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へっぽこお遍路日記42「だから彼女がそう恥ずかしげもなく僕にストレートに言ってくれたとき。あ、仲間がここにいた、と思いました。」



1月2日
歩いた距離25km
まわったお寺:54、55、56番札所


お遍路の旅では、お寺におまいりするたびに願いごとをしている。
お遍路さんにによって、それが家族の供養だったり、自分の病気が良くなることだったり、苦しみから解放されることであったり、はたまた想像もできない願いごともあるだろう。
僕が願うことはいつもこうだ。

「家族や仲間友人が元気で笑顔でありますように。今日もいいご縁に恵まれますように。」

本堂・大師堂でお経を読み終えると、いつもこうお願いごとをしている。

今日はご縁が爆発してたなぁと思う。

遍路道を歩いていると前に車が停まった。こういうときには期待しないようにしているんだけれど(たいてい携帯電話に出てはるとかで僕には全く関係ない。こういうときにもしかして!とか思って勝手に自分でがっかりする。)そのお姉さんは僕を目がけて歩いてきた。
ちなみに顔にも雰囲気にも車にも全く覚えがない。

あの?お友だちでしたっけ?

「いいえはじめましてです」

どうもー!誰かのお知りあいですか?

「いえそういうわけでもないんですが。たまたまFacebookで見つけたんです」

おもろいなぁこういうの。たいていこういうときって「たまたま見かけたんです。」というのもあるだろうけど、これを書きながら実はめちゃんこ探してくれたのかもしれないとも思ったりする。なんにせよありがとうございます。


昨日もね差し入れを持ってきてくださったかたがいらっしゃったんだけれど、僕はよう「珈琲飲みますか?」って聞くことができんかったの。昨日はとにかくしんどくて、そして自分が到着したいところまで辿り着くために、なんとかがんばらないと、と思っていたから。そこを反省していたのです。だから今日は考えずにこう聞くことができました。

「いいんですか?いただきます!」

よかった。迷うことなく、はい、と言ってくださった。

海のそばの公園にある芝生のところで珈琲を点てさせていただく。風が少しでも弱ところでと思って階段をおりたところにしたんだけれど、ちょうど水際に生えている草から綿毛が飛んできて、それは粉雪みたいできれいだった。

「私もねお遍路を歩いたことがあるんです。」

8年前に彼女はお遍路を歩いたのだそうだ。それも全部野宿で。若い女性ではさすがに僕も聞いたことがなかったからびっくり。わーお。そして、そのあと千葉から四国に移住されたそうだ。遍路がきっかけで。

「みんなが助けあって認め合うことができる社会を四国なら実現できるんじゃないかと思って」

ごめんなさい。言葉は違ったかもしれないけれど、彼女はこう言ったのだ。

いまこれ読んで「何をきれいごとぬかしとんねん」と思った人!


だいじょうぶ!安心してください!僕も同じこと思ってますから!笑


だから生き方の実験してますし、フリーコーヒーやってますし、いまは珈琲とともに遍路を歩いています。すべてはカタチを生み出すことから。そこからしか見えません。ほんとの世界は。


恥ずかしげもなく言いますよ。僕はきれいごとを信じたいんです。

けどただ信じたいわけじゃない。つくりたい。だから行動しています。

だから彼女がそう恥ずかしげもなく僕にストレートに言ってくれたとき、僕は嬉しかったです。あ、仲間がここにいた、と思いました。

だからって連絡先を交換したわけでもなく。

いつでも連絡くださいね、とだけ言いました。


彼女は福祉のお仕事をされているとおっしゃっていました。そこから先は聞いていません。話してくださることを受けとめたらそれでいいのです。

1時間半は使ったかな。だからそこから一生懸命歩き続けました。そして自分が行きたいと思っていたお寺までギリギリ辿り着くことができました。全部よかった。


遍路数日目で見かけためちゃんこデジタル機器持ってはる遍路お兄さんも見かけました。僕よりとおの先にいると思っていたから嬉しかった。少し影のあるおばさまともお話ししました。よく見かけるようになった木でできた遍路道と書かれた札を、下げてまわっているおじさんにも出会いひとつお守りとしていただきました。

10人ぐらい引き連れた、きっとえらい人なのかなおばさまとも話しました。僕の遍路のことをいくつか聞かれて、僕がどちらから?と聞いたらおばさまはお供とともに歩いて去っていかれました。夕食の買い出しをコンビニでしていると(栄養がとかどうか思わないでね。僕もギリギリのなかで自分で選択していますからね。あ、けどこういうことを予防線みたいに書くから、自分がそう思ってコメントとかで書かれたりメッセージ送ってこられることにやだなーと感じてるんだなぁということが今分かった!)

お店に入ってきたおばさまが、あれ?出られたな?欲しいものなかったのかな?と思って僕が買いものを終えて出ると「これどうぞ」と外国のチョコレートをくださった。きっとお土産か自分のために買われたものだろうに。ほんまにありがとうございます。

すべてがタイミングなんです。きっと数秒違っただけで起こってないこともあると思うの。
そして僕がお寺で願っていることが、カタチになっとるよね。有り難いことです。

いつのまにかね、旅を終えるときのことを考えはじめてるの。
はじめたころにはこの旅を歩ききって終えることなんてできるのだろうかと思っていたのにね。

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