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・老いは長く生きた罰、というのはシオランの言葉だ。確か。

・最近は寒いんで、汁粉がうまい。自販機でもよく買う。あずきが出やすいように、缶にくびれをつけている。ハハ便利なもんだ、と思う。だが、一体どうやって缶にくびれを形成しているのか。そもそも、どのくらいのくびれをつければあずきが出やすいか、その型を作るにしても、あーでもないこうでもないと、汗と血の滲む研究があったはずだ。そんな知恵と情熱の結晶が、100円かそこら、しかも温かい激ウマおしるこつきで、お気軽に手元に来るんだから恐ろしい時代だ。この寒いのに毎日毎日工場から運ばれてくるわけで、そちらにも頭が下がる。自販機でも、気軽に電子マネーか何かでチップを払えるようになればいい。日本国民は100円ショップに慣れすぎて、無数の作り手の熱意、愛、狂気と言ってもいい、そういうものに金を出し渋るようになった。外国人に100円ショップのものを誉めさせて、「実はこれ、100円なんです!」「オー、ヒャクエン!?」とやって悦に入っているうちに、全てが緩やかに破滅していく。

・甘納豆と日本酒は、モノにもよるがかなり合う。

・翻訳にあたって、「原文の調子や雰囲気を損なわないように」とよく言われる。別言語に改竄しといてよく言うよ。原文の調子や雰囲気は原文で読む以外に味わえるはずもないのだから、好き勝手おもしろくやればいいじゃないか。翻訳で本を読む者は、他言語を学ぶのが面倒なナマケ者であって、そんなのに贅沢を言わせる必要はない。ただ、好き勝手といっても、I love cats.を「猫は俺のことが好きなのかも!」とやらないくらいの誠実さは、人間として持ってほしい。

・岩波から、テニスン『イーノック・アーデン』の翻訳が出ている。しかし、そのうちの一つは、訳者本人の言うように「日本語の朗読用に翻訳したもの」であって、確かに読むと、良い物語ではあるがイーノックアーデンではないし、テニスンのものでもない。原文の哀切なる調子も雰囲気もこれでは味わうことができない。少なくとも、私の本棚(?)には加わらないだろう。

・生まれて初めてモモヒキを履いた。ズボン下?どちらでもよいが、まあ暖かい、心地よい、自然を楽しむ余裕ができる、モノの見方が変わる。これはいいものだ。

・スーパーのヨークマート某店。外装の上の方に、YORK MARTと、ご丁寧に1文字ずつでっかく立体文字看板になっている。ぼんやり見ていたら、ちょうどMのところで、雄のドバトがふっくらふくれて、くるくる回っている。求愛のダンスである。見ると、Aのところでは、ひとまわり小さな女性が困惑気味に立っている。さてこの恋の行方は。端的に言えばダメだった。

・『タイタス・アンドロニカス』を読んだ。ジョンソン博士が顔を顰めるのも無理はない傑作だ。手は飛ぶ首は飛ぶ、その酸鼻中にも、惨たらしいユーモアがきらめいている。

・早稲田松竹でフェリーニを見た。8 1/2と青春群像。人生は祭りだ❗️パンフォーカスのランチキカーニバル、カメラも上下のカットバックが目立つ。特に前者は、映画の楽しみとは何たるかが全て学べる。自虐に際する知的な視点移動にも魅了された。


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