葬式おもしろかった

不謹慎にならない言い方を探そうとしたけどあきらめた。funnyじゃなくてinterestingのほうです。

物心ついて初めて葬式に行った。東京のじいちゃんの葬式。東京のじいちゃんは父方のほうで、生前ほぼ会うこともなかったので思い出も少ないが、きて欲しいと親が言うので行くことにした。

お葬式というのは、映画やドラマで、めちゃくちゃ悲劇の装置として登場する。遺族の心を表すごとく、よく、雨が降っていたりする。

東京のじいちゃんは、92で死んだ。とっくに前から、口から物を食べられなくなっていて、お腹のチューブから栄養を注入されている状況だった。大往生である。なので訃報に際しても「そんなバカな、、!」みたいな気持ちではなく、お疲れ様、よくやったね。という感じの気持ちが勝った。

ただ、実際に会場に足を踏み入れると、棺の中のじいちゃんの顔を見るのに抵抗があった。死んでいますという顔の人を、生きている自分が見る状況が「変」すぎて、生きていることと死んでいることのコントラストが強すぎて、耐えられるか不安だった。

そんな自分を見透かすように、父が、「よく顔見てやって。」と言った。この野郎、と思いながら横目でチラリ、チラリ、と見る。最後に会った時の恰幅のいいイメージとはずいぶん違って、小さくなったじいちゃんの顔は、あまりに変貌していて、死というものの説得力を放っていた。この時が、恐怖のピークだった。

死そのものは、いたって一瞬の出来事だ。生きてた人が、ある瞬間に、息が止まる。以上。
なのだが、葬式という儀式によって、人々はその死の時間軸をうんと引き伸ばし、故人への感情に区切りをつけるための時間を用意する。その営みは、とてもアンナチュラル(反自然的?)で、ゆえにいかにも「感情」をもつ種である人間らしくて、変で、面白いと思った。

そして、棺にあいさつをしおわると、火葬場へ運ばれてゆく。もうとっくに命がなくなっているじいちゃんが、燃やされることで、姿形ごとこの世から消え去る。それは当たり前のことなのだが、生きている時には高額で栄養チューブを与えて守ってきたものが、息が止まるとたんに燃やしてよいモノになる不思議に、感情的な説明はつかなかった。

そして、じいちゃんが燃えている間、集まった親族は別室に案内され、昼ごはんの時間になる。なんと合理的なタイムスケジュールだろう、と少し引いている自分がいた。
かたや、灼熱の炎のなかで燃えているじいちゃんと、かたや、明日も生きていくための食事をしている我々に、またもや強烈な生死のコントラストを感じ、シニカルな舞台演劇を見ているような気分になった。

しかも、食事会場の隅にはじいちゃんの遺影が飾ってあり、その前にはじいちゃんの分の食事まで置いてあった。
ここまでくるとなんだか、さすがにコメディなんじゃないかとすら思えてくる。そこに、彼はいません。と、どこかのヒットソングみたいな気分になった。

食事中は、故人について思い出すためのエピソードを語りあう、という流れになっており、各自が思い思いの心境をスピーチしていた。その皮切りを務めたのが父だったが、いつものようにペラペラと、芝居がかったクサいスピーチをしはじめた。

…彼の妻、〇〇さんが地元へ帰ったまさにその日、彼は息を引き取りました。彼は、頑張ってその日まで生きていたのだと思います。そして、妻を見届けた後に、安心して行ったのだと思います。
…彼の人生の大部分は、暗いものでした。そこに後半、光を与えてくれたのが、後妻の〇〇さんです。

このような調子で、父の「感動的な」スピーチはとうとうと続いた。それを聴きながら、なぜか私は心に違和感があったのだが、帰宅してから冷静に振り返ると、それはあまりに父の主観・妄想に埋め尽くされた語りであったからだ、と気付き、納得した。

じいちゃんの人生が、妻を得るまで暗かっただとか、妻を見届けて死んだのだとか、そんなのは父の感想、妄想、希望的観測であって、必ずしもじいちゃんの人生や人格を正確に表さない。ロマンチックに、葬式会場にムードを出すために、あれこれ考えたスピーチだったと思うけれど、私の心は白けていた。

父に続いて、ずっと寡黙を貫いていた父の兄が、僕もエピソードを1ついいですか。と名乗り出た。
父の兄は、とても寡黙な人で、目立たない人だったので、おお、と場がどよめいた。

父の兄は、ボソボソと語り出した。

ある日…〇〇さん(じいちゃんの妻)から電話がきたんです。とると、〇〇さんは、シャンソンを歌い出して。
〇〇さんと父が、毎日電話で歌いあっていた、シャンソンでした。それは僕への、間違い電話だったんですね。

そういって、兄の父は、恥ずかしそうに少し笑った。このとき、会場の誰もが、ふっと微笑むと同時に、泣きそうになった。

じいちゃんには、人生で2人の妻がいて、父と父の兄を産んだ妻は、とても早くに亡くなっている。それからしばらくして、やってきたのが終生の妻となったその人で、父や父の兄は、その人を母、ではなく、〇〇さん、と名前で呼んでいる。
じいちゃんと〇〇さんの2人は芸術を愛し、画廊を営んでいた。じいちゃんが入院するようになると、2人は毎日電話をするようになり、その電話口で、お互いに、シャンソンを歌い聞かせていたのだという。なんと洒落た老人たちでしょうね、と、生前からみんな感心していたエピソードだったが、それが間違い電話としてかかってきた、というエピソードは、あまりにも、その彼らの私的で独特な営みが「存在していた」ことの証で、その真っ直ぐで照れのない愛、のようなものの存在感と人間くささに、聴衆は何かしら胸を打たれるものがあったのではないかと思う。死ぬとはつまり、その限りなく私的で独特な営みが、この世からついに消えると言うことを意味するのだ。

父の兄のエピソードは、至って短く、そしてボソボソと語られたが、その場の誰の語りよりも真実味を帯びていて、強烈に私の胸を打った。

父の兄は、棺にお別れをする最後のときも、突然、

親父、ありがとな。もうこれからは安心していいから。俺に任せていいから。

と、自分にしか聞こえないような声量で言いながら棺の蓋を閉じていたのだが、この時の言葉の説得力に、私はその日初めての涙を流してしまった。

こんなに「ウソじゃない言葉」が、この世にはどれほどあるだろう、と思い、その美しさにただ泣けたのだ。


父は、自らの兄のことをよく、軽蔑するように幼い私に語って聞かせた。あいつはエゴイストで、何を考えてるかわからない、人間らしくないやつだ。と。

けれど、葬式での彼の振る舞いを見て、私は、彼のことをよく知らないけれど、父が語るイメージは彼のごく断片的な一面に過ぎないのだろうと感じた。口が達者で目立ちたがり屋の父には、つまらなく、よくわからない人間に見えていた兄だったのだろうが、私からすれば、彼はよほど正確にじいちゃんの事実を捉えていただろうと思った。誇張もしないが、卑下もせず、ただ事実を等身大に受け止めていた兄は、派手好きの父にはいささか退屈に見えたことだろう。

そういう父の「盛りたがる」性格、「夢を見たがる」性格が、どれほどの弊害をももたらすのか、私はいやというほど知っている。もちろん、ある場面ではとても有利に、効果を示すのだということも。

食事がちょうど終わる頃、館内放送が流れ、火葬が終了したと知らされる。

約40分ほどだっただろうか。
私たちが昼飯を平らげる時間で、じいちゃんは燃え切った。

火葬場には、ちんまりとした白い骨の塊が置いてあり、これをスタッフが、
ここが、喉仏です。
ここが、左頬です。
ここが、頭蓋骨です。
と説明しながら、大事そうに、1ピースずつ菜箸で骨壺に収めていった。

それはさながら、高級レストランで、こちら〇〇牛の肩ロースでございます。などと丁重に解説されながら振る舞われる食事のようだった。

じいちゃんは、ただの白いカルシウムになってもなお、丁重に、部位を確認されながら、そして親族一同に見つめられながら、1ピースずつ壺に入っていった。もはやヒトとは認識できなくなったその塊を、神妙そうに囲む大の大人たちの構図がおかしかった。

骨の塊になってみれば、人生はなんて儚いものなんだろうと思った。
それと同時に、猛烈に安心している自分がいた。

死んだ後は、確実に、全てが終わる。
それを初めて、「目視」した。

だれかを傷つける口も、誰かとケンカをする体も消えて、どうがんばっても誰かの部屋をちょっと汚す白い粉程度の存在になれる。それが、死。

それは私にとって、とてつもない救済に思えた。
何もわからなくなっても、死んでしまっても、魂が残るとか、誰かに影響を与え続けるとか、そんなのは重荷すぎて嫌だと、ずっと思っていた。

じいちゃんも、生前は頑固な性格で周りを困らせていたりもした。
本人も、周囲も、それがいま終わった。
白い粉になることで全てが、終わることができるのだと。それが私がこの先を生きていく勇気になる気がした。


正直、行くまではなんだか怖くて、重かった葬式のイメージが変わった。

ひとは死ぬが、それ自体は一瞬の出来事だ。
その体験を引き伸ばそうとする人がいて、葬式をしてもらえるとは、ひとりの人間としてなんと幸せなことなんだろう。それが、式の最後に心に抱いた1番の感想だった。

会うことも少なく、多くのことを知らなかったけれど、じいちゃんは、幸せな人だったことだろう。