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映画感想文【死刑台のメロディ】

1971年 イタリア製作
監督:ジュリアーノ・モンタルド
出演:ジャン・マリア・ボロンテ、リカルド・クッチョーラ

<あらすじ>
1920年、第一次世界大戦後の不況にあえぐアメリカ。政府は移民の労働問題に頭を悩ませ、盛んに共産党狩りが行われていた。そんな中である製靴工場での強盗事件が発生し、容疑者に挙がったのが靴職人のニコラ・サッコと魚行商人のバルトメオ・ヴァンゼッティ。身に覚えのない2人は無罪を主張するが、イタリア人の2人に対する偏見は強く、一方的な裁判によって有罪判決が下されてしまう。


エンリオ・モリコーネ特選上映ということで、普段は行かないミニシアターまで足を運んだ。みんなマエストロのこと好きすぎるな。


ラ・カリファは見損ねた……

半ばから、もうずっと悲しい。
哀切たっぷりに流れる主題歌も相まって、悲しいなぁ、やるせないなぁ、という思いでいっぱいだった。

移民や共産主義に対する差別はフィクションとして強調されてはいるだろうが、実際も似たようなものだったのではないだろうか。
偏見につぐ偏見。
自分の貧しさが目の前の誰かの所為だと思いたい、人間の心理がこれでもかと強調されている。検事と裁判長はその最たるものであり、憎たらしいったらありゃしない(笑(笑い事じゃないんだけど

結論ありき、有罪ありきの裁判はあまりに一方的で、もし傍聴していたらその場で「異議あり!」と叫んで退場させられていたかもしれない。
なんとしてもサッコとヴァンゼッティを犯人にしたい裁判長たち。有罪に追い詰めていく理屈は端から見ても破綻していることは明らかなのである。
意識してなのか違うのか、検事側も弁護側でさえも頭が茹だりすぎて視野狭窄に陥り、裁判はただ感情のぶつけ合いの場と化してしまう。もう議論でもなんでもない。事件そのものはすっかり置いてけぼりである。
実際の裁判や取り調べもこんな風にして行われるのかと思うとゾッとする。

司法においてよく聞く言葉に『悪魔の証明』がある。
「ない」ということを証明することは非常に難しく、現代の日本の裁判制度で言うならば、一旦起訴されてしまえば有罪確率は9割以上。つまりそもそも裁判になる前、起訴する前に無罪を主張し「嫌疑なし」もしくは「嫌疑不十分」での不起訴処分を目指すべきだとさえ言われる。

1920年代のアメリカの裁判を現代の日本裁判と同列に扱うのはおかしい話だろうが、ともかく映画では、あたかもアナーキストに対する見せしめのショーのように裁判は進む。世論がここまで、世界規模で反発するとは予想外だっただろうが。

終盤、最後の望みの特赦を受けるべく州知事とヴァンゼッティが対話する。そこで州知事が言う。
「君がアナーキストでなければ、この裁判はこうも注目を浴びただろうか?」

サッコとヴァンゼッティがアナーキストでなければ。思想も主義も持たない単なる貧しい移民であれば、ここまで衆目を集めることもなかった。
またアナーキストだからと殊更強調され詰め寄られ、むしろ強盗よりもアナーキストであることが罪とばかりに非難され、彼らは己の主義を強めていく。
なんという逆説的展開。皮肉が効きすぎて悲しい。
法の下の平等とは、正義とは一体なんなのか。
こんなにも簡単に、人間の狂気に呑まれてしまうものなのだろうか。
そも人間の生み出したものなのだから、これが限界なのだろうか。
結局最後には、善性なんていう美しいけれどあやふやなものに頼るしかないのだろうか。
卵が先か、鶏が先か。理性と理想は共存しないのか?

裁判所で有罪を言い渡された二人は最後に反論はないかと裁判長に尋ねられ、ヴァンゼッティは「アナーキスト万歳!」とばかりありったけの思いをぶちまける。
対してサッコは何一つ言わない。自分は無罪だ、という一言すらない。
親の敵のように責められ続けたサッコは疲れ果て、彼に自由をと擁護する世間の声すら重くのしかかり責め苦となってしまう。これもまた見事な皮肉。
強すぎる感情の矢面に立たされて、サッコの心はポッキリと折れてしまったのだろう。
電気椅子に寄る処刑を前に、一人息子に残した手紙には結果に対する詫びと、「遊んでいるときの楽しさを忘れるな」とだけ。
己の無罪を伝える気力もなくなった父親に、息子は何を思うだろうかと考えればまた、一層悲しい。

題材となった事件は『サッコ・ヴァンゼッティ事件』として(まんまやないか)現実に起こったものである。
1927年に死刑は執行されたが、50年後の1977年に冤罪とされた。
が、それは行政側(知事)の話であり、司法側は依然正当性を主張している。振り上げた拳を下ろせないのだろうし、簡単に冤罪を認めては司法が成り立たないという理屈もある。
であれば尚更慎重に進めるべきだった……という思うのは多分、ありふれた感想だろうな。


こちらも冤罪を取り扱った悲劇(だと思う)


こちらは冤罪ではなく陪審員制度を描いた作品だが、強く連想された。


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