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なでしこの指先、薔薇のくちびる、そして朝焼け

父の誕生日

母は毎年ケーキを焼く

イチゴのショートケーキ
季節のくだもののタルト
生クリームで飾ったチーズケーキ

甘い物が苦手だった父は
いつも苦笑しながら
自分で酒の支度をして
これもテーブルいっぱいに
広げられた父の好物を肴に
僕がケーキを頬張るのを見ていた

父の誕生日

僕は買っておいた
スマホを君に渡した

学校では持つことを
禁止されているんです

君との待ち合わせは
さびたブランコのある
誰からも忘れられた公園

学校帰りの君は
伸びてきた髪を
短い三つ編みにして
肩にたらしていた

僕が君にあげたいんだ

君は困惑したように
袋の中の箱を開ける

僕の選んだなでしこ色は
君は気に入ってくれるだろうか

君は真珠を含んで輝いた
なでしこ色のスマホに
細い指でそっと触れる

きれい

君ははにかんだように言う

子供の頃
おとうさんが
こんな色のスカートを
買ってきてくれた
ことがありました

最近見せなくなっていた
ガラスの瞳でひととき
君は朽ちそうなブランコを
ぼんやり見ていた

いつでも連絡してきて
君の好きなとき
どんなことだっていい

僕の言葉に曖昧にうなずく

君と離れがたくなっていく
傾斜する坂を転がるような
思いをどうにか自制して
僕は君と別れた

家に帰ると
母が台所から飛び出してきた

父が死んだ日から
黒の服しか着なかった母が
ピンク色のワンピースで身を包み
僕を迎えた

お帰りなさい
遅かったわね

昔通りの笑顔に
ほっとするより
狼狽した

大仰に用意された食事と
真ん中の巨大なケーキに
僕は背筋が寒くなる

取り皿は、3枚

ワインにする?
まだ暑いからビールがいいかしら

母のピンク色のワンピースが
なぜか吐き気を誘った

今日はあなたの誕生日ですものね

予感していたことが
あっさり目の前に転がった

君のなでしこ色の
くちびると爪先を
僕は思い出す

母を刺激しないよう
僕は口元だけで微笑む

ーー病院を探そう

ワインを飲みながら
僕は決意した

母のような症例を
調べていった

もっと早くに探すべきだった

父を思い
憔悴して
痩せて
眠れずいる母を
裁判や仕事を言い訳に
放っておいたことを悔やんだ

やっと眠りについたのは
日付が変わろうとする時間

母がつけていたローズの口紅
君がはにかんで手に持ったスマホ

頭をぐるぐるしながら
僕は眠りに落ちていった

やわらかな感触がからだを包む

花の匂いにふと
君を思い出し
僕は幸福に目を覚ました

見慣れた僕の暗い部屋

僕の隣に
母がいた

かあさん

また悪夢にうなされて
やってきたのだろう

サイドテーブルに
手を伸ばし灯りをつけた

母は笑っていた
見たこともない笑顔
僕を見つめているに
僕を見ていない瞳

化粧を直し
父の贈った
香水だけ
身につけて
母は僕の隣にいた

かあさん

乾いた声がしぼり出される

かあさん

僕の声が聞こえないのか
母は僕に口づけた

そうして
僕のパジャマ越しに
上から下に降りていく
生温い手

僕は母を突き飛ばし
部屋を、家を飛び出した

車で逃げるように
あてもなく走り続ける

海辺の公園の
駐車場にやっと
止まったとき
空は白みはじめていた

飲み物でも買おうと
無意識で持ち出していた
スマホを手にした

何十回もある
着信履歴と
LINEに隠れて
君からのメッセージが
届いていた

遅くにごめんなさい
誕生日プレゼント
とてもうれしかったです

日付が変わる頃
送られていた
メッセージ

君の細いからだは
まだ固いのだろうか

なでしこ色に染まってくる
空を見つめながら自嘲する

父の誕生日

僕は君を
想いながら
涙を流した

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