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ごみやしきもいろいろ

長女が躁状態になって、あの服、この服が嫌だ、などと言い出すと、家じゅうの服を出して、何とか、着る服を選ばないと先に進まない。
その結果、家の中のタンス、衣装箱の中身が散乱して、散らかりまくる。
平常なら、すぐ片付けるのだが、長女との丁々発止のやり取りの後では、私はもう疲れ果て、片づける気力が起きない。
これを一週間続けると、ごみ屋敷予備軍となる。
かくして、ごみ屋敷になるのはそれなりに理由があるのだよなということだとは理解できる。
しかし、我が家の場合、ごみ屋敷にはならない。

福祉に携わる仕事をしてきて、沢山のごみ屋敷を見てきた。
いちばん、びっくりしたのは、
「こんにちわあ。」とドアを開けた瞬間、玄関の内部で積み上げられていたであろう、新聞の山が、ザザザザアと私の頭に流れ出てきた時だ。
玄関内部にそれだけの新聞紙が積み上げられていたということは、もう長いこと、玄関を開けて、誰かが訪ねてきたことがないってことだ。

また、素敵なマンションにお住まいだった自称インテリ紳士さんのおうちの中は、新聞紙がきちんと積み重ねられ、それがブロック状になっているものだから、家の中は、新聞紙の塊でできた迷路を歩かないと奥へ進めなかった。
家の主が言うことには、
「いつか役に立つから、新聞はこうして保存している。」そうだ。
家の中の80%が新聞紙なので、座る場所もない。
絶対、これから先も役に立つとは思えないけれども、一人暮らしの高齢の彼の心の安定のためには、新聞紙の山が必要なのだろう。大地震がこなければいいけど。

おなじ間取りの団地でも住み方はいろいろである。
あるご夫婦の家は、衣類であろう布類が、ビニール袋に入れられて、きっちり縛られ、棚という棚、押し入れという押し入れ。床という床にきれいに積まれている。
こんなにたくさんの衣類は、売るためのものなのか。集めたものなのか。
着るためのものでないことは確かだ。
床は歩く場所と、内緒で飼っている猫の通り道だけ。
ではどこに寝ているのか。
それは、小学校の椅子くらいの幅しかない木のベンチだった。
落っこちないのかなと少し心配した。

寝る場所があるのはまだいい。
ある高齢のご婦人のお宅は、ビニール袋に入れられた何かが家じゅうに積まれていたが、高さも大きさもそれぞれで、這いずって移動するのも苦労した。
どこで寝ているのかというと、高さのでこぼこのビニールの上で寝ているそうで、腰が痛くてしょうがないと言っていた。
そしてこのご婦人はとてもプライドの高い方で、他人を受け付けない人だった。二言目には、
「あなた私を誰だと思っているんですの。私はあの女子大を出ているんですよ。」と有名女子大の名をあげる。(デビ婦人みたいな言い方で)

私が今でも忘れられないごみ屋敷は、ネグレクトされていた老婦人の部屋だ。一軒家に息子さん一家と同居しているのだが、廊下側のふすまにはタンスが置かれ、家の中からは行き来出来ないようにされていた。
庭に面した縁側から、出入りは出来て、そこから息子さんがコンビニ弁当を差し入れていた。
ご婦人は、ベッドに寝たきり、認知症もあり歩くこともできない。
部屋にはポータブルトイレが、炊飯器の隣に置いてあったが、どちらも使用した気配はない。
床はというと、このときほど、靴を脱いで部屋に上がったことを後悔したことはない。
おむつも排泄物も、残飯も床に散乱していた。
今までに見た最高のごみ屋敷だった。
ご婦人の足は、二倍にむくんでいて、浸出液がでている。
病気があるが、病院に行ったことがない。
認定調査して介護保険を導入し、医師の往診を仰いだ。
とにかく、医療につなげて、すぐにどこか施設に入所しないと。
私は汚れた靴下を捨てて、コンビニで新しい靴下を買った。
鑑識課の人が履くようなビニールのオーバーシューズが必要だ。

なんだかなあ。
一人暮らしでも、家族がいても、ごみ屋敷にはなるのだよなあ。

私は床のひんやり感が好きだ。
だけど、床の冷たさがつらい人もいるんだろう。
何かに包まれていたい人もいるんだろう。
それが新聞紙でも、衣類の山でも。

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