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心ふたぐ日、その処方箋

今日は苦しかった。
家で仕事をしていると、胸の辺りがグッと詰まったようになってしまう。

パソコンの画面をみながら、目の淵までざんぶらと涙が込み上げてくる。
キーボードを叩くはずだった指は、力なくそこにじっとして動かない。

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今日はもう仕事は無理だと諦め、苦しさの原因を紐解いてみる。
1日がかりだった。

どうやら、「やらなきゃ」で頭がいっぱいだったのがまずかったらしい。
苦しい時の私は大抵、できていないことばかりに目がいっている。


とりあえず、日々の仏語の勉強は1冊の文法書を2周やり通すだけ、ということに決めた。
あとは気まぐれに原書を読んだりラジオを聴いたり、その程度に留めておく。
あ、絵本の翻訳も今月中に1 冊してしまいたい。
でも、それで終わり。

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今日は息子を風呂に入れてやる元気がなくて、息子のお歌のリクエストを聞きながらひたすら夫の帰りを待った。

夫が息子を風呂に入れている間、なんとなくYouTubeを開いてみる。
なぜか、震災で家族を失い一人ぼっちになった少年と、彼と新たに家族になったその叔母のドキュメンタリーがおすすめに上がってくる。

サムネイルを見ただけでもいかにも泣けてしまいそう。
大きく心を揺さぶりそうな動画って、決まって尾を引くから普段は極力見ないようにしている。
でも、今日はなんだか心ひかれた。

見終わってから、足りないものばかりに目が向いている自分を恥じた。
足りないものばかり一生懸命数えているうちは、今目の前にあるものを一つも見られていない。
例えば、息子が無邪気に私の抱っこを乞うてきたとしても、そのかわいさは私の心に届いていない。
今この瞬間、かわいいかわいい息子はここにいて、ひしと私を抱きしめてくれているのに。

私はそのことを、心底恥じた。

愛する息子と夫がいて、ご飯が食べられていて、本も読めて、こうしてパソコンも繰れて、お風呂に入れて、コーヒーが飲めて、マニキュアが塗れて、

私は全部持っているんだな、と思った途端、胸のつかえはスッと消えていった。

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