人間が嫌だ 轢かれて埋められる

 帰りに本屋に寄って、本を買って、駅まで歩いていたら、右足が萎えたか折れたかした小雀が、ピーチク、地べたを跳ねたり這ったりしていた、哀れに思ったが、通り過ぎた。通り過ぎてからやっぱり気になって、見に戻った、片足だけではうまく立てないから、すぐ、地べたにぺたんと座ってしまう。私が近寄っても、怖がるだけで逃げそうにない。保護を考えた。スマホで、怪我したすずめ 保護 とかなんとか調べたが、鳥インフルに寄生虫、「野鳥の捕獲は犯罪です!」と脅すばかり、それに保護したところで、野鳥を見てくれる動物病院などまるでない。ふと見ると、歩道で休んでいたはずの雀は車道に出ていた、夜で車が多い、ちょうど走ってきた車の下へ跳ねて、私は最悪を考えた、もうだめだとおもった、助けるべきだったのに今でも思い出せない、何かしらの理由をつけて、再び駅に足を向けた。しばらく歩いて嫌になって、立ち止まり、スマホを取り出し、ようやく環境管理事務所の番号を見つけて、キーパッドに打ち込み、ふと車道を見ると轢かれて死んでいたのはあの雀だった。反対車線だったから、唸り走り交う鉄塊に怯えながら、いや怯えていなかったもしれない、それほど無垢だった、巣立ったばかりの鳥は車と人間の恐ろしさを知らぬ、さあ向こう側に着く、向こう側についたとてその萎えた足でいくばくか、わからぬ、痛かったろう。そのわずか手前で潰れていた、気づく者1人とてない。つくづく人間が嫌になった。目の前の理髪店に飛び込んで、ビニール手袋を譲ってもらって、本入れてた袋を携えて、雀に近づく、車が来なくなるのを待つ、バカのタイヤが轢き直しやしまいか、肝を冷やし、見計らって道路飛び込む、うまく拾えた。腹が全部出ていた、羽は無惨、くろぐろとした眼、ちいさくてまんまるの眼は開いたまま終わっていた。袋の上からやさしくにぎるとわずかにあたたかいが、またあとでやさしくにぎったら冷たかった。袋が透明だから電車は乗れぬ、乗りたくない。父に車で来てもらい、近場の自然公園に埋める。父を待つ間に選挙カーが最後のお願いに参りましたとかうるさくて本当に不愉快だった。おまえたちがねがいも聞かずこのすずめを殺したのだ。死ぬべき順番が違う!車で公園に来て、真っ暗、照らしつつ掘っていたら木の根っこがバツバツ切れて嫌だ、渋っていたら親が構わず掘り進めた。掘れたがにぎりこぶしの高さくらい。もう雀を見たくなかった。埋めてかためて、葉っぱをかけて、わからぬようにした。帰り際に、父が、埋めたところを跨いだ。すると車に戻って、父が、埋めたところに手を合わせて、生まれ変わったら云々、とか祈っていて呆れた。昔この辺にあった巨大な薮は最近全部刈られてゴルフ場になった。もう嫌だ。死体を埋めたり焼いたりして何になる、何になるといえば死体をつくる元素がめぐりめぐるのだ。だから肉体は不死不滅だ。霊魂は個脳髄のはたらきだから死ぬ滅する有限だ。そう信ずる。きみの肉体はこのあと細かい元素にわかれて世界中を永遠にめぐりめぐる、不死だ、心配せんでよろしいと言われてはいそうですかそれならいいやと殺される奴はいない。きみをこれから殺すがみんなで食べて糧にするから安心したまえと言われても安心しない。他の役に立つ、他になる、だから個の滅を気にするなとは卑怯だし没論理だ。個が自己が一番大事にきまってる。自己は不滅が一番良いに決まってる。生まれ変わったって自己じゃないなら嫌だ、すずめも埋めたからなんだ、手を合わせて何になる、すずめは死にたくなかったに決まってる。動物は人間と違って優れているから死を望むことがない真逆のきぼうのいきものだ。きぼうのすずめのきぼうをむざむざ轢き殺してまで速く移動したいならわたしがおまえを轢く。もしかすると埋めるまでの間のどこかまで、ひょっとするとうめられるときも僅かに生きていて地獄の苦しみを味わっていたとしたら辛い、あのつめたさで今も納得していたい。帰ったら冷しゃぶだったから美味そうだと思って自分ももういやだ、こんな事なら最初から存在しないほうがマシだ

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