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『上野武士と南北朝内乱』の読みどころ解説

2月の新刊、久保田順一著『上野武士と南北朝内乱ー新田・上杉・白旗一揆』(中世武士選書47)が刷り上がって参りました。刊行に先がけまして、本書の読み所を解説します。

著者の久保田順一先生は、これまで弊社から『上杉憲顕』『新田義重』『新田三兄弟と南朝』『上杉憲政』『長野業政と箕輪城』『戦国上野国衆事典』を刊行されており、まさに上野国(現在の群馬県)の中世史研究のスペシャリストと言えるでしょう。

本書ではタイトルにあるように、上野武士と南北朝内乱との関係を取り上げまとめていただきました。
皆さまご存知の通り、元弘3年(1333)5月7日に足利尊氏(当時は高氏)が鎌倉幕府の京都の出先機関である六波羅探題を落とした翌日、上野では新田義貞が挙兵し、5月22日には鎌倉を落として鎌倉幕府を滅亡させました。その後、新田義貞は後醍醐天皇率いる建武政権に重用され、南北朝時代の主役の一人となりました。また、鎌倉幕府倒幕には多くの上野武士が従いましたが、一方で幕府方に付いた上野武士も多く存在しました。
倒幕に加わった武士が取り上げられることはそれなりにありますが、幕府方に付いた武士について触れられることはほぼありませんので、ここが本書の大きな特徴となっています。
そもそも鎌倉時代において上野の守護を世襲していたのは鎌倉幕府を率いる北条氏にとても近い安達氏だったこともあり、上野国自体が鎌倉幕府と深い関係を有していました。その中で幕府方に加わるのか、それとも倒幕方に加わるのか決断を迫られた上野武士の動向は本書の大きな読み所の一つです。
第一章が「南北朝内乱前夜の上野国」として、鎌倉時代の上野武士たちの実態に迫っていますので、まずはここで鎌倉から南北朝へと移ろいゆく時代の流れ・上野武士の歴史に触れていただければと思います。

ところで、北条時行が起こした中先代の乱を契機に足利尊氏・直義兄弟らが建武政権から離脱すると、尊氏は後醍醐天皇が属する大覚寺統と対立する持明院統の光厳上皇に接近し、光厳の弟光明を天皇に立て、ここに60年にも及ぶ南北朝内乱が開幕することになります。
尊氏は建武2年(1335)に東国の新田氏の所領を没収し、上野国の守護として上杉憲房を任命したことから、上野においても南北両朝に分かれて上野武士たちの争いが始まりました。この後、紆余曲折を経て上野は上杉氏の守護国となっていきます。

さて、南朝と北朝の争いであった南北朝内乱はやがて北朝・室町幕府優位で進むことになりますが、ここで波乱が起こります。そう、足利直義と高師直の対立を発端とする「観応の擾乱」の勃発です。ここに、南朝・北朝の争いという要素に加えて、尊氏方・直義方の争いも加わり混沌とした情勢に拍車がかかりました。
ここで注目されるのが、上野の中小武士を中心に構成された「白旗一揆」の成立です。白旗一揆は尊氏をはじめとする足利将軍の下に結成され、数々の戦いに貴重な軍事力として投入されました。
はたして白旗一揆はどのような氏族によって結成されたのか?そして一揆はどのような目的を持って結成され、その後どのような歴史的変遷をたどるのか?
このあたりも本書の大きな読み所と言えるでしょう。

さらに、新田義貞の遺児義興・義宗の動向も見逃せません。彼らは義貞死後の関東における南朝方の旗頭となり、室町幕府・鎌倉府の統治を脅かします。そして義興・義宗の死後も彼らの遺児が関東で動いており、その活動を支えた基盤も気になるところです。

このように、本書では新田氏・上杉氏・白旗一揆の動向を中心に南北朝内乱を見ていきますが、もちろんこの他にも岩松一族・山名氏・大友氏・赤堀氏・那波氏・大胡氏など多くの上野武士たちが登場します。

彼ら上野武士たちの動向を通して、ある意味ホットスポットたる南北朝時代の上野国の歴史を楽しんでいただければ幸いです。

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