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5年目までに基本的な「教育技術」を獲得しよう

「教育技術」               この言葉にどのようなイメージをもつだろうか。

文脈によってそのイメージは変わるだろう。 例えば、教育技術を駆使しても教科の本質や目標達成につながっていない授業であれば「教材研究ができていない。教育技術ばかりに頼っているからだ。」と言われるかもしれない。反対に教材研究(教材観・子ども観等)を十分にしているものの、目標の実現のための教育技術が乏しければ「理論だけでは子どもたちに力をつけることはできない。多くの教育技術を学ばないと!」と言われるかもしれない。

初任者等の若い先生方はどう考えたらよいのだろうか。私は教職5年目までは、「基本的な教育技術」を身につけることに力を入れるべきだと考える。

現在、初任者に限らずベテランの先生方の中にも、学級経営がうまくいかなる要因は、一概には言えないが未熟な指導技術による指導力不足が多い。指導技術が少なく、指導の選択肢が少ないため、子どもの実態が変わっても同じような指導をしてしまうからである。多様化してきている子どもたちを指導するためには、多くの指導の選択肢をもつことは必須になってきているのである。

ゆえに、特に教職5年目までは、多くの本を読んだり、先輩に聞いたり、勉強会などに参加したりしたりして多くの教育技術を獲得する必要がある。基本的な教育技術がなければ、学級が荒れ、子どもたちの担任に対する信頼関係も低下していく。そうなるとあらゆる教育活動が成り立ちにくくなる。

しかしである。              現在の多忙な学校現場の状況においては「基本的な教育技術」が引き継がれていない傾向があるのではないだろうか。また、授業研究会においては、教科等の専門性についての協議はするが、基本的な教育技術等について確認したり、共有したりすることも少ない。このことだけが要因ではないと思うが、研究公開等の授業を参観したとき、理論は立派だが基本的な教育技術を知らないか、効果的に活用できていないため、子どもたちに力がつかないと思われる授業が増えてきていると感じる。

基本的な教育技術や汎用的な考え方に支えられこそ、教科等の専門性は発揮できる。だからこそ、教職5年目までは基本的な教育技術を獲得することに力を入れるべきと考える。そして、5年目からは多くの教育技術を身につけることが専門家であるという「技術的合理主義」に陥らないように、教育技術が生まれた文脈を踏まえながら、自分なりのアレンジを加えた教育技術を考えることが必要になってくる。



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