クラゲ・ラングレー

二度と再び、地球に生まれてこないことを心底望む人 「知識は使うもので使われるものではな…

クラゲ・ラングレー

二度と再び、地球に生まれてこないことを心底望む人 「知識は使うもので使われるものではない」が信条 何物にも属したくない自由人 みずがめ座の時代なのに理解されないみずがめ座(大笑) 私の水瓶には毒が混入されているが微量であるため、薬にもなる(らしい)

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ワーク①(メイン) -自己開放と思考を黙らせる方法-

このブログでは、2つのワークを用意してある。 両方とも実に簡単で、どこでもできる。 小難しいイメージ法や呼吸法、ヨガのような場所を必要とする特殊な体位などもない。 行う前に能書き、解説はなるべく聞いてほしい。 ある薬にどんな効能があるか? それを知らずに服用するのとしないのでは効果が変わってくる。 もちろん、ここで紹介するワークはプラセボ効果を利用したものではない。 筋トレと同じ、やればやるほど効果が出る。 2つとも鍵は”自己開放”である。 ワーク① 後頭部、もしくは背

    • 反対の価値観でバランスを取る、というやり方は大抵失敗する

      ある価値観が世間でまかり通ってる場合に、それとは反対の価値観によって 均衡を保とうとする働きが生まれることが多々ある。 例えば「結婚」。 「結婚は当然するべき」「して当たり前」という価値が横行しているならば、それに対し 「結婚は人生の墓場」「子供や家庭だけが人生ではない」 などと反対の価値が浮上してくる。 天秤の片方の皿に重りを乗せれば、反対の皿が浮上する、ということだ。 いかにも二元性にまみれた人間社会の特徴と言える。 それが「結婚」のような形式的なものなら、それ

      • ワーク②(サブ) ➖心の安定と第6チャクラとのバランス➖

        このワークは意外と重要である。 私が提供しているワークを行うと、人によっては頭部にエネルギーが集中してしまう。現代人は第6チャクラが活性していることが多く、チャクラのバランスを取らないとノイローゼのようになりやすい。 禅では「頭ではなく腹で考えろ」などと言われるし、頭寒足熱という言葉もあるとおり、頭だけに偏るとろくな事がない。 また、メインのワークを行っている人は、ある時期から効果が進まなくなると思う。そういう人はこの仙骨のワークを行うことを推奨する。 チャクラ チャク

        • 高次生命体(仮)が人間に介入する理由を考察

          この記事で扱う高次生命体(仮)とは主にバシャールのことを指す。 (仮)と付けたのは高次や低次の基準が曖昧だから。 個人的には異次元生命体という名が一番適していると思う。 (詳細は別記事「〇〇信者から自由人へ」を参照のこと) さて、彼らはなにゆえ、人間に介入してくるのだろうか? 人間愛があるとはとてもじゃないが私には思えない。 個人的には、彼の言葉の端々から感じることは、私達人間が虫とか実験動物、細菌などに対して感じるものと似ている気がする。 つまり、もっとドライな理由があ

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        ワーク①(メイン) -自己開放と思考を黙らせる方法-

          〇〇信者から自由人へ

          ”信じる”ってそんなに大切? もちろん? ただし、何を信じるか、という条件がある。 自分を信じる、ことは生きるうえでかなりのウエイトを占める。 だが、それ以外の何か、とくに思想とか誰かの言ったこととかを信じることには問題がある。 人が誰かの思想を信じるとき、それは自分自身ではなく、その思想そのものを信じている。思想とは言葉の集合体、そして意味。それらが、自分の本質そのものではない、ということに気づいているだろうか? ずっと言い続けているように、自我(エゴ)とは思考であり、

          〇〇信者から自由人へ

          エゴイスト、かく語りき

          まず、始める前に、 かくいう私自身がとてつもなくエゴイストだった、という事実を頭に入れて置いて欲しい。それと欲望は悪ではない、ということも。 別の記事とかぶる点があるが、今後の地球、人間社会にも影響があることなので、ぜひとも耳を傾けて欲しい。 ”エゴ”は再三言ってるように自我のことであり、自我は思考で出来上がっている。それに対して”本質”とは、その人の”実体”を指す。わかりやすければ”魂”でもいいと思う。その素材は「この世界を無限に満たすモノ」で構成されている。 両者は

          エゴイスト、かく語りき

          本質に至る鍵は”内なる子供”が握っている

          子供・・・それは人の一生を左右するほどの影響力を持つ。 なぜなら”子供時代”は誰もが必ず通る道だから。 大人になって社会に出る前段階であり、準備段階であるから。 親ガチャなんて言葉があるくらいだから、そのことはみんなも重々承知のはず。世間では、人の一生は、どこに生まれたかで決まるらしい。どの親に生まれてきたかで。 だが、今回のテーマはそこではない。 -内なる子供- ”子供時代”は人の自我が形成されるうえで、そのベースとなるとても重要な素材だ。 だから大抵の犯罪者は子供時

          本質に至る鍵は”内なる子供”が握っている

          ”統合”という厄介な現象

          人々の変容を妨げる厄介な現象に”統合”というものがある。 この一般的には聞こえの良い現象・・・ 聞こえが良いということは、肯定的な意味で使われることが多いのだが 実はいろいろな弊害がある。今回はこの”統合”の何が厄介なのかを話そうと思う。 まず、統合という現象が、前提として”分離”ありきのものである、 ということを心に留めてほしい。統合が必要なのは、もともと分離をしているから、である。分離などしていなければ、統合も必要ない。 あくまで統合とは分離あっての現象であり、した

          ”統合”という厄介な現象

          生きていく上で、決してしないほうがいいこと

          人が生きていく上で、決してしないほうがいいことがある。 それは”拒絶”。 拒絶は日常茶飯事行われており、当たり前のように人がする行為だが、 実はかなり危険である。 人は嫌いな奴やモノ、非人道的な行為を行う者に非常な不快感を感じる。たいてい、それを目の当たりにすると、その者に対し、拒絶をしてしまう。 だが、この拒絶は結局のところ”自己拒絶”につながっていく。他人や社会、不快な行為、もしくは観念に至るまで、何を拒絶しても最後、それは自分を拒絶するに至る。 あなたはこういう

          生きていく上で、決してしないほうがいいこと

          自分以外のものになろうとすると・・・【毒舌注意!】

          地球に転生しない条件を模索すると、結局、”執着を残さない”ことが一番の 近道であるとことに行き着く。 そのためには「自分の人生をちゃんと生きる」ことが最良である。 まず、執着を断つ、ことと人生をちゃんと生きる、ことは同義である。 ただし、ちゃんと生きる、ということは、エゴの欲望を追求することではない。あなた自身の持って生まれた本質的な願望を追求することである。 この本質的な願望、いわゆる「魂の衝動」と後天的に「エゴに芽生えた欲望」は質が全く違う。この後天的なエゴの欲望を求め

          自分以外のものになろうとすると・・・【毒舌注意!】

          願望が実現しにくい理由は

          願望が実現しにくい理由・・・ 答えから言うと、 それは、あなたがあなた自身ではないから、である。 あなたが自分だと思ってるものは、思考であり、あなた自身ではない。 思考は常に願望を未来へ投げかけ、時間を作る。 何事も何かを成就するには確かに、この世界では時間がかかる。 だから、何日後、何ヶ月後、何年後、という風に未来に実現を投影する。 思考で形作られる”自我”は、分離をもたらすので、常に過去か未来に居座っている。 過去を思い返して嫌な思いをしたり、淡い思い出の中に浸った

          願望が実現しにくい理由は

          一人で生きたい人への提言と賛歌

          世の中には二種類のタイプの人間がいる。 犬タイプと猫タイプだ。 面白いのは、猫タイプが必ずしもネコ好きだとは限らないこと。 それは、犬タイプにも同じことが言える。 このテーマを読んでいるあなたはおそらく単独行動が好き、 一人でいるのが好きな猫タイプの人だろう。 だから、猫タイプを主体に話を進めていく。 -猫タイプ- 猫タイプなのに犬のような生き方を強いられたり、自分で 強いてしまっている状態だと、とてもキツイ人生となるだろう。 猫は集団行動や縦社会、ガチガチのルールの

          一人で生きたい人への提言と賛歌

          「許す」のは難しくない

          「許す」という行為。 たしかに美しい行いだと思う。 たしかに高潔な精神だと思う。 頭ではそれがわかる。 だが実際のところ、あなたは”憎いアイツ”を許せるだろうか? あの許しがたい恥辱をあなたに与えたアイツを。 耐え難い苦痛をあなたに与えたアイツを。 自分の最も大切なモノを奪ったアイツを。 もし「許せる」と言うなら、もうこの先、話を聞く必要はないと思う。 しかし、ほとんどの人は「許せない」を選択したはず。 私がこんな話をし始めたせいで、昔の出来事を思い出し、まさに今ここで

          「許す」のは難しくない

          「他人への考慮」不要論

          他人を考慮することは、一般的に、社会で人と関わって生きていく以上、当然するべき必要な行為であるかのように思われている。 今回は、この行為が不必要で無駄なエネルギーの浪費でしかないことを語る。 まず、人の想像力はどこまで行っても個人の主観にとどまる、と言う話から。これは、文字通り「どこまで行っても」である。 一度でも、主観や客観について思いを巡らしてみた事がある人はわかると思う。「世界」という言葉をある人が使うとき、それはどこまでいっても「その人の世界である」という事実。

          「他人への考慮」不要論

          シークエンスはやともさんのYoutube動画「踏み入れただけで必ず体調を崩してしまう都道府県がある」という話についての私の見解。

          今回は気になった動画があったので、 それについて少し話してみようと思う。 それは、シークエンスはやともさんのYoutube動画で 「踏み入れただけで必ず体調を崩してしまう都道府県がある」という話。 見てない人は、先にはやともさんの動画を見てもいいと思う。 一年前の動画なので、もう語り尽くされてるかもしれないけど。 まず、はやともさんの動画を簡単に説明します。 ネタバレしないようにね。 彼はとある県に入ると具合が悪くなるらしく、新幹線や車などの乗り物での通過中にもなるらし

          シークエンスはやともさんのYoutube動画「踏み入れただけで必ず体調を崩してしまう都道府県がある」という話についての私の見解。

          非常にモヤモヤする地球生活の意義

          地球にうんざりした人達、こんにちわ。 今日も空しい一日が終わりました(棒読み) ソロモン王曰く 「空の空、空の空なるかな、すべて空なり。日の下で働くことの何の意味かあらん」 これは聖書の言葉。 すべてを手にしたソロモン王もこのありさまである。 一方、東の国では、 「世の中は、食うて稼いで寝て起きて、その後は死ぬるばかり・・・」 こちらは、我が国の禅僧、一休の有名な歌。 もはや説明不要。 西も東も、人間が思うことは皆同じ。 誰も彼もが、うんざり警報、絶賛発令中である。

          非常にモヤモヤする地球生活の意義