見出し画像

一日いっぽん。三日でさんぼん。

今日は、水泳カウンセリングに行きました。
障害のある子供や成人と、水泳を通してコミュニケーションを取り、楽しく過ごすという先生との一時間。
長女は月に2回、高井戸のプールに行きます。

朝、単線の私鉄に乗っていたら、
「赤い電車に乗りたかったよお。」と大泣きしている子どもがいました。
この私鉄は、4種類の外観の電車が走っていて、どの色の電車に乗れるかは、わからないのです。
だからみんな、「来た電車」に乗ります。
乗りたい色の電車に乗ろうと思ったら、何本か電車をやり過ごさなければなりません。
まあ、運よく、偶然乗りたい色の電車に乗れればラッキーです。
しかし、内装は全部同じなので、乗ってしまえば、それでOKなんですが、今日のお子さんは、終点に着くまでずっと
「赤の電車に乗りたかったよう。」と泣いてました。
電車は黄色の外観でした。

それを見ていて、人生みたいだなと思いました。
本当は、赤い電車に乗りたかったのに、たまたま来たのが黄色だったから乗ってしまった。
もし、黄色でなくて、赤い電車に乗れていたら、もっとましな人生が送れていたのではないか。
もし、日本ではなくて違う国で生まれていたら、全く別な人生が送れていたのではないか。
もし、この両親のもとではなくて、お金持ちのうちに生まれていたら、うんと幸せだったのではないか。

このお子さんすごいな。
なんて思っていたら終点につきました。

長女がトイレに行っている間、考え事をしながら待っていたら、お元気そうな、赤いパンツ姿のおしゃれな高齢の女性が、突然、
「大丈夫ですか?」と声をかけてきました。
びっくりして
「えっ、なにか?」と聞いたら、
「休んでいるようだったので。」と返事をされました。
たぶん、高齢の私がぼーっと立っていたので、お元気そうな高齢の女性が、声をかけてきたのでしょう。
いやいや、声をかけるときは、「大丈夫ですか?」って聞いちゃダメなんですよ。
と思ったのですが、ああこれは、自分は服装も若々しい活発な高齢女性だと思っている人が、くたびれた高齢女性に、ご親切に声をかけたのだな。
こころなしか、得意げなお顔のマダムでした。
良くある話です。

駅の通路で、ぼんやり立っているなんて、そうとうのくたびれ者に見えます。
実際くたびれています。
障害者の母は、いくつになっても、リュックとスニーカーです。
両手をあけて、いつでも走り出せるように。
「実はこういう事情で、私すごく大変なんです。」なんて話したらどうなるのかな。困るだろうね。

なんだかんだで、レッスンは終り、
「風邪ひかないようにね。」と先生に声をかけられて、さようならします。

帰り道の長女は、プールから上がってすっきりです。
「ぷーるがおわると、ほっとするの。」
「こえもちいさくなるし。」と大きな声で、話しています。
長女は躁状態になると声が大きくなることは自覚しているようです。
電車の中で、大きな声を出しているので、みんな見ています。

「すいぜんじきよこ。」
「一日いっぽん、三日でさんぼん。」と元気に歌っています。
それでは365歩にならないね。
母が見る映画の本数ですか?
お風呂上がりのヤクルト1000の本数ですか?

よろしければ、サポートお願いします。老障介護の活動費、障害学の研究費に使わせていただきます。