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読書感想文【おらおらでひとりいぐも】

2017年 若竹千佐子
2018年 第158回芥川賞受賞
2020年には映画化もされた。

夫を亡くした一人暮らしの桃子さん(70代)の猛烈なる独り言。

猛烈である。
ずーーーーっと、猛烈に、最初から最後までひとりごちている。
時折はた、とスイッチを切ったように思考停止に陥ったりもするし地の文ももちろんあるが、大体においてお婆さんの独白。しかも東北弁。

以前有吉佐和子の『紀ノ川』を読んだ時は、耳に馴染んだ和歌山弁であって読みやすさを感じていたが、それが今回は縁遠い東北弁となり、まるで呪文のようである。
生身で声として発せられ、音にして聞けばまた違うのかもしれない。しかし文字で書かれると難しい。文字は桃子さんの語りのまま、平易なひらがなで綴られ、返ってどこで一区切りつくのかわからないこともしばしば。
だがどこか小気味良い。

内心の言葉(一人称、東北弁)と地の文(三人称、標準語)とが混在しているが、そこに混乱はない。あまりない書き方に最初は面食らうが、慣れてしまえばその二つは非常に良いバランスで構成されていることがわかる。
そしていつしか桃子さんの猛烈なパワーに引き込まれ、ぐいぐいと読みすすんでいる。

70代。最近では健康でパワフルで、お金もそこそこあって彼らをターゲットに絞ったマーケットも存在する。
しかし桃子さんはそうした70代とは少々違う気がする。
元々内向的な性格であるのだろう、外へ外へと発散するよりは、ごく限られた内側を大事に慈しみ整える人だ。事実そうして家庭を築いてきた実績がある。
しかしそのもっともっと内側には煮えたぎるマグマがあったらしい。死火山などではない。外から簡単に見えないだけで、桃子さんの内側にはものすごいパワーが秘められていたのだった。

伴侶の死、という悲しくも決して避けられない人生の出来事をきっかけに、桃子さんは自分のルーツである東北弁でもって猛烈に独り言、自問自答を重ねていくようになる。
夫はどうして先に死んでしまったのか、
自分は自分を全うしていたのか、
精一杯戦ったことがあっただろうか、
今までの苦しみに意味はないのだろうか、……

それらは普通に生きている人が普通に抱くだろう疑問である。だが日々の忙しさにかまけてつい深く突き詰めず蓋をして、そのまま忘れてしまいそうになることでもある。
ひとりで生きる桃子さんは、だがそれをしない。我ながら理屈っぽくて面倒なやつだと認めながら、猛烈なパワーでもってその疑問に立ち向かっていく。そしてまだ自分は戦える、自分を生きていけると笑う。


作中の桃子さんは、一旦は人生の疑問に対する究極の答えに行き着いたかのように見える。だがそれは刹那の光明に過ぎないだろう。
生きている限り、脳みそでものを考える限り、人間は「どうして」を生み出してしまう。頼まれてもいないのに、自分でわざわざ。そしてまた答えをひねり出し、納得し、笑う。
堂々巡りである。しかし仕方がない。それが生きていくということだ。桃子さんなら、きっと最後まで秘めたるパワーで生き抜いてくれるだろう。
そう期待させてくれるラスト。
人生に乾杯。

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