見出し画像

私ってセクシャルマイノリティだったんだなって話

文章を投稿するのが2年近くぶりです。ドキドキ。

この2年の間に、私は「アロマンティックアセクシャル」というセクシャリティを自認しました。それでTwitterで情報集めたりしていたのだけど、【#雑誌アセクシャルアンソロ】の企画に参加したくなったので久々に筆をとってみたりしてます。
アロマンティックアセクシャルを説明しないで書き始めますが、知ってる方に読んでもらってると信じてます。

自認したきっかけ

もともとフェミニズムに興味があるんです、私。フェミニズムって言葉はなかなか微妙な立ち位置にいると思うのですが、私は「男性とか女性とか関係なく自由に生きようぜ」みたいな意味ととらえてます。まぁ、それはまた今度書くとして。

フェミニズムに出会って自分がいかにジェンダーロールに縛られているかを自覚して、自分の正直な気持ちに向き合ったらめちゃめちゃ心が軽くなったんです。まぁ、それもまた今度書くとして。

それで色々調べてる時に、界隈の方がアロマンティックアセクシャルの事をリツイートしたんです。たしか当事者の方のツイートだったと思うのですが、自分はこれかもしれないと思いつつ誰にも知られたくなかったのでいいねも保存もしていなくて、どのツイートだったのかわからなくなってしまい…。「このツイートがきっかけです!!!」とお礼を言えないのが残念です。

恋せぬふたりというドラマ

アロマンティックアセクシャルのツイートというか、「恋せぬふたり」という1月から始まるドラマはアロマンティックアセクシャルが題材らしい、というツイートだったのですが。

事前に少し調べたりしつつ、何かを考えたりしつつ、私はアセクシャルだなと分析しつつ、ドラマを見ました。1話を見て、私も異性に対してこういう軽率なところがあるな…と初めて考える観点で自分を振り返ったのをよく覚えてます。

たぶんアセクシャルにもいろいろ種類があると認識してますが、私は性欲がないタイプです。性欲があってそれが他人に向く人の思考をかけらも想像できないんですよね。それで様々に失敗したわけなのですが、経験から後天的にアセクシャルになったとアセクシャルを知った時は考えたけど、ドラマの1話を見て『もともとアセクシャルだったから失敗したのか』という気づきがありました。

アロマンティックの自認

アセクシャルでも、恋愛をする人はいるのだなとふんわり分かってきて、さて自分はどっちに分類されるかなというのが気になり始めた頃。

性欲とは違って、恋愛する人の気持ちはわかるんですよね。ドラマや漫画の恋愛ものってわりと楽しく見ますし、来週どうなっちゃうの〜〜?!って思いますし。でも恋愛ってもうずっとしてない。大学2年生以降してない。しそうな気もしない。

そんな頃、『見えない性的指向 アセクシャルのすべて』という本を読み始めたら、「セクシャリティってのは流動的なもんやったりするで」って書いてありました。あ、こんなエセ関西弁では書いてないです。すみません。それを読んで、いったん「今はアロマンティックでいっか!」と思ってます。

私のしてきた恋愛は恋愛じゃない説

もともと恋愛体質ではないなと思ってました。好きだなと思う人がいて、その人と恋人になりたいと思う反面、生活が縛られるのは嫌だと思う部分もあり。性別関係なく会いたい人に会いたいし、恋人と「一緒にいる事」を重視できず、「やりたい事」重視で一緒にやる打診を最初にはするが予定が合わなければ他の人を誘いたい。そんな感じに。

恋愛しそうな気もしないって前述したんですけど、私が「私の恋愛」と呼ぶエピソードって、女子学生として好きな人がいて、その人にアプローチしたり友達と恋バナをしたり、というロールを全うするためのものだった気がするんですよね。だから、フェミニズムを勉強してロールに縛られなくていいや、となっている今、恋愛する必要性がないなと。

そんでそれを考えたらあれ全部恋愛じゃなかった説が浮上するので、私って恋愛したことないのかもね…?「今はアロマンティック」とか言ってるけど「一生アロマンティック」かもしれないです。うーん難しい。

終わり

自認のきっかけから自認に至るまでくらいを書いてみました。久々に長文を書いたけどやっぱり楽しいので他のテーマでも書こうと思います!Aスペクトラム以外の投稿も再開したいところです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?