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ふしぎなきもちを紡いでいく

数日前に、長女とバス停にたたずんで、桜並木の葉が揺れるさまを見ていたときに感じた、なんともいえないふしぎなきもち。
とても、あたたかく、とてもおだやかな、ふしぎなきもち。
幸せな気持ち。
障害のある長女と共にいながら、一人でいる時に感じるような、自分自身の心の幸せを感じたあの日。
それ以来、あのきもちについて考えている。

無意識でいるとき。
自分の家で眠りにつくとき。
ぐっすり眠ることができるとき。
好きな音楽をきいているとき。

そういうときも、きっとあのふしぎなきもちは心の底で、続いているのだろう。
何しろ、私は長女と同じ家で暮らしているのだから。
その不思議なきもちをもう少し、広げていいけたらいいなと思った。

私は、編み物や縫い物が大好きだ。
布や糸を手で触っていると、とても心が落ち着いてくる。
糸を手繰って何かを作っている時、とても幸せな気持ちになる。

そこで考えた。
あのふしぎなきもちを紡いでいくことはできないだろうか。
形のないものではあるが、頼りないものではあるが、紡いでいくことはできないだろうか。
私の生活の中で。
私の暮らしの中で。

雨上がりの朝、くもの巣が、雫をつけてレースのように輝いているのを見たとき。
はかなくて、すぐ消えてしまいそうではあるが、今、そこで輝いているくもの巣のレースを見たとき、一瞬でもいいから、形になったらいいなあと思った。

なにせ、きもちなので。
形がないものなので。

でも、私自身が生きていくこと。
生活していくこと。
その暮らしの足跡が、ふしぎなきもちを紡いでいく証になるのではないだろうか。

インクルーシブだとか、合理的配慮だとか、私の周りでは考えることがたくさんあって、忙しい。
でも、今私にできること。
障害のある人とともにいて、とてもしあわせなきもちになること。
そのきもちをつないでいくこと。



ヘッダーの絵は長女が描いた朝顔。


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