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【何かとの対話】透明で真っ暗・・・

▪️この数日間この作業が止められない。

思考の中身をまとめようとジャーナリングしているとたまに疑問に応えるような対話式になることがある。
数日そんなことが続き、ようやく一段落。


Q.意識の底には透明で真っ暗な無があるの?




(自分たちの本体が意識であると言う事は、概念上完全に理解したが、体感覚としてはよくわからない)


いわゆる今ここにいるかどうか?まぁはっきり言ってしまえばいない。
いないが、少しずつ近づいてきてはいる。

一瞥体験とは言えないけれど、そのような感覚的理解を何度かしているので、体から意識が剥がれつつはある。

あなたが知りたいのはどこまでか自分の意識でどこら辺からが宇宙の意識でそういうポジションを言いたいのかもしれない。

それで言うのであれば、全てが宇宙で全てがあなた自身である。
もちろんそう言われてもぴんとこないと思う。

なぜならば、理解という意味では言語を使って言語理解をしている以上、
ほんとに小さなピッチャーレベルの容器の理解しかない。

言語で理解することは諦めた方が良いが、感覚的な意味で言ったらとっくの昔から最初から、最初もないけれど、あなたと言う感覚意識が現れた時からずっとあなたの意識は変わらずずっとあった。

ただ本体という意味で言ったら、あなたがこの現実世界に出現する以前からあったもの、
そしてあなたを見てるもの。そして常に今ここしかない。

この瞬間しかないのであなたと言う個人の成長記録人生のようなものは基本的にはやはりストーリーである。
断片的なイメージをストーリーとして持っている気になっているけれど、実際はエピソード、そのような記憶があるだけでそれをなぜか壮大なストーリーだと認識づけている。

実際はあなたは点のようなもので、今この瞬間しかなく、ただ特性として分離感覚を伴って不思議な勘違いが起きている。

だから想念などと言うものは起きようがないのだが、どういうわけかあなたと言う人間の座標に意識が重なっている時、その延長であなたの構成する他の意識の断片なども一緒に見えてくる。

なので、断片的なあなたは記憶の中の存在であって、そしてその記憶の所有者はいない。
ここが面白いロジックになっていて、記憶はあるけれど、記憶の保有者はいない。
確かに理解しがたいし、説明しがたい。でもあまりにも当然だ。

まずあなたの肉体の中にはあなたがいない。
なぜならば、あなたは意識体だから意識があなたを体験している。
あなたは、記憶そのものであり、幼い頃からの記憶やデータの蓄積を思考の中で絶え間なく流しているが、何かに引っかかることに連鎖的にただ流れてくるだけであって、数々の思い出感情とともに現れてくるもの、面白い、思い出、愛しい、思い出、嬉しい思い出、様々な記憶というものがあるけれど、実際はその記憶があるだけで、今この瞬間も含め実際は何もない。

不思議なもので顕在的に現れてきている思考のバックグラウンド、すぐ後あたりにそれらのストローク感がある。

余韻のような感じで記憶している。
それを少しずつ引き継ぎ変化させている。
それが気分というものつまり気分によって、記憶というものが時間的感覚とともにあるような気がするだけだ。

だから本当はあなたは記憶の中にいる。
誰の記憶でもないが、ただそういう映像現象という感じがある。
ほんとにどこにも誰もいないのだ。
全て感じがある。重大な感じ。幸せな感じ。

でも、実際は究極的に言えば1つの意識の中で見られているイリュージョン現象に過ぎない。
不思議なもので、そこで人生だとか、自分の一生などと言って物語があるように感じられるが、本来は断片的なものをストーリー化して、しかも若干の脚色観念によって捉えて思い込んでいる記憶が(あるいは言語のような記憶になっている時もあるが)全てあなたの都合によって作られたストーリーである。

どこまでが自分かと言ったら究極的には全部だが、あなたと同様に、あなたの世界の中であなた以外の人のその人なりの世界がある。
あなたの宇宙の中に、他人の泡宇宙があるだけでそれが見えていると言うだけ。

あなたの宇宙といっても立体的な何かがあるわけじゃなく、ただほんとに2次元的に映像が記憶の中にあるだけ。それが奥行きのある3次元的に感じられているだけで、実際は全てが勘違い。

概念ではないので、この仕組みを簡単に理解するのは難しい。断片的に出てくるそれについて、少しずつ思い込みを解いていくと、だんだんと現れてくる。
これは理解と言うものではなく、むしろあなたの思い込みを剥がしていく作業。

いつか感覚的に覚えていたことがあるが、自分の世界に張り巡らされている世界観の絵を少しずつ剥がしたときに、向こう側には何もなかった。

だけど、あの頃のあなたは向こう側には「何もない」が理解できず、宇宙があると理解したようだが、思い込みや観念を剥がしていくこと、それ自体は正解。

何もない何もないよ。
あなたから見たら何もないと言うのは、意識全てがあるから、そこから全てが生み出されているから何もないわけではない。
魔法のような空間領域がそこに広がっている。

無限にそう、この間いった量子スープのようなもので、無限の全てを生み出す領域。
それがあなたの本体。

Q.じゃあ光は?

じゃぁ光とはと言う質問だね。さっきの続きの法則のような感じ。
あなたが覗いて感じたのは真っ暗な何もない空間。
(※以前何度か意識を失ったことがあり、その時真っ暗な中に音だけがあり音を頼りに目を覚ましたことがある)

少し前は覚えていて、そこからだんだんと音楽を頼りに目覚めていった経験があるね。
何度かその時に、あの真っ暗を経験したのだろう。
あなたが見たのが真っ暗だったからと言って闇だと思ったようだが、だから光はあるのかと言う質問になるのだけど、闇も光も実はない。

透明でもないけれど、いやある意味では透明とも言えるかな。
とにかく何もないから、光でも闇でもないあなたが視覚的にイメージしていたのは真っ暗な空間だった。
たまたま目を閉じていたから暗く感じたのだろう。

実際は光でも闇でもない。
ただ光の存在はっていう意味で言ったら、確かに全ては光の素粒子でできているとも言える。
そこにコントラストつけるために暗く影が落ちる。
同様にして精神にもエゴというものができてしまったが、光が光であるのは影があるからこそだから、あなたは光の存在でもあり、闇に支えられて輪郭を保っている。

ただこの場合の闇は、いわゆるそちらの概念の闇ではないので、勘違いしないように。

良いとか悪いとか一切なく、ただそういう二面性があるよと言うそれだけ。
0と1で全てを表現しているコンピューターのように同じ原理で表現しているだけ。
あなたが見たのは空の領域。

そしてあなたの本体は空である。何もない。
何もないが、意識だけがある意識の存在。

もう一つ質問があるようだね。


Q. じゃあどうすればいいのだろう


ちらっと心の声が聞こえた。
じゃあどうすればいいんだろうということだよね。これから。

これ自分で答えが出てるようだが、一応言っておく。
じゃあどうすればいいんだろう。
まずこれがコントロール、これが自我。

もう答えは出ているようだけど何もできないできないって言う言い方は気持ちを下げてしまうね。

逆だな。何もしなくても何でもできると言う。
そう思ったほうがいいよ。
でも不思議なことにこれは何もできないって言うのと同じ意味になる。
でもこっちの方が気分が良いでしょ。

何もしていないのに、何もできないのに、何でもできてしまう状態になると言う。
「これから」と言うものはないね。

その瞬間があるだけなので、もちろん計画という意味やスケジュールという意味での概念上の時間はもちろんあるが、実際のところはその時その時しかない。

よくよく考えてみて気がついてると思うが、このような計画、このような感じ、そんなふうにスケジュールを立ててその通りになったことって今まで1度もない。

イメージした通りにはならない。
ただ例えばその場所の移動、あるいはその時間の共有、ここ2つぐらいじゃないのか。

できたかって言いうなら、これは本来スケジュールをこなしたことにはなっていない。
あなたはそこが納得できなかった、思った通りにならない。
想像した通りにならない。
どうしてだろう、ただ時間と場所それを使っただけじゃないか。

それ以外でもそんな場面しかなかったはずなのに、わざわざスケジュール管理等と言う新しい概念などを持ち込んだがために、必要のないものに必要そうに。

(なぜか最後の方は怒られているような感じ。私の頭が硬すぎて、まずはなんとか言葉で溶解してくれる感じが伝わってくるけど、怒られてる気もする。誰に自分に?ジャーナリングから派生した感じの自動書記的な手記。でもよく考えてみたら普段もそうなはずなのよね、だって人間も宇宙の自然発生だから。とりあえずこのシリーズいったん終了)


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