った文章で、「もう、麦の茎をストローにしてた時代に帰ればいいじゃん」というのをどこかで見たんだけど、紙ストローと違って水を吸ってもへにょへにょにならなさそうで、十分活用できるじゃんって思った。試しにこれで飲み物を飲んでみたかったんだけれど、せっかく洗って乾かした茎の真上でガラスを割ってしまったので、なんとなく危なくて捨ててしまった。残念。

 話が逸れた。上のやつを、穂と茎以下に分けていくのだけれど、この穂から出ているツンツンが、乾燥しているせいもあってほぼ針で、刺さるとめちゃくちゃ痛い。

茎と実を分けるだけでもツンツンが指に刺さる

 ちなみに、茎や葉は細かく砕いて土壌に混ぜると良い肥料になるらしい。麦も桑もそうなんだけれど、植物って基本的に捨てるところがあまりないんだよね。うまく出来ていると思う。

 で、先ほども言った、触るだけでぶすぶす刺してくる奴をどう回避しながら粒をばらばらにするかだ。農家なら脱穀機を使うんだけど当然そんなものはない。社会科の授業で、千歯扱きの絵を見たことがある人がいると思う。あの時は「こんな原始的な装置が出来ただけで農業生産性が上がったなんて信じられない」と思っていたけど、今猛烈にあれが欲しい。穂を人力だけで粒にするのはとてつもなく大変だ。


 ネットで脱穀方法を調べてみると、とにかく滅多打ちにするしかないらしい。ネットでなんでも調べられるという先進性で、滅多打ちという原始的な方法を試すという不条理よ。

レジャーシートの上から滅多打ちにした結果。まだまだ滅多打ちが足りない。

 問題はここからである。このままではツンツンのアイツと、麦の実と、麦の実が付いていた、魚の骨のような形の軸が混在しているのだ。これ、どうやって分けるの?

絶望的な眺め。是非拡大して見て。見事なまでに混ざってるから。

 籾篩の要領でざるにあけてふるってみたりしたんだけど、麦の実のサイズに合った網の目のざるじゃないと全然意味がないのね。それにそのざるがあったとしてもおっそろしく非効率的かつ根気がいるし。またまたネットのお世話になると、扇風機の風を当てると、比較的軽いツンツンなどのゴミが飛ばされ、実だけが残るとあった。風選というらしい。
 早速延長コードを庭先に引っ張りだしてきて風を当ててみるが、まず扇風機の風量が足りない。延長コードが短いこともあって、風があまり当たらないのだ。どうにか角度を調整していき、なんとかゴミを飛ばすことに成功したが、今度は実まで飛んでいく。どういうことなのと思うが、この時点でこれまでの作業で手には細かな刺し傷が無数に発生し、しゃがんだ姿勢での作業で腰もかなり痛くなってきていて、なんとか扇風機の力を借り切りたいところだった。「飛んだのは、元々ちゃんと育っていなかった麦の実なのだ」と思うことにする。

 と、なんとなくゴミっぽい部分と麦の実っぽい部分が分かれてきたところで、強烈な向かい風(自然風)!!!
 レジャーシートはあっけなく舞い上がり、せっかく分けられたゴミが逆流して、麦の実の山に再び混入するわ、私のシャツに入り込むわ、家の中に入り込むわ、散々な有り様に……。またこの日は風が強くて、シートに重しを載せていたのに、ゴミが何度かぶわっと逆流した。私は全身麦のツンツンまみれである。悲惨。

 そんなこんなでなんとか麦の実っぽいところをより分けた図。しかし、ネット越しにもまだまだかなりの量のゴミが混入しているのがお分かりいただけるだろうか……。これを二週間陰干しをする。干している間、時々振るってゴミを落とそうとしてみるなどする。

まだまだ先が思いやられる。もう少し取り除けば良かったのだが耐え兼ねて見切り発車である。

 二週間経ったら、水に漬けて浮いて来た実やごみを取り分ける。水を入れるとかなりの量の実とゴミが浮き上がってきた。明らかにゴミなのに、まだ沈んでいるものもいるので、沈んだものを何度かかき回して、更に浮いたものを取り除く作業をする。

麦がゴミのようだ! いや本当にゴミだ!

 元々は、綿の花を育てて収穫して、娘と、羊毛フェルトならぬ、綿フェルト人形作りでもしよっかなーというほわほわなところからスタートした今回の取り組みだったのに、綿のついでで育て始めた大麦で、思わぬ重労働なんじゃが?

 一度水に浸したので、乾燥させるためにもう一度干す。干してみると最初のゴミだらけの麦の実より綺麗になっているのがはっきり分かる。ダメな実は黒かったり、中に実が入ってなくてクズっぽかったりしていたのだ。

当社比でずいぶん清潔な見た目になった


 ここまで来て、やっと焙煎である。乾いた実を野菜干しネットから出すと、まだ麦の実がついてた軸部分が見られる。本当はもう一、二度くらい水に浮かせてダメな奴を取り除く作業をすべきだったのかもしれない。

煎り始め。まだまだ白っぽい

 中火で煎りつづけると、次第に香ばしい香りが立ち込め、たまにぱちぱちと実が爆ぜる。十分ほど煎れば良いということだったが、フライパンに入れた量が多過ぎるのか、なかなかそれっぽい色にならない。煎りすぎは苦くなるらしいけど、明らかに生(?)っぽいのも使うのに気が引ける。だってもともとゴミがめちゃくちゃ混じったああいう代物だったんだし。

爆ぜた大麦はポップコーンみたいな香り

 ちなみに、麦の歴史は麦角菌との闘いの歴史でもあるらしい。今回麦角菌のことをはじめて知ったのだけれど、麦角菌に汚染された麦を食べると大変なことになる。麦角菌は、先に桑の実の記事で述べた菌核病同様、麦に寄生した後土壌に落ちて冬を越し、春に子実体を出し、麦に寄生するというサイクルを経る。畜産をやっているところでは、麦角菌に汚染されているかもしれないことをおそれて、麦類だけはサイロに混入しないよう、細心の注意を払うのだとか。

 中世では麦角症を聖アントニウスの火と呼び習わした。聖アントニウスの廟にお参りに行くと病気が良くなるということだったが、それは奇跡が起こったのではなく、巡礼のために元の土地を離れることで、汚染された小麦を食べなくなったからだろうと言われている。

 大麦にも麦角菌が寄生することがあるのだが、麦角菌に寄生された麦は「悪魔の黒い爪」と形容されるような、明らかに異なる形状を呈するらしい。黒っぽい実はあったけれど明らかにヤバい見た目のものはなかったし、怪しいヤツは水に浮かせた時点で取り除けたはず。まあ、もしこの麦茶を飲んで幻覚が見えたり手足が熱くなったりしたら飲むのをやめようじゃないか。そんなことでいいんか。

どこまで煎れば正解か分からない

 とりあえず↑の写真の状態で、煎り工程完成ということにする。売っている麦茶のようにならないのは殻付きだからで、殻をむくとちゃんと赤茶色に煎られているみたいだった。

 いよいよ煮出し! 今朝淹れた麦茶がこちら。

色が……

 そう、家で作る麦茶は色があまり出ない。しかし、試しに飲んでみると素晴らしい香ばしさと、じんわりとした、かなり強い甘みが感じられる。自作麦茶は一日で飲み切るのがよいそうなんだけど、これならすぐ消費できそう。

 麦農家……に限らず、農家への感謝をするとともに、農業技術の発展に麦茶で乾杯したい。


【追記】
 やっぱり朝のは浅煎りだったようで、もう少し煎ってみた。浅煎りだと甘みが強く、深煎りするほど香ばしさが強まるんだそうで。ビールのもとの麦汁はとても甘いと言うし、今朝飲んだ麦茶を甘く感じたのは道理だった。好みで煎り具合を調整できるのが自家焙煎麦茶のよいところということで。

当然だが、煎るのも根気が要る。


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