見出し画像

卒業制作について。

こんにちは、えびです。なんだかもう春の気配🌸

今回は卒業制作のことについてお話しようと思います。
大学に入学してからあっという間に4年生です。ちょうどコロナ禍スタートだったので、あまり実感がありません。
卒業制作はいわば4年間の集大成。
だからこそ、今の形にたどり着くまで長い時間がかかりました。

一番最初は前期の続きとして、架空の女の子のアルバムや身の回りのものを作ろうとしていました。でも前期の制作物だけで満足してしまい、なかなか気が向きませんでした。前期の講評中もなんだか後ろめたいというか、胸を張れない作品を作ってしまった自分が恥ずかしくて仕方なかったです。絵としてはいいけれど、自分の心と合わさっていない。そんな感じです。
多分、レイアウトしたり編集する時間が絵を描く時間よりも長くなってしまったことも原因のひとつです。
ここで私は、『絵を描くこと』が好きなのだと気づきました。

その次のアイデアは、エッセイと絵を織り交ぜた本。私は文章を書くのも好きなので『自分ノート』と題し、作ろうとしました。
(7月に出した卒制シートの中には『自分ノート・自画像』と書かれていました。結構最初の段階で、もう答えは出ていたのですね。)

けれど納得いかず…その次は、自分を構成する文字とイラストレーションを組み合わせた作品。こちらについては以前noteに書いた気がします。

もともと文字の形に人を埋め込んでいく形式の絵を描いていたこともあり、楽しいし良いかも!となりました。でも描き進めるうちに、なんだか全部同じに見えてきました。6枚くらい描きましたが、それも納得いかずふり出しへ。

ちょっと大きめの色紙に逆文字(文字の縁を人で埋める)やドローイングに近いごちゃっとした作品も作りましたが、どれもどこかこじんまりとしていました。

そんなある日のミーティング。
先生が「もう大きいの描いちゃえば?」と言いました。
「多分あなたは直筆の線の良さを生で伝えたいんだと思うよ。」
目から鱗でした。そうだ。私は線の圧みたいなもので、見る人をあっと言わせたいんだと気づいたのです。デジタルじゃなく、印刷でもない、生を。

その日から一気に動き始めました。日本画の友達に水張りを手伝ってもらい、P50号(1167mm×803mm)を2枚描くことにしました。10月でした。
そこからはずっと走るのみでした。バスに乗って頑張って家に持ち帰り、ベットに立てかけて描き続けました。いつも視線を感じるくらい、瞳には力を注ぎました。

今までの時間は無駄じゃなかったと強く思いました。前期の作品のおかげで悩んでいる最中もSNSの投稿は途切れなかったし、文字絵も絵としては気に入っています。色紙やドローイングで新しい発見もありました。
何もかもが、ここにつながっていたのです。

これは私のiPadの壁紙なのですが、この言葉を胸に卒業制作に向き合っていました。
絵に関係する動画では一切ないのですが、この言葉は何事にも通づると思ったのです。

どんなに良い答えを思いついたとしても、さっきの答えを消さなかったら答えられない。
きっと絵を描くことも同じです。一応課題ではあるのでひとつの形に絞る必要があります。だからこそ私が一番良いと思えるものを出したい。
ちょっとでもモヤッとしたら、すぐ次へ。何度もふり出しに戻ることを続けました。他人よりだいぶ時間はかかったけれど、私にとっての良い答えが出せたんじゃないかと思います。

______________________

さて、ここからは卒業制作のお話。

『分身』

私がいつも描いている女の子である「ささくれちゃん」は私の分身です。
ほんの些細なことで考え込んでしまう、私の頭の中や心のぐちゃぐちゃを代弁してくれる存在です。
そしてこの絵は自画像です。表面に見えている自分ではなく、内側でごうごうと燃えている私の感情です。
彼女たちは制服を着ています。私がその形が好きだから、と言うのもありますが中学生という未熟な存在に自身を重ねているのかもしれません。
世間的に見れば私はもう十分大人です。けれど内面は、ちょうど中学生くらいから変わっていない気がします。

周りのみんなみたいにうまく振る舞えない自分、人の好意をうまく受け取れない自分、自信がない自分、うまく言葉にできない自分。どれもみんな私なのです。
自分が汚い存在のように思えて苦しくて、なんだかすごく惨めで、存在意義も分からなくて、でも絵を描きたい。線を引いているときだけ自由で苦しくないのです。全部絵にできるから。
noteに書いた文章やそのとき思ったことを描きました。文字と絵で、その日まで渦巻いていたものを全て。いっぱいいっぱい、考えていたんだね。

この絵を描いている間、終始ワクワクしていました。下書きをせずにのびのびと、大きな画面にドローイングをしている気分でした。気持ちいい線が引けたら嬉しくって、きっとにやにやしていました。
最初は大きい女の子一人で、周りに小さくびっしり…と思っていたのですが、バランスを見ていたらどんどん増えていきました。

展示されると見えないのですが、パネルの裏側にも絵を描きました。
自由帳や机の上に描いていた落書きを思い出してワクワクしました。
裏も描きたいなとは思っていたけど、見えないし…となかなか踏み出せず、描き始めたのは展示の2週間前くらいでした。きっかけは大阪旅行で案内してくれたお友達。
先生と同じく「描いちゃえばいいじゃん」と言ってくれて、吹っ切れました。
その瞬間から、もうすでに早く帰って描きたかった!
数日後ポスカを手に入れて、画面に白が入るとパッと明るくなりました。楽しくて仕方なかったです。集中しすぎてこの絵が良いものなのか分からなくなる時もありましたが、離れて見たら大丈夫でした。

制作期間中は、夜になると絵を見る習慣がついていました。
小さな文字で書かれた文章やうねりを帯びた文字、そして少女の表情。
じっと見て、良いなぁって自分の絵を見て思うことができたのです。
それが何より嬉しかった。私自身を救えるような絵を描けたということだから。
生きていて、この絵が描けて良かったと心から思いました。
一時期うまくアイデアが出なくて絵も描けなかったので、その時間も肯定できたような気がします。

いろんな道を行ったり来たりしたけれど、最終的に私の集大成になったと思います。私の絵だと、良い絵だと、胸を張って言えます。どこかで妥協せず、ずっと手を動かしてきてよかった。

この作品を卒展きりにしてしまうのは寂しいです。どこかで展示できたらいいのにな。天井から吊るして、裏も見えるようにしたいな〜、なんて考えています。
実現するかは分かりませんが、もっと多くの人に見てもらいたいという欲望が、勝手ながらあります。
見た人が何を感じるのか、知りたいのです。
描いているときはずっと一人だったから、次は周りの見え方が知りたい。
そんな新しい夢です。

今回はこの辺で。それでは、またあした。

〜おまけ〜

描き始め
どんどん増えてきた
ここがお気に入り
靴下はぐるぐる
糸みたいでいい感じ
搬入したときに撮った裏面
展示したら見えないから、自分だけの宝物みたい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?