ツイートにしては長すぎるし、noteに書く程の事でもないこと その④

SNSで自分の作品アップするってのは僕が学生の頃にはほぼ無かった文化で、それが大量にある今の時代はすごいなと思いつつ、自分の作品を自分でアップするときとかやたら「恥ずかしながら」って付けて投稿するじゃないですか。あれ何なのですかね。何が恥ずかしいのでしょうか。
課題提出とか新人戦とか卒計展の時とかTwitter開けば作品の写真と「恥ずかしながら」みたいな投稿にあふれてて、ネットに珍々でも投稿してんのか?って思うんです。それなら皆が一斉にネットに珍々晒してるわけですから、それはもうPornhubと同じですよね。


僕が学生の頃からそうですが、設計課題を進めていくのに、基礎知識がついていない状態で何個も課題やってる人多いのではないかと思います。かと言って、じゃあなにか新しいデザインとかボリュームなのかといえばそうではなく、もののけ姫の生き物でも人間でもないものみたいな感じで、気づく間も考える暇も無く設計でも作品でも無いものを量産してるパターン多いと思うのです。
CGやPCをまともに使えず、効率悪い作業して課題に追われて最後設計でも作品でもないもの作って時間過ごしてどちらも身につかないなら、一旦どちらかに全振りして設計なら設計、作品なら作品(抽象的な表現になりますが。。。)を作っていくほうが長い目で役に立つのではないかと思っています。ちなみに僕は学部2年前期~3年前期迄は完全に「設計」に全振り(見栄えするプレボではなく正しい図面を描く、パッと見栄えるボリュームではなく計画的な所を考える)して課題を進めていました。3年後期からコンペを意識して「作品」に全振りしています。(が、その頃には意匠設計の進路とかではなく不動産に行こうと思ってたので完全に楽して賞金もらう目的でコンペやっていました)


(※あくまで僕が会ってきた印象なので完全に個人の感想ですが)日本の人たちってもの作るのは得意だと思うのですが、決定するのが異常に下手な印象で、仕事とか設計って(普通に失敗の可能性を大いに孕む)決定の連続なので、ガンガンインプットして設計のテク身につけようとか、建築見学して感性を鍛えようとか、そういうありきたりなトレーニングばかりでなく「決定して次に進む」ってう経験をできるだけ沢山して、「決定して次に進む」癖を付けていくほうが結果的に設計とかもうまくなる気がしています。

知らんけど。

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