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流離と意馬心猿(4)「ミーハー、未来を縫う」

流離(サスライ)

郷里をはなれて他郷にさまようこと。流浪。

使用例:さすらいラビー ※違う

広辞苑

意馬心猿(イバシンエン)

・煩悩や情欲・妄念のために、心が混乱して落ち着かないたとえ。また、心に起こる欲望や心の乱れを押さえることができないたとえ。心が、走り回る馬や騒ぎ立てる野猿のように落ち着かない意から。
・いろいろと考えが変わって、一つのことに落ち着かないこと。


対義語:明鏡止水

三省堂新明解四字熟語辞典・広辞苑

M-1ファイナリストのネタのツッコミ1フレーズから作り話を書くと意気込んだものの2組目真空ジェシカで満足した内に次の王者が決まってしまったではないか。頭の中の伊東四朗さんの頭を、モヤっとボールが直撃する。この継続力のなさは意志の弱さの表れだということを、noteを開くたびに自分に念押しするのである。ではいってみよう、旅4日目。


カメラロールを遡る。記憶と紐づいて感情が湧いてくる。かと思いきや、無機質な風景の写真が続く。だけだったりする、が、こうして脚色していくとその無機質たちが少しずつ息を吹き返していく錯覚に陥る。ちぐはぐな一人旅それ自体を肯定してくれているような。思い返すことが怖くなくなる、魔法の力がある。

大阪に到着した時点で、この旅はゴールを迎えたといってもよかった。前回のとおり、奈良の介護施設で生活する母方の祖父に会うことが叶わなくなったためだ。父方の祖父母に会えた昨晩はむしろ不慣れな一人旅のゴールテープにぴったりだったのにどうしてだか、まだ浮遊していたかった。くらげのような曖昧な孫をよそに、クリーニング屋を営む祖父母の朝は早い。記憶をたどってみても正直今まで一度も、彼らより早く起きれたことはない。
お店と家を隔てる曇りガラスの引き戸を開けた頃にはすでに、何人目かのお客さんがくたびれた服を預けて行った後だった。「おはよぉ」と声をかけて、顔を洗いにまたお店と家を隔てた。この家とお店の境界感が昔から好きで、自然と頬の筋肉が緩む。


 帰省のたび幼少期の兄妹3人は、「ただいま!」の代わりにお客さんのふりをして、わざと来店のチャイムの鳴る引き戸を選んで祖母に来訪を知らせていた。
奥から「いらっしゃーい」とお客さん向けの声色の祖母が顔を出す。「なんやあんたらやないの、おかえりぃ。駅着いたら電話しい言うたのに。」と、さっきとは打って変わったコロコロとした声で迎えてくれる。すかさず後ろから、「お義母さん、お義父さん、ただ今帰りましたー。今年も暑いですねえ」と挨拶する(なぜだかこのやり取りを思い出すときはいつも暑い夏の昼下がりという設定で蝉の鳴き声が聞こえる、)母の声が頭上を通る。祖父はいつも入り口からは死角になる位置にある作業用机で、なにか、している。ちらと顔を出し、眼鏡をくっと下に下げて「おぉ、帰ったんか。おかえりぃ」と言ってくれる。兄妹だけで帰ったときは「3人だけで来たんかいな。道迷わへんかったか」と労いの言葉のオプションがつく。
「もう何回も来たから分かんで!!」自慢げに末っ子の私と次兄が道中のエピソードトークを繰り広げる。クリーニング屋がたちまち、連休明けの教室のような喧騒に包まれる。荷物を置き、手を洗ってご先祖の仏壇にまんまんちゃんあんをした後は最大イベント:店の壁で身長計測 の開催だ。
祖母の身長に追いついたかどうかは、歯ブラシを忘れずに持ってきたか、に張る重要な帰省チェックポイントだった。


 ぼんやりした脳味噌の中で、雛のような3人の声が反響する。冬の朝、両手の皿の中の冷たい水に一度、二度と繰り返し顔を突っ込むと、こだまは消え、味噌も溶けて脳味噌は内が澄んだ水で満たされた’脳’になる。
雛のようだった兄妹も今や一人(いちわ)が親鳥になるまでに成長した。
帰省する日はもちろん皆それぞれになり、身長計測のイベントはもちろん終了したし、祖父が作業机でいつも何をしているのかは、もちろん今も、わからない。

健康的で文化的な、最高レベルの祖父の朝食と同じメニューを頂きながら、旅4日目のこの日は大阪観光に充てようと決めた。物心ついた頃から毎年なんばを訪れていながら、父と試した一度きりの古着屋巡りの他、観光らしい観光をしてこなかった勿体なさをかねてより感じていたからだ。なんばグランド花月もよしもと漫才劇場も、行ったことがないなんて!どうだいこの暮らし、灯台下暗し。(?)

☑️ありがとう、ここまで読み進めてくれた貴方 そして、おめでとう、
今回の意馬心猿ポイントに辿り着きました。読み方は”ミーハー”がぴったり。その背景は、大阪観光の内容の決め方にあります。
⚫︎芸人やロケに遭遇できるかもという淡い期待
⚫︎〇〇巡りという言葉の響きの甘美さ
気分と具体的な行動欲を自らにじっくり尋ねるよりも、自分の中の小さな小さな世界での見栄えやさらに小さな流行を反射的に拾い判断材料とするあたり、まさしく「ミーハー」と表すのが似合ってしまうじゃないですか。望まぬシンデレラフィット。渚のシンドバッド(?)
今当時の自分に戻って計画するなら迷わずよしもとの劇場巡りを選ぶことができるのに。
過去を思い出してその選択がベストではなかった、なんてことは往々にしてあることだ。高校生の頃なんかは、その選択全てを悔いて、搔きむしって消したくなって、自分自身に怒りと嫌悪を抱いたものだった。
けれど今は。特にここ最近は。よしもとの劇場巡りがベストだったとわかっても、これから綴られるへたくそ一人旅を責めることはない。

過去の辻褄合わせが、ことあるごとに巧くなっていっているのだろう。
しかし依然として、未来を縫うことはままならない。針の位置取りをいつも間違えてしまう。

辻褄を合わせるにも幾分脈絡のなさすぎる1日の記録をご査収ください。

➊喫茶店ロア
所縁ゆかりのあるお店をめぐる関西ローカル番組のコーナーで 大好きな天竺鼠川原が、ここを訪れるも一向に入店しないというふざけた(大好きな)ボケをかましていたのを見て爆笑した折に店名をしっかりと覚えていたから、このお店にたどり着くまではすぐだった。外からカメラが捉えていた店名のロゴが、今は店内から見ているから鏡文字に映る、ただ当たり前のことが嬉しくて、席に着くなりiPhoneを手に取る。

無愛想でもご機嫌なわけでもなさそうな店員さんが注文を聞いてカウンターに戻っていった。メモ帳を取り出して一人旅を振り返りながらおもむろに文字を書きつけていくだけの時間が流れる。途中、ご年配4名が来店し、通路を挟んだ反対側のソファ席に座る。聞き慣れた父や母の関西弁より数倍、ちゃきちゃきした話し口の祖母の大阪弁より、さらに数十倍もの火力の大阪弁が右耳を埋める。一人の男性がおもむろに携帯電話を取り出す。「俺もお前ももう70やで あとはもう死んでいくだけや!ガハハハハ!!」と大口を開けて笑う。数年前、コロナ禍のお店の様子を聞いたら電話口で「お客さんおらへんようなって首を吊るにもそのロープが買えへんわ!キャキャキャ!!!」と電話越しに大笑いしていた祖母を思い出す。生粋の大阪人にのみ許された、コミュニケーションに対する潤沢な標準装備に感動すら覚える。

気づかぬうちに旅の記録を書きつける手が止まり、右耳からは会話が溢れ、漏れ出していた。
ご老人の会話が展開する。展開し続けている、のだ。常に話題が生まれては潰え、また生まれては死んで、生まれ続ける。そこでは沈黙だけが常に死んでいた。もう死んでいくだけだと笑い飛ばす男性に思う。店内の沈黙よりは長生きです、と。

旅エッセイの進捗も、芸人さんとの遭遇もなかったが、喫茶店に望めるには十分すぎるアツい出会いがそこにはあった。


➋レコード店巡り
大阪の土地をそれぞれ東京で例えるとどうなるか、よく父に尋ねた時期がある。祖母宅周辺は秋葉原だと父は答えた。大きなアニメイトと通り沿いに点在するメイドカフェが納得させ、日本橋エリアは散策候補から早い段階で離れた。喫茶店ロアで、「レコード巡り」を思いつき、実際足を運ぶまでは。目星をつけたすべてのお店には行けなかったが、訪れた2店舗ともが最高で、もうこの日はこれで採算アリと断定できるまでにご機嫌になった。

見知った土地とはいえ、ひとりで散策するのは心細く、レコードのある生活を教えてくれた恩人でもある友人にLINEしてみた。すると運よくすぐに反応してくれたので、店内をぐるりと一周見渡した動画を送った。
3分後。
ーーーまって 動画に 甘い生活のサントラない?

La Dolce Vita

ピンク色が目立つという理由で画角の端に映るようにしただけだったのに。
なんの気なしの実況に送った動画の取るに足らない情報もキャッチしてくれる彼の誠実な一面が、「恩人でもあり友人」たる所以だ。
パタ、パタタッ…と想いおもいにレコードをディグる他のお客さんの邪魔にならない位置に移動し、la dolce vitaの詳細を送る。
なんと、そのレコードは彼が2年近く探していたという1枚だった!!!!
それも国内盤ではなくイタリア盤(後から調べたところイタリア製造フランス流通だったとのこと。彼のリサーチ力には脱帽する限りだ)。はじめてのおつかいfeat.レコードがここに爆誕した。文面から伝わる友人の嬉しそうな様子に、ともするとそれ以上かもしれない喜びがこみあげてくる。
お土産を貰う側ではなく渡す側でこんなに待ち遠しい気分になるの初めてだなと喜びを噛みしめていた矢先、プールのイラストと赤文字のAが目に留まった。

❤️

大滝詠一のロングバケイションではないか。帯付きだ。私の気分はこの日のピークを迎えた。

2軒目のレコード屋は、ピンクの看板が目立つコンセプトカフェの入っているビルの3階にあった。何食わぬ顔で階段を上る。

ヨシ、と小さく気合を入れてドアノブを回すと、店主の愛着を感じる空間が広がっていた。店内を一周して、意馬心猿ミーハーであったことを再認識させられる。年代もジャンルも、細かく分けられていて、聞いたことのないYESというジャンルもあった。ワンコインコーナーに大好きな映画 マリッジストーリーのサントラを手掛けたランディニューマンの名前を見つけたので、思わず買ってしまった。気分がいい時は、お財布の紐が緩む。無職でミーハーなのに。
店内の写真を撮ってもいいかと寡黙そうな店主におそるおそる聞いてみると、「どうぞ」と答え、またすぐレコードを磨き始めた。次は恩人であり友人である彼と一緒に訪れてみたいな。

他に2軒ほど巡り、初めてのレコード屋巡りは幕を閉じた。

➌美術館巡り
意馬心猿、ここに極まれり。ピカソ、という名前に導かれた「だけ」と言ってしまっていい。国立国際美術館の「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」に足を向け始めた。
ここに向かうまでの間、天王寺駅のロッカーに先ほどのレコードたちと大きな荷物を預け、わけもなくあべのハルカスの最上階に行ったりキューズモールをふらつくなどしたが、慣れない土地の人の往来に気力体力を吸い取られる結果に終わった。一人旅の間中ずっと、移動に成長が見られないことに落ち込みかける。が、大阪では御堂筋線以外ほぼ利用してこなかったから、電車に乗って、駅から美術館までの道々をあえてゆっくりと踏みしめるように歩く、だけで楽しくなっていった。やっぱり能天気な性格なんだなとちょっと呆れ笑いも漏れる。


空気の質感が、しっとりと冷たく、重みのある心地がする美術館そのものは心の凪ぐところだと思うのだが、美術それ自体はミーハーを超えて無知で正しく楽しめていない気がするので、凪いだ心が、張り詰め直す。味よりも映え、を気にして飲食店を選ぶ、大学生のコミュニティに一人はいる、そういう人に抱いてしまう苦みを、私が私に感じている。奇妙で、心細い。
ひとり〇〇が上手な人は、こんな気持ちにならんのだろう。一人旅改善の余地がありあまる。ありあまる富、ありすぎる余地。(?)

クレー、マティス、ジャコメッティ、、大学4年生で履修したものの綺麗に積読されていた西洋美術史の教科書の一部が脳内に蘇る。「身になるかどうか」で勉学のモチベーションを保っていた自分の浅はかさを感じざるを得ない。けれどもゆったりと時間の流れる美術館に、自らの意志で足を運んだことそれ自体が、緊張と寂しさの絶えない心を追い焚きしてくれた心地がした。


さて、ABCテレビの本社をたまたま通りがかったことでさらに上機嫌になった、宿代をケチりたいプー太郎は、親戚のおうちに厄介になるただの甘ったれ末っ子たぬき娘に化け、奈良に向かう。
奈良の祖父母の家に、祖父母は今住んでいない。
祖父は施設に、祖母は空にそれぞれの日常を持っている。
母の一番上の姉である叔母夫婦が、その家に住んでいる。

「ママの実家なんやからあんたの実家でもあるんよ。帰ってきてくれてありがとう」という言葉にうっかり涙がこぼれぬよう、叔母が知っている「よく笑い、よく喋る姪っ子」に化け直す。シャワーを浴びた後も、おでこの上の見えない狸の葉っぱが落ちないように注意を払いながら。

ーーー叔母、叔父、いとこ、ちびっ子たちにも会える。みんなが喜んでくれている。昨日だって祖父母が喜んでくれていた。会える時に会える人に会う。大事なことだ。今回はそれで、それがいいじゃないか

ひとりで、自分で全部まかなうんだ、と意気込んでいた旅の当初の言葉の上から、別の台詞が乗る。

ーーーこんなに英語はできるのにいい!ナゲットは食べられないい!
ーーーこんな都合のいい解釈はできるのにい!計画が立てられないい!

大鶴肥満は英語はできてナゲットが食べられない。
私はやっぱり、辻褄合わせはできても未来を縫えない、みたい。



後記という名の言い訳タイムです、ここは。

〇〇はできるのに!ていう悔恨と自虐のニュアンスがぬぐえない感情を思いつくたびに、ママタルトの去年のM-1敗者復活戦でやってたネタの
こんなに英語はできるのにい!てフレーズが頭をよぎるので、無理矢理にでも組み込みたくなってしまった。結局フレーズも語呂もよくなかったのでそれっぽい韻踏み+(?)を散りばめて罪悪感の帳消しですよ。

韻考えるのに母音書き出したり頭の中でぶつぶつやるの楽しかったからいいんです。

最後まで読んでくれる方、いつも本当にありがとうございます。大げさでなく生きる糧です。明日、信号がタイミングよく全部青になるようあなたの住む町にお祈りしておきます。

≪続≫

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