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文化講座『現代文学鑑賞講座』 講師:堀内統義

こんにちは。note更新担当のたぬ子です!

平成20年度から開講している当財団の人気事業!それが『文化講座』です!

この講座は、愛媛県県民文化会館に外部講師を招き、文学や歴史などに興味・関心のある方々に向けて、学びの場を提供しています。また、当財団ならではの専門性の高い講座や地域の歴史・特性を生かした講座となっています。

今年度の『文化講座』は、対面講座:4講座+オンライン講座:2講座の合計6講座を開講しており、それぞれの講師にお話を伺っていきます!

今回、お話を伺ったのは
『現代文学鑑賞講座-言葉を中心に-』担当の堀内統義先生です!

小説や詩は貴重な経験を与えてくれる

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―現代文学鑑賞講座の見どころはどこですか。

 松尾芭蕉の『奥の細道』ってあるでしょ。あれね、一緒に旅をした曾良(そら)って弟子がいるんだけど、曾良の書いた日記と『奥の細道』では違うところが多いんですよ。
 それは、曾良が本当に出会ったこと・起こったことをそのまま書いているのに対して、松尾芭蕉は出会ったこと・起こったことを全て自分に意味づけて書いてるからなんだよね。
 記録としての曾良の日記とは一致しないけれども、「その人にとって、ある出来事がどういう意味で価値があるか」ということを、芭蕉の『奥の細道』は表現していて、そこに芭蕉の真実があると思うんです。

 それにね、「絵に描いた餅は食えぬ」ってあるでしょ。確かにそうなんだけども、「絵に描いた餅でなければ食べられない」っていう、人間に対する理解の仕方もある。それが詩や小説を読むことだと思うんですよね。

 講座に来ていただいてる皆さんは、受け止め方や事情、人生もそれぞれ違うけども、「人生の一場面で詩や小説をどう受け止めていくか」ということに少しでも役に立てればいいなと思っています。

講座の資料ってどう作る

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―講座の資料は本の内容を先生が抜粋されているんですよね。

 作品を抜粋する場合もあるし、作者について紹介している文章を抜粋して作品の背景が分かるようにしている場合もあるね。

―資料を抜粋する時のポイントはあるんですか。

 やっぱり、作者の特質っていうか個性が表れているようなものを、資料にしたいなとは思っているんだけどね。

―そういう箇所を1冊の本から抜粋してらっしゃるんですね。

 それと、講義では僕が心を動かされてる人ばっかり取り上げてるので、「僕がこの作品のこういう点に心を動かされています」というのが、伝わるようなそういう素材の選び方はしているね。

作品に向き合う

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―読み手としては、作者をよく知っている方が小説の内容を深く知ることができるのでしょうか。

 作者を知るというより、執筆時の作者のありったけを使って表現した作品そのものに向き合ったほうがいいと思うよ。
 作者を知るっていうのは、一種のゴシップみたいなものだからね(笑)

 「全ての作家・詩人は、無名であれ」って言葉があるんだけど、無名っていうのは、作者のことは置いといて作品だけに向き合って、作品の世界を味わいなさいってことだと思う。僕もそう思いながら読んでるよ。
 でも、講座では作者のことを情報として伝えないといけなくなるんだよね。だから、作品の本質に関わる情報というよりは副次的な情報として紹介してるつもりかな。

坪内少年と出会った新聞は”僕の原点”

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―現代文学と出会ったきっかけを教えていただいてもよろしいですか。

 僕は、子どもの頃から本を読むことは好きだったんだけれども、特別に好きだったわけではなかったんだよね。
 でも高校1年生の冬に、川之石高校3年生の少年が『石斧の音』っていう詩集を出して、その内容が現代詩の水準に迫るっていう愛媛新聞の記事を読んだんだ。
 それまで、教科書に載っている詩に心を動かされなかったんだけど、そこに引用されていてる詩を読んだ時に、同じ高校生がこういう詩を書くんだ「へー」っと思って、詩とその少年に興味をもったわけですよ(笑)
 その少年というのが、俳人としても近代文学の研究者として有名な坪内稔典さんなんだけどね。

 それで僕が高校2年生になった時、川之石高校から国語の先生が僕のいる高校に転勤してきたの。その先生に坪内少年の事を聞いたり、詩に興味をもってから知りあった詩を書いている大人から詩集を貸してもらったりしているうちに、現代詩というのによりひきつけられていったね。
 
 昭和38年の愛媛新聞で、戦時中から戦後にかけて業績を残した愛媛に関わりある詩人たちのことを、『無名詩人の光芒』という題名で紹介されていたの。
 それを読んで『無名詩人の光芒』って題名だけれど、詩人っていうのは人生の中でそれぞれ自分の信じた道を、有名でも無名でもしっかり辿る人なんだなと知ったわけ。
 そこから詩というものに関心をもって、自分なりに続けてきたという話なんだよ。

人生の伴走者

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―そうして出会った現代文学ですが、今の先生にとってはどういう存在ですか。

 ”現代文学”っていう冠を意識しているわけではなく、身近にある今の社会や今を生きる人たちの有様が描かれている同時代の文学として、自分の人生の傍らにある伴走者みたいに触れ合ってるという感じだね。
 人間は一人一人がミクロコスモスで、一つの歴史であって一つの物語であるっていう考え方があるから、それに対して小説や詩に助けられながら、まあどうにか現実と折り合いをつけていくというか…。
 とにかく、”今を生きる人間の傍らにあるもの”という風に考えているだけで、各段何かっていうことを意識しているわけではないんだよ。

本の選び方について

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―本を選ぶポイントを教えてください。

 僕も若いころから本を読むのが好きだったけど、自分で選ぶっていうのはなかなかね。書店で本を手に取って、ぱらっと見て買うっていう出会いもなくはないけど、やっぱりそれは行き当たりばったりだからね(笑)

 それで僕はね、自分が好きな作家や詩人が色んな文章に書いてる・紹介してるようなもの、ずっと読んでるね。そうしていくと、そこからまた色んな世界が広がっていくわけ。
 書店に行っていっぱいある本の中から自分で出会った本もあるけど、多くはそういう出会い方だね。好きな人たちが感銘をうけたものを、どういう感銘を受けたんだろうって思って読んでみる。
 そういうのを道しるべにして、本を選んでいるよ。
 
 それと、各新聞の読書欄にある新刊の書評で紹介されていて、読んでみたいなって思うものは買うようにしてるかな。でも、書評ですごい褒めてても自分に合わない本もある。
 自分にぴったりな本に出会うっていうのは、なかなか難しいよ…。うまく出会えるときもあれば、そうじゃない時もある。
 それは、人生なんでも言えるかなとは思います。

“言葉で表現できないものを言葉で表す”

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―現代文学に関心のある方々に一言お願いします。

 本当に今はね、本が読まれない時代ですよね…。
 本を読むことが、かつてと比べて少なくなってきていると思うんだけど、小説や詩などの文学作品は、人間にしかできない心の働きっていうのかな、目に見えない何かが書かれてあるんだよね。
 そういうことまで読み取れるような読み方をしてもらいたいなと思っていてるね。

 例えば、悲しいことを“悲しい”とそのまま書いてしまったら、なかなか本当の悲しみは書ききれないと思うんだ。
 “悲しい”と書いてしまったことで、読者はその先へ心を羽ばたかせていくことができなくなってしまうからね。

 これが本当に難しいんだけど書き手は、“言葉で表現できないものを言葉で表す”というのが大事だなって思ってる。
 人間の心の働きに耳を澄ませることで出てきた一言で、読者は自分なりの道が開けることがあるからね。

 だから読者には、そういうところまで読み取ってもらう訓練ができればいいと思ってる。訓練というか、本をたくさん読むという経験かな。読み取れるかどうかは、経験値があるかないかだと思ってる。
 それにね、読み取る能力を獲得しようと思って読むんじゃなくて、自然体で作品と接していたら、その中で自然と身につくんじゃないかなとも思うね。

―言葉にできない言葉ですか…。

 “言葉で表現できないものを言葉で表現してる”ね。
 それをキャッチしていってもらいたいなあと。

―読み手が上手にキャッチできれば、本の楽しみ方が広がるんですかね。

 それぞれの文学作品の中に、普段見逃されているものを表現するってことがあると思うんだけど、そういうことに読者が心を寄り添わせてることで、”作者の想いを超えて予想もしない方向に読者が目覚める”っていう経験を読書で体験してもらえれば、作者は一番嬉しいんじゃないかなあと思うんだ。


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