私たちがWEIRDである理由--ジョセフ・ヘンリック『ウィアード 上』(今西康子訳、白揚社)

上巻を読んだが、面白すぎるぞこの本。メモ的にわかったこと・考えたことを書いていく。

  • 「ウィアード」とはWEIRD「風変わりな」を意味する単語だが、筆者はWestern(西洋), Educated(教育のある), Industrialized(産業化された), Rich(裕福な), Democratic(民主的な)の頭文字をとった人々のことを、指している。心理学などで、「人間の本性」として抽出された心理的傾向が、このWEIRDな人々にだけ見られるものではないか? というのが筆者の問い。様々な実験とデータから、実際にWEIRDな人々と非WEIDな人々の心理的傾向の違いがあると示されている。としたら、何が違いを生んだのか? が二つ目の筆者の問い。

  • WEIRDな人の心理的傾向とは「個人主義」「自己に注目」「自制を重んじる」「同調傾向が低い」「分析的思考に長けている」。おしなべて人間関係や社会的役割よりも、自分自身を重視する。…なんだそんなの当たり前じゃん、と思うとしたらそれは自分がWEIRDであるから。WEIRDでない人々も世のなかには多いし、人類の歴史を見ても、WEIRDな人というのは「風変わり」であった。

  • 累積的文化進化、という概念がある。これは、文化的動物である人間が、自前の文化(儀式、慣習、規範など)をどうして持つようになったかを考える理論。筆者は言及していないが、リチャード・ドーキンスのミーム(文化的遺伝子)が発想述べすにあるのだろう。狩猟採集民でも農耕民でも良いが、競合する集団Aと集団Bがあり、それそれ文化aと文化bをもっているとき、集団Aが繁栄して集団Bがほろびたとする。文化aには繁栄に関係する要因があり、文化bにはそれがない。繁栄する集団の文化aはコピーされ、模倣され、集団間競争で勝ち残る(生存)していくため、広がっていく。一方、集団の生存に不利または役に立たない文化bはすたれていく。こうして累積的に進化圧により文化ができてくる。

  • こうして出来上がった文化は、その文化を実践する集団にとって所与のものであり、たいていの場合、仕組みは分かっていない。これは、生存に有利な形質を自然選択で得た動物が、「どうしてその形質をもっているのか」という理由をわかっていないのと似ている。生存に有利な形質が遺伝し強化されていく(=進化)は原因でなく結果である。人間の文化は、「仕組みはわかっていないが生存に有利であるため、その集団内で代々続けられてきた」ものなのだ。この指摘は、面白い。「仕組みはわかっていないが生存に有利」は科学技術だけにあてはまるのだとずっと思っていたが、人類が累積的に進化させてきた文化も実は「仕組みはわかっていないが生存に有利」なのだ! たしかに、現代の学問的な切り口でとらえると、文化的実践にも「合理的根拠」があると言えるかもしれないが、その文化を始めた人たちは合理的根拠を理解して始めたわけではないのだ。そして合理的根拠がわかっていても・わかっていなくても、生存に有利であることは変化しない。これすごく重要。

  • 筆者がたどり着いたWEIRD化の要因は、親族ベースの共同体が西方キリスト教の婚姻規範により解体したこと、である。親族婚(といってもイトコ婚など)や財産の分配、労働の協力体制など氏族単位で作られた集団・共同体は、自分が誰であるという個人主義ではなく、自分がどの家族(氏族)に属しているかが重要である。血縁、婚姻、家族といった人間の生物的側面に根拠を持ちながら、文化的な発展・洗練をとげた親族ベース制は、集団間競争に勝ち、集団の繁栄に寄与してきた。

  • 1万2千年前ごろから農耕牧畜が始まる。氏族は氏族同士あつまり、強力な氏族と従う氏族に分かれ、氏族は首長になる。氏族の先祖は氏族神となる。神という超自然的なものへの信仰心は、人々の道徳規範に影響をあたえるので、集団として神概念をもっていることは集団の繁栄に有利。さらに集団が大きくなっていくと、非力で人間的な氏族神から、力強い普遍神が生み出される。対面的な儀式から、抽象的な信仰へ。

  • キリスト教(西方)が、親族婚(イトコ婚)を禁止し始めた。筆者が言う「教会の婚姻・家族プログラム(MFP)」にどの地域がどれくらい触れていたかによって、WEIRDかそうでないかの程度に違いが生まれるとデータで示される。教会が積極的に親族婚を禁止したのは、信者が死んだときに土地・財産を相続する親族が少なくなるようにし、相続者がいない場合は教会の資産としたかったから。教会が「よしWEIRDな人を増やそう」と思ってやっているわけではない。集団としての教会が自分たちの影響力を増やそうとした結果、MFPにたどり着いた。

  • 氏族神なり普遍神なり人間が超自然的な神概念を生み出したのは、人間の認知的傾向の反映(意識のバグ)である。体から独立した心を想定する傾向があり、その結果、体が死んでも心はどこかで生きていると考えたくなる。この認知的傾向が、超自然的な神概念や心身二元論の根幹にある。筆者は一貫して、「遺伝子が全部決める」でもなく「文化によってすべて構築される」でもなく、遺伝的な傾向を背景にして文化も進化圧によって淘汰される。人間の生存に寄与する文化は、遺伝的進化と関係している(共進化)という。

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