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【夢考察】非二元・悟り

ときどき、思いついたことをスマホのメモに書いておきます。
そしてときどき、私のポンコツ脳を無視して手が勝手に書いてます。

考えて書いているうちに、手が乗っとられていく感じ。
まあ、書きたいだけ書けばいい。

「夢考察」というタイトルのメモがあったので、
読み返してみたら論文なみのが出てきました。 
夢考察というより非二元・悟りについてな気がしますが。


複数ある世界


【現世】(現実・三次元・現象世界

物質界を拠点とする世界。

「ワタシ」が中心であり外側を見ている世界。

「記憶」「価値観」「時間と空間認識」「他者」「自分と自分以外」がある世界。

それと、睡眠中の世界から戻ってきたときに記憶している「世界」

どういうわけか、
眼耳鼻舌身意(ゲンニビゼツシンイ)、
見る匂う聞く味わう感じる、など五感を通し、
物質界の物質を感じとり、思考の中の記憶により
ストーリーを作れるシステムになっている。

そしてズブズブとストーリーにのめりこむように出来ている。
なんでか知らんが。

そして、その状態を自分以外の人も同様に体験し、自分と自分以外の他者には共通の認識やルールや価値観が存在し思いこんでいる。

「ワタシ」の世界の中でそう、思いこんでいる。

だからまず、

「ワタシ」の世界があり

「ワタシ」の世界の中に他者の世界があり

その他者との共通の価値観や認識の世界があり

それを共有しているであろう感覚と認識があり

その「ワタシ」の中の「ワタシと他者」には、共有しているつもりの認識(思いこみ)によるそれぞれに別のストーリーであり、
じつはそれは全く共有されていないことには気づいていない。

シンプルに言えば

・それぞれは同じ世界の中にいると思いこんでいる
・それぞれが全く別々のストーリー世界の中に浸ってることに気づいていない
・と、思っているワタシひとりの認識しか認識のしようがなく、確かめることさえできない


ということだ。
何十構造にもみえて、シンプルにいえば「ワタシひとつ」といえないこともない。

さらに言うのであれば
ワタシ自身の顕在意識も「知ってることしか知らない」
その知ってることの中で、すべての情報認識を賄おうとしているわけだから無理がある。
宇宙に無限の情報があるにも関わらず、狭い領域でしか理解できない。

そこで95パーセントあるという潜在意識、
これすらある程度の認識を100としたならばの仮定の話しで、
実際には潜在意識はもっと多くの領域が深く深くあるように思う。

個人の顕在意識をひとつの小さな点としたならば潜在意識とは宇宙空間そのもの、というくらいの違いがあるのではないだろうか。

5%対95%なんていう対比ではなく、5%対無限大。対比にもならない。
だから、その無限大の領域の中に5%がただ組み込まれて顕現しているだけ。


アカシックレコードと呼ばれる領域


すべて「ここ」。

「ここ」にある、のではない。
ただ、「ここ」なのだ。

今ここ、というがそれは
個人から見た時の状態であり情報である。
点から見た時の情報である。

点ではなく、点を含めたすべてから見た時は
すべてがここ、ここがすべてになるわけだ。

だから、個人である点程度の我が認識も、見えてる感じてる世界も、この世もあの世もすべて「ここ」。

「ここ」なのだ。場所ではないけど、まあいいや。

そう言う意味では区分けされた名前のあるそれらは
たしかに「ここにある」といえる。

そしてここにあるもの、それは
個人的認識なんか、もはやどうでもいい意味での
広大で膨大で無限の情報のすべて、
とうぜんニンゲンのガラケーなみの知性では知り得ない。

すでにここがアカシックレコードの領域。
ブラックホールでいうなら、事象の地平面、宇宙そのもの、神の領域。
そして単体神など存在せずただその領域だけがある。

触れてはいけない神の領域などない。
なぜならすでにその領域内にいるわけだから。

アカシックレコード内にいながら、ガラケーレベルのニンゲンの知性ではアクセスできない。
というか、電圧違いというか、互換性がない、からだ。

そしてそれも、点である個人レベルから見た時の話し。

あくまで個人は、その領域にいたがる。
居ようとする。

あくまでも「言語化した理解」「イメージ化した理解」「理解できる理解」
すなわち、結局のところ
「知ってることだけで賄おうとする」のだ。

そんなもんを遥かに超えた理解、というものがあり、それ自体、言語化できない、定義づけられない、小さな枠に押し込めることなど不可能領域であること、
不可能性定理。不確定性原理。

むしろ、言語理解ですべてを定義つけることが不可能である、というただひとつの法則がある。

個人はまず、このことを念頭におかなければならない。

アカシックレコードはここだ。
そして、この世もあの世もここだ。


個人レベルの認識



まず、人生ストーリーがあると思っている。

規則やルールや法則があると思っている。

その法則にしたがうべきだ、と思いこんでいる。

従わないと何らかの罰則を受けると思いこんでいる。

その罰則を受けるのは個人である「ワタシ」だと思いこんでいる。

ひとつひとつ読み解けば、
まず、

▪️人生ストーリーがあると思っている。


時間空間記憶、それとその記憶から作りだす未来幻想、思いこみからくる「現実的理解」とそれを絶対とし疑わない「信念」がある。

「過去の経験(記憶)」ですり込んだ観念信念概念をもとに、思考反応している。

それらの記憶を「ワタシが行ったこと」「ワタシの記憶」「その積み重ねがワタシの人生」と思っている。

言うなればただの記憶。
その記憶に信念や観念に基づく感情や心の機微をエッセンスで脚色し、
演出されたものが「人生ストーリー」。

これは観念信念概念の書き替え(考え方が変わる、新事実を知る、など)により、
記憶のストーリーそのものが変わる。

つまり人生が変わる。
人生観も書き変わる。

思考はじつはそのくらい、曖昧である。
捉えようで変わっていくものであって、普遍的でも不変的でもない。
曖昧なもの。
そこに付随している価値観もそこそこに曖昧なもの。

観念の観、のつくもの。

人生観だの、死生観だの、恋愛観だの、価値観だの。
それらは思いこみによる、自分ポリシーみたいなものだ。
想念的なものであり、エッセンスの材料でもある。

べつに悪いわけではないが
とらわれる必要はそこまで感じない。
それこそ個人差あると思うが。

▪️規則やルールや法則があると思っている。


たしかにある。
それは自然界に存在するサイクル。
そのサイクルは同じように巡ってきつつ、常に渦巻くように変化している。

上も下もない宇宙だが、何か大きく渦巻いてゆき
エントロピーの法則によりいずれは拡大し消滅し、またひとつの粒になる。

それが素粒子のようなものか量子的なものか、
あるいはそうではなく、振動の素になる未知のものかなにかはわからない。

創造主がいないのだから
それが何かなどおそらくはだれも知らず、逆にだれもが知っているはず。

人はなんでもルール化したがる。
「こういうものである」という定義がほしいのだ。 
そういうことにしておく。

名前をつけるだけでいい、なぜかそれで安心するらしい。
名前のない未知のそれが
名前のあるものに変わった瞬間、とらえられると思うらしい。

体調が悪く病気かどうかわからない未知的状態であると不安でたまらかないが、
病名がつくとなぜか安心する。

なんであれ、名前や定義付けられた意味・価値にせよ、言葉で示されることで思考は了解し、不安フォルダ(unknown)から取り出すことができる。

それはエゴのひとつの側面かも知れない。

じつは何も状況は変わっていないのに。
それに名前があろうがなかろうが、認識できる何かがある以上、それはあるのだから。

そしてそれは、認識した個人の中にあり、その対象は認識されることで存在する。

細かい法則に名前をつけても意味はないが、あるとしたらそれで安心するという、エゴのためにあるようなもの。

エゴが怖がりさえしなければ、未知なるものは未知のままですでに存在している。

お互いに。

▪️その法則にしたがうべきだ、と思いこんでいる。



従わないと何らかの罰則を受けると思いこんでいる。

その罰則を受けるのは個人である「ワタシ」だと思いこんでいる。

完全にストーリー。

いつどこで決まったか知らないようなルールに勝手に踊らされている。

歴史や創作された物語・ドラマ・報道のなかで情報を得てその観念により
原因と結果に結びつけている。

そして、そうなるものだ、という思いこみがある。

物質界次元でいうのであれば、思いこみ情報は肉体にすでに刻まれている。

その情報は主に血液、細胞、各種遺伝子、DNA。

言ってみればサイクルの中で刻まれている密度が高く、重なりあっている結果が常にあり、それが肉体に現れている。

渦巻きは初めはゆっくり回転していくが、外周に向かうにつれ、速度を増してゆく。

進化速度(渦巻きのサイクル地点が重なり合うこと)は具現化にもつながり
今の時代はそれが早い。

物質界の物質は時間経過を伴うように見える。

そう見えるが実際は、刹那があるだけで、物質界の物質は硬く物質化されているようで常に形の微妙に違う刹那があるだけ。

それが同時におきている。

ルールや法則に従わないと自分に悪いことがおきる、という思いこみは、
やはりただの思いこみ、想念の結集態を拾って採用している。

採用しているのも「誰が」ではなく勝手に起きた採用で、その採用により「個人」が現れ、それ自体が表現である。

すべて個人からすれば、自動的に感じる。
しかし宇宙全体からすれば、
それは自動でも法則でもなんでもない。
ただ、それが起きている。
それだけだ。

そしてエゴ(自我・意味づけ認識機能)が発生し増幅し、
これだけ無限にある意識の大海のなかで、ほんの雫のような自我が、すべてを経験していると思いたがる。

そして当然、大海の中の雫はそもそも大海の一部。
すでにすべて知っている。

そして
大海とは無限の雫の集合体ともいえる。
人に限らず「色」として現れているすべてに。
情報を得ては大海に溶け出し、また雫となりて、情報を得る。

個人としてわからないのは、その情報で表出しているこれは、何故この造形として表現されているのか。

これも宇宙の自然のサイクルによるものなのか、おそらくはそういうことなのだ。

ここにあるそれらは、決着として意識次元の認識なだけである。

これを完璧という覚者は、個人レベルでいうすべての有無、意味のなさ価値のなさを超えた、ただ深い認識だけがある(つまりはない)と言えるのではないか。

夢の中


となると、
4層構造のニンゲンのあり方は、それ自体特別でもなんでもなく、4層だろうが何層だろうが、その解明そのものは、やはり認識に名前をつけたにすぎない。
(4層=肉体・エーテル体・アストラル体(想念体)・霊体(ハイヤーセルフ))

ただ、そうあるだけなのだ。

夢の中の認識は
物質界から分離された雫の意識が徐々に大海に戻っていくだけ
であり、

逆に言えば、物質界にある個人を中心とした肉体レベル、つまりあると信じこんでいる物質そのものも、やはり信念によるものであり、意識はそれを色濃く認識するようにできている。

本来、肉体のある意識は、物質界の物質に関するフィーリング、感想、場、間、の情景を作りだすことであり、
その情景は美しい醜いのボーダーラインの概念などはない。

枯れた花にさえ趣きがあり、それを美しさと感じる感性さえ、この大海の中には存在する。

あらゆる概念や観念とは、ニンゲンのエゴが作ったボーダーラインに従うこと。
それに抗うと抵抗感が生まれる。

個人は「こちら側が正確、正義、というボーダーライン」を採用しているかぎり、そういった観念のある限り、抵抗感は生まれる。

その採用した価値観に合わないものは、マイノリティ扱いされる。

もともと協調、調和、ひとつでありたいと思う、種族の本能は残っていて、
それを「ルール化」する概念で、本能そのものを無意味に固定化してしまった。

すべてにおいて、固定化できるような、概念化できるようなものはなく、
それは本能と定義づけた何らかの状態であっても同様で、縛ることは不可能。

本能さえも流動的である。

ニンゲンは定義つけるという手法をとりいれてから、
なぜか意識の進化そのものを抵抗感により遅らせた、あるいは退行させている。

考えているとおり
物質的認識(意識までも定義つけ固定化していく流れ)は、可能だったことを不可能と断定してしまうこと。

そもそも大きな完全なる情報の大海であるひとつが、無数の雫になり循環していく作業には、やはりシステムとしてである。

大海でありながら雫でもあり
雫でもありながら大海でもある

さらに大海を大海たらしめる空間としての「空」があり、その両方をもってしてでないとどちらも存在し得ない。

色がなければ空を
空がなければ色を
認識することはできない

ニンゲンは愛を感じることができる。

愛の中にいれば、なんの刺激もなければ
愛があることを認識もできない。

全受容である肯定があるのは否定の感覚があるから。

ポジティブを感じることができるのは、ネガティヴがあるから。
どちらか片方だけでは存在しえない。

もしも、ポジティブも求めるのであれば、ネガティヴがあることを認識すること。
逆も然り。

どちらかしか選びたくないのであれば、どちらも消すこと。
トピック(論題・お題)を立てない、トピックがない状態であれば、どちらもない。

どちらもないが
認識だけはある。

そしてそれこそが、全受容、全肯定。愛。




※結局、夢考察というタイトルをつけながら、夢に関しては1行で終了でした。
以前に書いた記事「何かとの対話」シリーズの「何か」が
もしかして私の手をつかって、例の「何か」が書いた文章かも知れません。

現状の私の漠然理解では、意識そのものは現実だろうと夢の中だろうと、それひとつしかないのだから究極どっちも同じじゃないかなーということだけです。

どの次元であっても「ワタシ」という意識が体験した記憶がある。

それをフォルダ分けされる前、ってことです。
記憶をフォルダ分けして、現実・夢としていますが記憶は記憶なわけです。

ごめんなさい、ちんぷんかんぷんですね(笑)
私もです。

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