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魂ってなんだ?っていう話


人は生まれる前はどこに行くのか。そして死んだらどこに行くのか。

以前、よく考えていた。これって太古から人間の持つ普遍のテーマだと思う。

しかしながら、こればかりは死んでみないとわからない。生きているものには絶対にわからないこと。

これって悟りの話しによく似てる。非二元のスピーカーさんたちは「個人(自我)には絶対にわからない」とよく言う。

初めはこの言い分を「知りたいと願う探求者にとってどんだけ絶望的なセリフなんだ」と思って聞いていたけど、この頃は言われてみりゃそうかもな、と思うようになってきた。

例えば、夢をみないほど深く深く眠っている時の「気持ち」なんて分かりようがない。

このブログでも何度も言っているけど、自我は「知り得ることしか知らない」のだ。言葉のパラドックスっぽく聞こえるけど、知り得ないものは知れるはずがないのだからどうしようもない。

自我はなんでも「知ろう」とするから、なんとかして例え話しを考えだしては納得しようとする。

悟りについて、いくら他人の一瞥体験談や見性体験談を聞いたところで、それを「言葉」で明確に表現した人も、その情報を正確に読みとれた人もいないはず。

言葉や知識の外側の話になるので、言葉や知識がそれを知れるはずがない。でもスピーカーさんたちは一様に同じことを言う。

「個人には絶対にわからない」「でも、初めから誰でも知っている超簡単なこと」

もはや謎なぞ。

となると「意識」のことを指しているのではないかと思う。ここでは、私なりにこう言うことだろうか、という気づきや解釈を書いています。

(言葉で伝えられないって言ったばかりですが)

今回は「魂」のことを書いてみたくなりました。


魂はどのへんにあるのか



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いつものようにイラストで。たぶんですが、魂はここら辺だと思います⇧

まあ、あるとしたらの話です。ちなみに「〇〇がある」と認識しようとするのは、主体と客体を求める自我の性質。だから、魂はストーリー側から見た解釈ですね。

宇宙の仕組みがどうなっているかは誰にも分かりませんが、おそらくこうだろうと言うところまでは、一部の探求者たちはなんとなく(うすぼんやりと)理解しはじめてきました。

それまでは「神」「宗教」という既存の概念の中でしか解釈できなかったので、おそらく人類は数百年か数千年はせまい狭義の宇宙観とか死生観とかしか持てなかった時代でした。ほぼ押しつけ。今も若干あるけど。

まあ、神も宇宙もストーリー側なんですけどね。ひとつ大きく違うのは「自分」がいる、と言う前提が覆ったこと。

あ、人間も「現象だった、そういえば」ってことに気づきだしたことが違う。少しずつストーリーの外があることに気づいたってこと。天動説と地動説が逆転した時のように、映画マトリックスの冒頭のように。

仏陀はそれに気づいていて、解脱(マトリックスから出る)を説いたわけです。

この図で言うと、マインドとは「自覚できる思考と感情」のあたりです。言語化できる「思考」と後付けで言語化できる「感情の一部」付近のこと。

「喜怒哀楽」表現の感情は、どちらかと言うと後から言語化できる、思考よりの感情だと思う。右脳の役割だと思います。

で、その下に言語化できない、言語を持たない意識層があります。

それが潜在意識でもあって、言葉にならない感情もこのエリアになります。でももしかしたら言語化できる感情のエリアに上がってくる可能性も高いです。それがHeart(ハート)のこと。



じゃハートって何するのか


ここでチャゲアスの名曲「SAY,YES」より歌詞を一部抜粋

言葉は心を超えない。とても伝えたがるけど、心に勝てない。


ハートはまさにこれ!ドラマ「101回目のプロポーズ」のテーマなので、覚えている方はドラマの印象とともに、この歌詞のフレーズを思い出すといいでしょう。

ヒロインのカオルさんは亡くなった彼のことを忘れられず、思い出という時間の中をさまよいます。何かと彼を思い出しては泣いてしまう。感情があの頃に戻ってしまうんですね。顕在化している思考には時間という概念があります。

つまり、ずっとマインドの中にいます。

そこに、亡くなった彼とは全く真逆の冴えなすぎの達郎が現れます。最初は誰が見ても「これはナイナイ」と思うようなイケてない男でした。

でも彼の不器用ながらのストレートな「愛」の表現に、カオルさんは少しずつ感情が揺さぶられ、ハートが反応しているのにも関わらず、まだマインドが邪魔をしてきます。

「私があの人のことを好きになるなんて、あり得ない」とマインドがごちゃごちゃ言ってハートを隠すんですね。だって今まで好きだった人と真逆なんですもの。

これ、ドラマでなくても日常でありますよね。好きになってはいけない人にときめいてマインドがそれを抑えて気づかなかったことにする、みたいなこと。まあ人じゃなくてもやりたいこととか、願望とかでも。

感情が揺れてううすす気づいているのに、それ以下のハートの叫びにも蓋をして「なかったことにする」。そのほうが社会生活を営む上で賢明だからと判断する。つまりマインドがハートに嘘をつくんです。

ドラマでカオルさんはハートの叫びに何度か耳を傾けているんです。でもマインドは「まさか。そんな馬鹿な」を連呼し、なんとかしてハートに気づかせないようにする。

だから葛藤が生まれます。まあドラマですから、思いがけないシチュエーションが次々に起きては、ヒロインはけっこう苦しむことになります。

葛藤はハートとマインドのベクトルが別々の方向に向いた時に起こります。

なにしろ、葛藤は言葉を持たないハートと、言葉しか持たないマインドのせめぎあいですから。やたらとモヤモヤしたり、理屈のわからない感情が突然現れてきたりで、マインドにとって制御不能な状態になります。

ハートがマインドの判断に「そうじゃない」と指し示しているのに、言語を持たないから言えないし、マインドは言語しか理解できないからわからない。

マインドとは思考。思考とは自我。そして自我は「自分」です。全部同じ。自分は概念そのものでできているのですから。

多くの種類の苦しみがありますが、ほとんどはハートの叫びに逆らうことからなんでしょうね。


もう一度。

言葉は心を超えない。とても伝えたがるけど、心に勝てない。


ハートは言語化できません。



で、魂って何なの


ハートの下にあるのが魂。もちろん言語は持っていません。ハートを経由して、なんとかして顕在化してもらおうと思っている自分という個体の「核」の部分。

「空(くう)」より少し個体よりというか、「くう」と個体の「へその緒」みたいな役目だと思います。

スピリット、守護霊、ハイヤーセルフ、精霊なんて言い方もあると思います。もちろんどの言葉も「これ」という指し示しはできません。言語化できないんです。


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魂もハートも現象世界側なので、「意識」はただそれに、その現象に気づいているというか知っているというか、包んでいるというか、ベースになっているというか。

魂はハートよりも深いところで「無限に広がる意識」と「現象としての個体」を繋いでいるパイプのようなものだと思います。

私たちが意識を持っているのも「魂」が「空(くう)としての意識」とつないでくれているから。

「魂」は私たちが現象世界で動ける原動力と言ってもいいのかもしれない。

肉体に「魂」が入っていれば現象世界で動けるし、抜けてしまえば現象世界では動けなくなる。

「核」になるもの。

現象世界に存在するもの全てに、「体(肉体)」となるものと「核(魂・意識)」になるものがあり、セットで存在しています。

ただしマインドやハートは、その現象の個体によって有無が分かれる。人間にはそれが現象としてセットされてるよ、ってこと。

魂には「意識」からの情報を受けとる役割もある。意識は遺伝子的な情報を持っているのだと思います。

石のような鉱物には「体」と「核」のみ。マインドもハートもない。だから苦悩はない。自ら動けるような「体」のタイプではないのでじっとしている。じっとしているけど粉々になれば土になり固まれば岩に変化するという「意識」からの情報を持っている。

クラゲやカタツムリのように脳も骨も持たないけど動けるタイプの「体」に入っている「魂」には生命体として種の繁殖と保存のための本能という情報が入っている。脳がなくても生命として動いているということは、意識として「魂」が宿っているからだとしか思えない。

私はなぜかカタツムリを飼っているのだけど、殻に閉じこもったり、のびのび動いていたり、形ごとくねくね変わる軟体生物で、骨も脳もないのにどうやって生きているのかがいつも不思議。「魂」が情報を蓄えているのだろうと思って見ています。

生物は「生きる」のに脳はいらないと思う。脳はオプションみたいなもので、脳のある生物はそれを利用した動きをしているだけだと思う。

人間だけがなんでかよくわからないけどマインドやハートがあって、ストーリーという幻想を見ることができる複雑な脳を持っていて、それを「魂」がつないでいるのだと思う。

「魂」についてはまあ、思うことがいっぱいありすぎて書ききれないのだけど。カタツムリやクラゲも不思議なんだけど、人工知能やロボットってどうなんだろうか。

今のところ、ロボットには脳に変わる人工知能が備わっているだけで、あくまでも「体」部分でしかない。

んじゃ「意識」である「魂」はいつどこでどんな条件で宿るんだろう?それとも石と同じように「核」を持っていて、それが人工知能と結びついて徐々に「魂」に変化していくのだろうか。

そしたら機械の体を持つ生命体になるのだろうか?

いったいどこまでが人形でどこからがロボットなのだろうか。古くからゴーレムやピノキオの物語があるように、人形に魂を持たせる物語があるということは、そういう実例が太古にあったってことなのだろうか?

も、もしかしたらそれは「人間?」だったりして・・・なんて

考えると眠れなくなるので、今日はこの辺で。



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◆マトリックスみたいに、脳に電極をぶっさすのは見てて怖いです。というか身体に装置をつけるのがなんとなくいや。すでにスマホに繋がれたみたいな生活も本当はいや。直接ではないけど電波と電源に縛られてる感じがします。でも便利なのでやっぱり手放せない。人類はどこに向かっているのだろう。









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