エハン・デラヴィ

1952年、スコットランド生まれの意識研究家、講演家、著述家、世界冒険家、ジャーナリス…

エハン・デラヴィ

1952年、スコットランド生まれの意識研究家、講演家、著述家、世界冒険家、ジャーナリスト、インタビュー番組制作者兼司会者、映画制作者、リモート・ヴューイング指導者、コーポレート・アドバイザー。主著『太陽の暗号』など。https://echan.jp

最近の記事

日本の魅力?

僕はいま神戸の市街地から車で北に30分の兵庫県三田市に住んでいる。有名な有馬温泉にもほど近いこの地には温泉も湧き、高原の風が緑のなかを渡ってくる気持ちのいい場所だ。三田温泉の露天風呂につかりながら、あらためて人生の不思議を思わざるを得ない。スコットランドの寒く暗い海辺の町で生まれた僕が、なんで日本の温泉に入っているのだろう? いったい僕は何を求め、何を捜し続けて、日本という国を発見したのだろう。日本に住むのは、これで2度目になる。1974年、22歳のとき初めて日本に来た。それ

    • お遍路は人生だ!

      7月11日の朝、神戸は夏空が広がり、風が強く吹いていた。僕はバイクにまたがり、一路徳島市を目指していた。リュックにはノートパソコン、本、着替えに巻き煙草、そして巡礼地図。お遍路には決まったルートがあることは知っていたけれど、事前にあまり調べることはしなかった。そもそも、僕はガイドマップみたり、事前に調べたりすることは好きじゃないんだね。若いときからそうだった。「インドはだいたい東のほうでしょ」とかね。アバウトに分かれば、とにかく行けばいいんだ。調べすぎるとロクなことはない。縛

      • クレージーな大冒険野郎の誕生

        初めての旅は自分が生まれた国、スコットランドの中だった。本が好きで真面目だったけど、僕はまだほんの少年だった。ある日、ヒッチハイクで旅することを決意した。バッグかついで、行く先も決めず、計画も立てなかった。お金も持たなかった。自分の力でどこまで冒険できるか、何が自分の人生に起きるのか、それを試してみたかった。そしたらこれが面白い。毎日どこまで行くか、誰に会うか、何をするか、誰にも決められないし、何が起きるか分からない。こんな楽しいことってあるか!と思った。 あるスコットラン

        • 世界を旅するスコットランド人

          巡礼者とは目的を持った放浪者である ピース・ピルグリム 私はスコットランドのアバディーンという都市で生まれました。放浪者で有名な都市です。その都市のテーマソングは「旧アバディーンの北の光」と呼ばれており、その名前の通り、私たちは毎年ぐらい、そのかなり北の緯度から'Northern Lights'と呼ぶオーロラを見ることがありました。歌の一部はこんな感じです: 僕は生涯放浪者で、数多くの光景を見てきたがアバディーンへの帰路につくその日が早く来ますように! ピース・ピルグリ

          バブル、厄年、異次元体験

          ブログ Vancouver Island カナダはイギリスの植民地だったから、スコットランド人の僕なら、簡単に仕事を見つけられると思い込んでいた。例によって、事前に調べるということをしない性格だから、仕事なんていくらでもあるさ、という感じだった。しかし、一般の常識では違うみたいね。イギリス人であろうが、中国人であろうが、みんな移民が社会で仕事を得るには決まりきった制度がある。いわゆるグリーンカードだ。何にも考えてなかった僕は、とにかく住む家を借りて弁護士に相談した。すると

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          僕はいま神戸の市街地から車で北に30分の兵庫県三田市に住んでいる。有名な有馬温泉にもほど近いこの地には温泉も湧き、高原の風が緑のなかを渡ってくる気持ちのいい場所だ。三田温泉の露天風呂につかりながら、あらためて人生の不思議を思わざるを得ない。スコットランドの寒く暗い海辺の町で生まれた僕が、なんで日本の温泉に入っているのだろう? いったい僕は何を求め、何を捜し続けて、日本という国を発見したのだろう。日本に住むのは、これで2度目になる。1974年、22歳のとき初めて日本に来た。それ

          魂の千一夜:紹介ビデオ

          友人の息子さんルーク・ハンコックに依頼しましたらいつも素晴らしい動画を制作してくれます。よかったら見聞きをして下さい!

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          日本病と炎の洗礼:パート1

          1974年、僕が妻と最初に暮らしたのは、京都北部の小さな村、八瀬大原だった。妻が勉強していた墨絵の先生の関係もあったし、僕にとっても八瀬大原はロマンティックな場所だった。サリンジャーが禅の勉強をしているときに滞在したり、アメリカの詩人のゲリー・スナイダーが住んでいたり、結構有名な外国人の縁がある場所だったのだ。 J.D. Salinger ここで半年、そのあと市内に移った。全部左京区エリアだった。例えば宮本武蔵の決闘で有名な一乗寺付近とかね。日本文化の匂いが充満していて、

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          イルカ療法

          今回の投稿は来月の出版予定「魂の千一夜」の原稿から一部を紹介します