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「迷惑にならない」を考えた行動の先に「幸せ」はあるのか。

西川自由珈琲店の日々。
いつもは朝浮かぶことをSNSで書いてパッと投稿するのですが、そのまま流れていってしまうよりも思い出としてとっておこうと思いnoteに綴っていくことにしましょう。


今朝もやってきたばあちゃん。最近はガリガリするのが定番になってきたので、今日は唐突に「じゃあドリップお願いします」と言ってみた。

あれまー!と言いながらも、ばあちゃんがドリップする手元をジーっと見つめていたことは僕も知ってる。ばあちゃんの前にお湯を注いだポットを置くと、ばあちゃんドリップしはじめた。

おいしくなあれーおいしくなあれー。
なんかばあちゃんがドリップしている姿は彼女が畑で野菜たちと向き合っている姿と重なるようだ。生きてるものでも、それがモノだったとしても、僕もばあちゃんと一緒でそこに宿るものはあると信じているから。

ばあちゃんはとてもやわらかい。
もらったり、あげたり、新しいなにかをやってみたり。
それは人によっては厚かましいとかなるんだと思う。
けれど僕がこれまで向き合ってきた感じ、ばあちゃんは欲しいものは欲しいと言うし、自分が何かを持っているときには惜しげなくプレゼントしていたりする。

迷惑をかけない。
その言葉ってなんだろう。

僕はきっと知らないところで、たくさんの人に迷惑をかけていると思う。
それは教えてもらって初めて気づいて謝ることもあるし、ずっと知らないままのことだってあるかもしれない。なにかのきっかけで気づいてから、これからはそういうことのないように、と生活を正すこともある。

迷惑をかけないをスタートにする行動に、どれくらい誰かと心を重ねるものが生まれるだろう。迷惑をかけないことは、自分や相手にとって「しあわせ」と呼べるものだろうか。

なんか婆ちゃんが83歳でも新しいこと楽しんでやっててイエーイ!と書こうとはじめたはずなのにずいぶん脱線してしまいましたが、そういうことを思うのです。

今日は大阪から車でお客さんがやって来てくれました。

自分の人生を実験台にして生きているので、いただいたお金はさらなる人生の実験に使わせていただきます!