2/1

・久しぶりにカフェロワイヤルをやった。ブランデーの池で炙られる角砂糖がゴボゴボあぶくをたてる。素敵だな、と言うより、『死霊のはらわた』映像を想起した。

・天下無双のz級クソドラマ「大病院占拠」の悪口を調べようとするたび、大母音推移と混ざって、「大病院推移」と間違える。

・「AのことをBと間違えちゃってさ」「AみてたらB思い出しちゃってさ」と言う時、本当に愚かでささやかな錯誤行為(息子を飼い猫の名前で呼ぶ、ノーパソをノーパンと間違える等)を除いては、Aが極めて日常的な語彙なのに対し、Bは学術的、もしくは趣味のジャーゴンであり、しかも、特に難解であったり、大衆にあまり知られぬものである。端的に言ってこの話法は、日常的でありふれた、「君も知っている」Aを見ていながら、私なんかは常に難しいこと、高尚なこと、品のいい趣味のことを考えているから、職業病とでもいうのかね、ついつい難しくて、高尚で、センスが良くて、「君はわからないだろうけど」Bのことと混ざってしまうのだ、という衒学的で低俗な話法である。さてこれ、何と名付けたものか。

・池のある公園を散歩した。夜風は弱々しく、遠くネオンがけばけばしい。わずかに揺れる水面は、黒糖羊羹とコーヒーゼリーの中間くらいである。下卑たピンクや青が、細くぼんやりと染め込まれて都会らしい。目が慣れてくる。ポツポツと鳥が浮かんでいて、キンクロハジロの横っ腹、白長い模様が4つほど、ぼうっと浮き上がる。その4機が、斜めの隊列をあいまいに組んで、こちらをうかがっている。

・オットーディクスの画集を求めて古本屋を彷徨う。

・『宝石の国』第一巻。説明セリフがあまりにも不自然でうんざりする。こうでなければ漫画は売れないのか。

・授業もない、卒論もない、夢にまでみた、本よ映画よの無何有郷だが、いざ手にすると、眠いし寒いし、ラッセルの幸福論はまことに正しい。

・「年寄り扱いするな!」「俺もまだ若い!」というのは見苦しい。ほとんど屍同然の老婆になってなお、白粉を塗りたくり、若い燕に熱を上げるなんてのはもっと美しくない。逆に、「俺はもう歳だから」「老人は邪魔だからね」などといって居直り、電子機器の操作だの、新たな価値観の受容だのはハナから諦め、頑迷に自分のやり方を通すのも愚かしい。しかし、若者に「どうもご厄介になります」くらいには、自分の老いを認めていたい。自然に逆らわず潔く老いることと、精神の若さを保ち続けること、それでいて若さを自負しないこと。こんなの無茶だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?