恐ろしさを制御できない



どうも、とくもりです。


先日、車を運転していて、一車線の交通量の少ない自動車専用道路を通っているときに、2〜4kmほどある長めのトンネルを連続して通過した際の話なのですが、

ほんとうに、気が狂いそうになった。

というだけの話、。


自動車専用道路に入り、3つ目のトンネルまでは何事もなく通過。


4つ目のトンネルの途中から、

「あ、トンネルの中にいるわ」

と自覚したらもう手遅れ。パニックが起こり、自分が保てなくなりそうになる。たまらなく恐ろしい。

車内で流していたラジオを止め、大好きなtoconomaの"N°9"を流すもその恐ろしさは晴れず、ゲスの極み乙女の"猟奇的なキスを私にして"を熱唱しても得られるのは束の間の安寧。すぐさま恐ろしさが舞い降りてくる。

深呼吸をしつつ、何が恐ろしいのかを言葉にしようと試みる。

出口が見えないから?
トンネル内の空気が身体に合わないから?
自分の車が遅くて後続に迷惑だから?
対向車とぶつかったら?
山の中にあるトンネルという構造物に納得できないから?
後戻りができないから?
トンネルはいつ終わるの?


、、いや、そんな理由はどうでもよく、たまらなく恐ろしいのである。その恐ろしさには理由付けができなくて、それがさらに恐ろしさを加速させる。


その後は、なんとかトンネルを抜け、自動車専用道路を降りて、山道の寂れた一般道をとぼとぼ走り始めて事なきを得た。


自分はもともとそういう類の状況を恐ろしいと感じてしまう。


歩道橋を渡ろうとすれば足がすくみ足が前に出ず、ジェットコースターは楽しさが1mmもなくただの恐怖で、飛行機に乗れば恋人の手を握りしめていなければ正気が保てない。


この恐ろしさを制御したいとか無くしたいとかいう願望があるかと言われればそうでもなく、トンネルや歩道橋やジェットコースターや飛行機は、元来ヒトがそこにいるはずの空間ではなかったわけで、自分がその空間にいることには大なり違和感がある。

ので、気が狂いそうになる自分を慰めることはできる。

「うんうん、ここは人間が地球に負荷をかけて無理に人間が存在できる空間にしただけだから、ヒトが存在する空間としてそもそもおかしくて、気が狂うのも訳ないよ。」って。

しかし、気が狂いそうになっているその瞬間は非常に緊迫した精神状況で、どうすることもできない。


それが解消するのは、前に進み、その状況が終わったとき、ただそれだけだから。


この、前に進むしかない、という強要感、時間しか解決法がない、という切迫感がなおさら自分を恐怖で押し潰す。


そういう意味では、この生、今自分が全うしている命も同じようなものなのかもしれない。

時間が経過することで前に進むことを強要され、毎日があり、毎晩がある。それはとても恐ろしいことともいえる。

自分がそう感じているかどうかは自分でもよく分からない。


なんせ、自分はその永続性のようなものに恐怖を感じ、気を狂わせてしまうのだから、永続性に晒され続けられたこの生は、既に狂い切っているのかもしれない。


生に恐怖を結びつけることを断言できないのは、狂い切っている気は恐怖を感じないのかもしれない。


あのトンネルも、100kmほどの長さがあれば、恐ろしさは無に変わるだろうか。


生、それすなわち虚無である、と感じる日々の中で、その思考を持っていてさえも訪れる恐ろしさに、我ながら驚きを隠せない。

自己を律することがいかに難しいかがよくわかる気がする。



なにはともあれ、やはりできるだけトンネルに入るのは控えよう。それはとても恐ろしいから。

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