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文化講座『身近な野草講座』 講師:松井宏光

こんにちは。note更新担当のたぬ子です!

平成20年度から開講している当財団の人気事業!それが『文化講座』です!

この講座は、愛媛県県民文化会館に外部講師を招き、文学や歴史などに興味・関心のある方々に向けて、学びの場を提供しています。また、当財団ならではの専門性の高い講座や地域の歴史・特性を生かした講座となっています。

今年度の『文化講座』は、対面講座:4講座+オンライン講座:2講座の合計6講座を開講しており、それぞれの講師にお話を伺っていきます!

今回、お話を伺ったのは
『身近な野草講座』担当の松井宏光先生です!

野草は星座とおなじ

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ー身近な野草講座はどんな講座ですか。

 ”知るチャンスが無かった周りの自然”を知るきっかけになってくれれば、いいですね。
 そもそも野草って身近にあり過ぎて、見ていることに気付けないぐらい風景の一部になっているんですよ。
 でも、それぞれの野草がどんな生き残り戦略持っているかとか、どう使われたかってことが分かれば、見方が変わって楽しみ方が増えると思うんです。

 例えば、ひっつき虫って毎年服にくっついてるはずなのに、みんな”ひっつき虫”って呼ぶから、本当の名前を知るチャンスが無かった。
 名前が分かったからといって、特別役に立つわけじゃないけど、名前を知ると愛着が湧くし、普段の生活も豊かになる。
 「ねえねえ、あの」って言うよりも、「ねえねえ、たぬ子さん」と言った方が親しみがあるでしょ。

 そんなわけで、もっと植物学的な講義をしようと思えばできるんですけど、専門的な話をしてもおもしろくないから、分かりやすく、かつ興味深い内容になるよう気を付けています。

実際の野草から得ること

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ー講義では、人数分野草を用意してくださっていますね。

 生徒さんが25人だからできるんですよ。
 30人以上になったらパワーポイント中心になってしまって、こういう形で講義はできないんです。
 パワーポイントだといろんな説明ができるけど、触ったり観察したりできないから、実物を用意できる範囲で講義を行いたいですね。

 この人数だと野外に出たり、天ぷらにして野草を食べるのもいいかな。
 春だと、オオバコの天ぷらが美味しいんだよ。

―オオバコのどこを食べるんですか。

 葉っぱ。ポテトチップみたいになるの。
 パリパリで、もう絶品!誰もがこれは美味しいと言いますね。
 オオバコの味が美味しいというよりパリパリ感と、つけ汁や塩の味がして美味しいって感じかな。

人間の”美味しい”は、野草の”防衛策”

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―美味しかった野草はなんですか。

 野草の美味しさっていうのは、タラやウドみたいな山草らしい苦みを美味しいと思うかどうかなんですよ。
 僕は、その苦みを春らしいと感じるんだけど、「美味しいなあ」っていうのは、あまり多くないね。

 木の芽和えに使う春の若葉が苦いのだって、虫にかじられないための防衛策なんだよ。だから若くて柔らかい葉っぱが1番苦い。
 それを、人間が”春の味”と喜んで美味しいと思う。
 あの苦さも、葉っぱが硬くなって、食べる虫もいなくなる夏の終わりごろから、弱まっていくんです。

 まあ調査でいろんなところに行って、野草がどこにあるかって割とインプットされてるから、食べることには事欠かないね(笑)

実感したから伝えられること

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―では、反対にまずかった野草はなんですか。

 まずいものは、有毒植物と世に言われているもの。
 でも、有毒植物って言われると「ほんとに有毒なの?ちょっと食べてみたいな」って思うんですよ。

 例えば、毒性の強いマムシグサの球根を半分に切ると、里芋みたいにちょっとヌルっとしていて、ペロっと舐めてみると、だんだんと喉の奥がえぐくて、ひりひりしてくる。
 そういうのをいろんな種類やると、「これは毒だから、食べたら口が痛いよ」って自信をもって言えるんです。だから、まずいと分かっていながら食べてみる。
 野草のおもしろさを伝えるために、本で書いてあることを自分で試したり、体験したり、なんでもやっています。

 1度食べてダメでも、1ヵ月経ったらいけるかもしれない。柿だって熟してない時は苦いけど、熟したら甘くなるでしょ。
 それと同じで、もう1度試す価値はあると思いますよ。

ー有毒って分かりながら食べるの怖くないですか⁉

 怖さよりも、新しい発見に出会えるかもという期待の方が大きいかな。

 なので毒があると言われている実でも、鳥が食べるものなら、まず食べてみますね。木の実ならなんでも食べますよ(笑)

 そのなかでもピラカンサの実は、すごいまずかった。
 でも何度も食べていると、ある時だけえぐさが無くなって、ちょっと甘くなるんです。
 長い期間鮮やかな赤い実がついているけれども、「鳥はこの瞬間を狙ってるのか!」と驚きました。
 鳥は、1回食べてうまいと思った記憶があるから「今回もまずい。でも前食べた時は美味しかったんだ」って思いながら、何度も何度も食べる。

 つまりピラカンサは、鳥が食べる期間を長くして、種をいろんな方向に飛ばしてもらおうという作戦なんだ!と思ったら、生態が理解できる。
 これだって、僕が何度も食べてみて「美味しかった瞬間があった」と体験しなきゃ、実感をもって言えないですよね。

野草は想像のアイテム

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―先生にとって野草はどんな存在ですか。

 思いがけないところに新鮮な発見があるんだよ。
 野草に張っている蜘蛛の巣に朝露が残っていて「ああ、これ綺麗やなあ」とか、この野草がこんなに広がってきたってことは、田んぼが耕作放棄されてしばらく経つから次はこれがなくなるなあとか。
 今日はイノシシが地面を掘っていて、彼が土をかく乱してくれるから状態が安定せずに、いろんな植物がそこに生えるんだな。イノシシくん頑張れ!って思ったり。

 野草だけを見るんじゃなくて、野草を取り巻くその環境全体を見る。
 そっちのほうがおもしろい。

 貴重種を発見することも嬉しいけれども、同時にそれが生えてる環境が今どう変わっていて、これからどうなっていくかってことを、草を見ながら想像することのほうが、僕はおもしろいです。

 というか、それがメインの仕事ですね。
 でも多くの場合は、自然が無くなっていって将来が予想ができない。
 宅地化が原因っていうことは割と少なくて、自然のまま遷移が進むことで単一な環境になってしまう。

 それまで草かりをする、田植えをするって定期的に人間の手が加えられて、十分な土のかく乱があったから、いろんな生物がそこに住めたんだけれども、それが無くなると一つの方向にずーっと進んでいく。

 ススキの原っぱになって、さらに樹林になっていく…

 人間の関わりがずいぶん減った土地は、野草を見る楽しみよりも気がかりなところばかりだね。

過去・現在・未来を読み解くセンス

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―先生のご専門である植物社会学を目指す方に、一言お願いします。

 植物がそこに生えているのは、何かしらの意味があるんです。
 まったくの偶然で、たまたまそこに種が落とされたかもしれないけれども、その種が芽生いて土地に根付いてるってことは、環境の何かが合ってたということなんですよ。
  
 そして、偶然芽吹いた植物が集まったのが林なんです。
 じゃあ、その林に起きた偶然ってなんだったのか。
 山火事で辺りが明るくなったからとか、大きな木が倒れて光が当たるようになったからとか、山崩れでなにも無くなったからとか、何かイベントがあったはずなんです。
 じゃあ過去にあったはずのイベントが無い今は、これからどうなっていくのか。

 謎解きみたいなものですよ。

 例えばここに、クヌギの林がある。
 クヌギって自生ではあまりないので、今は自然な林に見えるけれども、樹の太さからすると30年前に誰かが植えたんだなあ。
 じゃあ、なんで植えたんだろう。シイタケ栽培のためなのか、薪炭林のためなのか。でももう両方とも必要なくなってほっとかれてるのかな。
 林には、もうクスノキやシイノキが芽生えているから、30年したら入れ替わるな…って。

 これが植物社会学の林を見るセンス。
 目の前にある植物の風景から、何をどれだけ多く読み取るか。
 そのために調査が終わったら、とりあえず林の中に座り込んでみる。お弁当があったら、そこで食べる。
 林と対面すると言ったらかっこよすぎるけれども、今の林ができるまでの歴史を想像してみる。
 斜面の高さや水分条件、陽当たり…ヒントは風景の中にたくさんあるんですよ。


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