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褒められるために頑張ってない?

突然で恐縮ですが、

褒められるために頑張ってませんか?

それは正直、全然ありです。

ただ、

ちょっと危険かもよ?

アンチ他人軸論の始まりです。


他人の評価は不安定

まず、他人の評価は絶対的じゃないということです。
つまり、褒められるために何かをやっても、安定したモチベーションがない訳です。
実際、他の人が褒めてくれるかどうかは、多分に他の人の機嫌の良し悪しに左右されると思います!
そういった不確実な他人軸に頼っても幸せにはなれないのではないでしょうか。
いつでも褒めてもらえれば良いですが、そんなに甘くないのが現実です…。
辛いとき、非難されたときに、自分軸で心の底から湧き出る「これがやりたい!」というモチベーションを持っていれば、周囲の風当たりが強いときでも安定して、自分の仕事ややっていることに取り組めますよね^^


褒められた喜びは持続しない

他人から褒められることによる喜びは継続的な満足感というより、
一回褒められれば、また次が欲しくなるという性質があると思います。
つまりもっと褒められたいから、頑張るわけです。
私はこれは、一種の依存なのではないかと思います。
本当にそれで、いつか心の底から満足できるのでしょうか。
自分の成長は?それで、自分のなりたい姿に近づいているのか?
褒められるために努力をしてしまうと、自分自身がなぜ頑張っているのか見失ってしまう危険性があります(次項で詳しく説明します)。
他人から褒められることや、評価されることは生きていく中では一定重要なことです。ですが、それだけではなんだか危険そうな匂いがしますね?


自分自身を見失う

自分自身の目標や欲求と、他人からの期待が対立する場合、自分を犠牲にしてまで褒められるための行動をとってしまうかもしれません。
褒められるために、自分が本来本当にやりたかったことを抑制してまで、その期待に応えようとしてしまう。その期待に応えることが主な動機となり、自分の本来の目標や価値観が曇りがちになってしまいます。
常に他人の評価によって自己価値を測ることで、自分で自分を認めてあげられなくなり、自信が揺らぎやすくなってしまうことも。
他人の評価は不安定であるから、それに合わせて行動することはストレスにもなってしまいますよね…
こうして、他人に自分自身の舵取りをまるっきり任せてしまうと…あなたのメンタルに影響があるかも( ノД`)シクシク…
だからこそ、自分自身の舵取りは自分で!やりたいですよね^^


最後に

今回は、褒められるために頑張ってしまうと危険な理由を3つお話してきました。
なぜ、私が今回の記事を書いたかというと私自身が他人軸で、評価や褒められることのために努力し続けてきたからです。
私の場合は勉強でした。
勉強をすれば、親が褒めてくれる。先生が褒めてくれる。世間が認めてくれる。
勉強を頑張っていれば、自分には明るい未来と、良い仕事が待っている
そう考えていました。
ただ、実際はそうではなかった
自分が本当にやりたいことを後回しにして、周りが「勉強やってて偉いね」「真面目で偉いね」と褒めてくれる勉強に安住していたのです。
勉強を頑張ったところで、面接で話せることはほぼありませんでした。
それは、自分が盲目的に勉強するという努力に依存していたからです。
これさえやっていれば、自分の人生は良くなる!
と思うなら、その根拠をまず考えるべきです。
私は、勉強を頑張ったところで、将来なりたいビジョンも、その勉強を経てなりたい自分自身の姿が認識から欠落していました。
過去の私のような状態のまま、がむしゃらに努力を続けていたところで、あなたの人生は変わらないし、実際そうして費やした時間は戻ってきません。
どうか、他人軸ではなく、自分軸で、自分の本当にやりたいことを後回しにしないでください。
私は、どうしても今の環境では内発的モチベーションを持てないことが分かったので環境を変えようと思います、まずは部署異動から。
今の環境で、他人軸で頑張ってしまっていたり、心から湧き出るモチベーションがない方は、どうか環境を変えてください。
環境にこだわってください。
それでは…今日も読んでくださり、ありがとうございました!!

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