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・中野好夫が、「文学と老人」といういささか通俗的なエッセイで述べている。文学の場に現れる老人は、そのほとんどが醜悪で、歯無しの糞垂れ愚痴垂れ、頑迷固陋、老耄、貪欲、場合によっては下がお元気。およそお年を召した方々の喜ぶものはないのだ。ここでは能の『恋重荷』から、『リア王』に『ゴリオ爺さん』、『源おじ』『ガリヴァー旅行記』などなどが引用され、老人のみじめさ、醜さが暴かれている。それをそのまま孫引きというのも無粋であるから、彼の挙げていないものからいくつか抜粋する。

 E・ケストナー『飛ぶ教室』で、老いたグリューンケルン校長は、まあつまらない、精神的動脈硬化と言って良い。理科で月の授業をするときには、その禿頭を仄めかしながら「月について話をしたい。ホラ、先生をながめてごらん」という陳腐で退屈で目も当てられないシャレを、20年以上一言一句そのまま繰り返す。「あの駄洒落、お父さんも聞いたって」。あるときにはクラスが団結してこの屍同然の古びた男を笑いものにした。いじめられた哀れな年寄りを貶し、生徒の1人は「教師には、どうしても逃れられない義務と責任がある。自分を変えていく能力を保持していくことだ。そうでなきゃあ、生徒は朝が来てもベッドに寝そべっていて、授業のレコードを回していればいいことになる。そうなんだ、必要なのは教師であって、二本脚の缶詰じゃない!僕らを成長させたいなら、自分も成長する教師でなくてはならないんだ」と説く。読んでいるこちらもまことに汗顔の至りだ。

 「もごもごしゃべり、たわごとを口走り、歯が抜け、白髪になり、禿頭になり、アリストパネスの言葉を借りてさらに申せば、『垢ダラケデ、腰ハ曲リ、惨メナ姿デ、皺クチャで、禿頭デ、歯抜ケデ、一物モ役立タズ』」とはエラスムス『愚神礼賛』31節。面白いからここだけでもおすすめする(実は老いとは痴愚神の慈悲なのだ!)。

 『お気に召すまま』、第二幕第七場のジェイキス「この世は舞台、人は皆役者」というところはよく知られるが、この後、具体的に舞台の流れが語られる。ぜひとも読んでいただきたいが、そもそもジェイキスは鬱病の陰キャくんであるので、かなり悲観的だ。まあ第一幕の幼年期から、第六幕の耄碌時代に至り、そして「さて、最後の幕切れ、波乱に富める怪しの一代記に締め括りを附けるのは、第二の幼年時代、つまり、全き忘却、歯無し、目無し、味無し、何も無し」と終わるのだ。

 「憶良らは今は罷らむ子泣くらむ...」がよく知られた山上憶良だが、74歳まで生き、晩年には老いの醜さと死の恐怖に絶望した。「沈痾自哀文」から、原注をのぞいたもの。「...我胎生より今日に至るまで、自ら修善の志有り、曽て作悪の心無し。所以に三宝を礼拝し、日として勤まざるは無く、百神を敬重し、夜として欠けたること鮮し。嗟乎恥しきかも、我何なる罪を犯してか此の重疾に遭へる。初めて痾ひに沈みしより已来、年月稍多し。是の時年七十有四、鬢髪斑白にして、筋力汪羸。但に年老いるのみにあらず、復た斯の病を加へたり。諺に曰く、「痛き瘡は塩を灌ぎ、短き材は端を截る」といふは、此の謂なり。四支動かず、百節皆疼み、身体太だ重きこと、猶鈞石を負へるがごとし。布を懸けて立たむとすれば、翼折れたる鳥の如く、杖に倚りて歩まむとすれば、跛足の驢に比ふ。」

...陰鬱としてくるから、引用はもうやめよう。

・『飛ぶ教室』から少しの希望を見出したから、ここに残しておきたい。本作の最後、あの退屈な老人と違って素晴らしい「道理さん(正義さん)」が語る。「幼いころを忘れるな!」「年をとりましたが、にもかかわらず私たちは若いままなのです。」そう、これが、醜くない、マシな老後、若者に笑われない、尊厳ある、柔軟で豊かな老後につながり...
 戯言を抜かすな。中野好夫はエッセイの終わりに「俺はまだ若いなどと言い出したら、それこそ紛れもない精神的老耄の兆候」「もっとも醜いのは、精神的動脈硬化症になっている人間が、自分だけはそれを自覚せず、いたずらに若い世代の場所を占拠して頑張っているあの我執ぶり」と述べる。

・文を引用で埋め尽くすことは、著者の意図に反して、威厳を与えるどころか、衒学的でうんざりするものだ。

・文を引用で埋め尽くすことは、自分で考えなくとも威厳を装えるから大変楽で良い。

・私の高校にも、1年生相手に、ピザのことを話そうとして「えーとほらあの、西洋風お好み焼きみたいな」という年寄りボケをかます教師がいた。つまらねえ小芝居だな、と思ったが、愚昧の同輩たちは「おじいちゃんでかわいい」「西洋風お好み焼きて笑」などと持ち上げていた。あとで、「ピザを思い出せずに西洋風お好み焼きという古風な表現しか浮かばない小芝居」は、十何年も前からやっている、精神的動脈硬化の典型症状だと判明した。つまらねえ小芝居だ。いや、今になると哀れに思えてくる。


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