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【何かとの対話】エゴにまいもどる...

Q.どうしてまたエゴの世界に戻るの


(えーっと、また聞きたいと思います。よろしくお願いします。
まずはどうしてこうやって波があり、行ったり来たりしながら頭で理解しながらも、またこんなにエゴの世界にどっぷりと入っていくわけですか)


物質感覚(つまりリアル感、密度、質量、固まった感じ)もちろんこれはただのイリュージョンなんだけど、この感じが強まっていくのが物質世界。
感覚が強まっていく強烈になる。

そしてこの世界特有の重力というものがあるので、全てにその感覚が働いてしまう。

だから、リアル感を伴う。そして時間差因果関係に見えてしまうように、実際に時間があるわけでは無いのだけど、結晶化するのに時間がかかる。
これも観測者の視点の違いなんだけどね。時間差と言うのは。

ここではゆっくり結晶化するように見えてしまうから、
そう見えてしまうのは、もともと、あなたが高次元の存在だから
だから、この次元の結晶化がゆっくりに見えてしまう。高次元に戻ると瞬時。

あなたの意識レベルが、重力によってまた引き戻されてしまう時、そこで同一化が起こってしまい、それが真実だと見抜けられなくなってしまう。
重力の力はこれも癖になってるようなもので、エネルギーを供給しているっていう意味でも良いかもしれないがそれで引きずられてしまう癖がついている。ルートのようなもの。

なぜならばあなたの意識は時々高次よりになっている。
まだその時間は少ないけれど、あるいは夢の中でそれを感じている。
また思考も同様に同じように意識の変容が起きている。

まだやはり思考の癖というものがあるので、どうしても既存の概念に偏ってしまうが、頑固にそんなことがあるわけがないと思っていた、既存の概念を裏切り始めている。
疑いが現れて、もしかしてなどと信じ始めている。

何度かそのような経験を少ししたために、その周波数領域が軽いということを体験しているために、余計にた重力に引き戻された時、きついと感じるのかもしれない。

そしてなぜ出られないんだろうと言う疑念にまた、強烈な不愉快さ加減が襲ってくるのかもしれない。

規制の概念もなかなか抜けていないため、同じ思考パターン・同じ信じ込みパターンによって、それがリアルな現実だと思い込む思い込まされる。


夢の中であなたはエゴのトラックと正面衝突する夢を見たと解釈していたが、まさにその通り。
無人のエゴのトラックが突然突っ込んでくる。
何度か勝手に突っ込んでくるので、その都度うまく交わせば大丈夫。

最初は1人で戦っていて心細かったけれど、だんだん何人かの仲間も現れ防御壁も守備を担当できるあなたはどんどん安心している。

左手から守っていたが、右手に移っていた。
そのまま基本その位置から見ていればいい。
まさにあの夢の通り、あなたは今無人と化したエゴの暴走に避難しながら交わしているような状態である。

何度か、衝突すると思うが、そもそももう無人になっているので、誰もアクセル踏んでいないので、まぁブレーキもかけていないけれど、そのうち止まる。

今は慣性のようなもので走っているから、全くどこから来るかわからないが、そのうち速度も緩まり止まって消滅する。

それまでは何度かその金網の防護壁の中で、仲間とともに守ってください。

また戻されてしまうけど、少しずつそれが減っていく、ものすごくリアル感で恐怖の感覚に押しつぶされそうになっても、しばらくはまた何回か来るかもしれないが、その都度弱まっているのを感じるはず。

今日のように、あえて感情を吐き出してみる、あるいは正面衝突し、エゴと喧嘩してみても良いだろう。
とにかく相手は、見つめられると消えていく。
少しずつ力を弱めていく。

なので、もう少しこのようなことがあったとしても耐えてください。大丈夫だから。
必ず暴走トラックは止まりますから。


Q.その世界では、私が嫌がる現象も起きるの


その世界でっていうのが、どの世界を指すのわからないけれど、あなたが引き戻されてしまう3次元意識で見ている世界ということだろうか。

何でも起きるから、あなたがそれを嫌だと思えば嫌がることが起きたことになる。
それだけのことだ。
ただ物事はただ起きているだけであり、確かに波はあるけれど、それを良いと取るか悪いと取るかは観念の判断次第。

あなたがそれをよしとしない観念が多ければ、嫌なことが連鎖的に起きているように見えるだろうし、あなたがそれを問題ないと思う観念が多ければ良いことがたくさん起きているようにも見えるだろう。

また、基本的にはあなたが考えているような良くないことと言うの起きないから大丈夫。
たとえ、まさかということが起きたとして、それも魂が決めてきたこと、それは魂のあるストーリーの中ではそうなる。

あなたがイメージしたスライダースイッチの中間あたり
それを3次元向きで見れば決めてきたことになる。
それより上からまた同様に見てみれば、ただ縁起によって起こったこと。

自然の摂理。
起こるべくして、それが起きていて、ほんとにただそれだけ。

また確かに意識法則というものがある。あなたが抵抗しなければ、あなたが望んだもの、望んだ方向に量子スープが動いて現れる。
準備ができている。あなたが抵抗を止めればいい。
あなたが拒否するのをやめればいい、あなたが否定的な感情(まさかと思うもの、あるいは自分なんてあるいは受け取れない)などと言う、拒否・否定・抵抗。
これら同じものだが、このような観念感情を出さなければ、あなたはいつでも受け取れる。

そしてあなたは何の遠慮もなく、それを受け取れば良い。なぜならばあなたが頼んだものなので、あなたが受け取れば良いだけだ。

遠慮する事は無い。あなたが自分ばかりが幸せになってはいけないんじゃないかなどと言う観念を持っているけれど、それももう捨てていい。
十分にその観念を味わったからもう必要ないだろう。
必要だと思えば取っておけばいいが、必要ないならもう捨てていい。


Q.どういうタイミングでサインが来るの


(では、次に、意識の変容プロセスの事なんだけど、どういうタイミングでサインが来るの)


これは前にも答えたような気がするが、いろいろなパターンがある。
直接的にダイレクトに動かざるを得ないような現象が起きる場合もある。
あるいは自然とそこに促されている場合もある。
あるいは突然自分ではない声のようなものに気がついて、それをやらずにいられないような状態になることもある。

それをやらずにいられないような感覚は、ほぼサレンダーが完了している。
あるいはエゴや自我が消えている薄くなっている状態なので、あなたが意識する事は無いだろう。

サインと言うのはわかりやすく言えばシンクロの事なので、気分が良くなるようなシンクロが起きた時はそれは明確にサインが来てると思えば良い。

爽やかな気分だったりなめらかさやスムーズな感じだったり、さらっと忘れられるようなナチュラルな感じだったり。
そんなシンクロが来た時は完全にサインが来ている。

気にしなくて大丈夫。
ほんとにあなたが抵抗さえしなければうまく流れるようになっている。
そしてあなたが言う通り、その望む方向に延長線で、あなたはそれを望むように自然と思うようになる。

確かにそれは、ゲームのようなもので、だからそれを楽しめばいい。


(私はいま変容のどこにいるの、結構きつい波が来てる)


自分でもわかってると思うけど、もうこの時点で、行ったり来たり両方している。
どっちも自分だっていうことがなかなか理解はできないと思うが、さっきからスライダースイッチを自分で切り替えている。

行ったり来たりしていて、それは同じ意識であり、私と言うものは無いのだが、どちらも私と言い換えることもできる。

その私感覚も重力が強くなっていくと私と言う感覚も強くなっていく。


この5次元的俯瞰する感覚と言うものを認識しているのであれば、この意識の深さっていうのはさらに深くなっていく。
1番強烈に強いのが、この3次元レベルの意識、これを現実だと思い、勝手に苦しみ、また勝手に苦しみのエネルギーを発し、ジサクジエンで絡めとられているっていうのがこのレベル。

とにかく安心して任せてしまえば必ずあなたが望む、あるいはあなたが願う、ちょっとニュアンス的には少し違うけれど、あなたが良いとジャッジする方向に向かっていく心地良いと思うもの、
あなたが嬉しいと思うものあなたが安心だと思う方向へ向かっていく。

それがエネルギー波動の法則であり、様々な人が引き寄せだと言っているものの、シンプルな本質的なところである。

ただもう一回言うがどんな願いであっても、観念概念であって、ただそれだけのもの。

ただ俯瞰する。ただ気がつく。
ときには今みたいにエゴと正面衝突してみるのもいいし、溜まっていた感情をまた吐き出してみるのも良い。
気がついたら、とにかくそれをやる。
そしてまた気がつく。徹底的に気がつくこと、認めること。

それがあると言うことに蓋をしない。ただそれだけ意識は見つめられると、なぜか消えていく。
役目が終われば消えていくと言うのは、これも宇宙自然の摂理であって、何事も生まれては消える。
生まれては消える。繰り返している。

きちんと生まれさせないと、そこがしこりになって澱んで行く。感情も同じできちんと消化できなかったら澱んだ状態になっていく。

ちゃんと涙を流していい。
怒りがあるなら怒っていい。
悲しいと思ったら悲しんでいい。
嬉しいと思ったら喜んでいい。
面白いと思ったら笑っていい。
苦しいと思ったら苦しみを感じてみればいい。

苦しい時は、とにかく体感覚が不愉快なので、辛いとは思うがそこは、来たな、また来たなということでとにかくこここは過ぎ去る消えていくということを信じて向き合ってみてほしい。

またあなたの中にある観念的な善悪のジャッジメント、自分にもそれを知っているが、それも許してあげてほしい。

あなたの中に観念嫌なもの。
汚いものずるいもの。
認めたくないもの。
完全ではないと思うもの。

いろいろあると思う。許したくないものがあったとしても、それ自体があると言うことをまず認めてほしい。
見なかったことにはしないで。

最終的にはまぁそんな自分もいるけれど、まぁいいか。
完全ではないけれど、人間だものということで許してやってほしい。
とにかくどんな自分もいるんだなぁって言うことを認める。
感情と同じ、観念も認めるとそのうち消えていく。

明日そのワークをやってみればいい。
自分は汚い人間だなどと言う。
かなりきつい。
苦しいとは思うが、かなり辛いとは思うが、やってみると、おそらくスッキリすると思う。結構大胆なクリーニングになるとは思う。

Q.澱みなく溜めないでおくこと


今日は、いつもはそのエゴの圧倒的な勢いに任せて、おどおどしていたあなたが
珍しく堂々と戦ったので、エゴのほうも驚いて小さくなったが、
何度かこの繰り返しは来るので、もうこれ以上はそこまで構わなくてもいいけれど、
あなたはあなたの言いたいこと発散してストレスは解消した。

そういうものも溜めないでほしい。
とにかくいつも空っぽであって欲しい。何も溜めないでほしい。

そうすると滞りなく歪みがない状態になると、面白くなるかもしれないね。

ただその面白みに馴染んでくると、もうそれが普通になってるので、それすらも考えなくなるかもしれないね。その頃にはエゴが懐かしく思えるかもしれない。

とにかくあなたは、あなたのままで良いこの意味はなかなかわからないとは思うけれど、例えば今この状態、今こうしてるあなたは、あなたはあなたのままである。

心に滞りはないでしょ、
今の状態で今あなたはこういうワークジャーナリング、自分自身に問いかけるこの作業がとても気に入っていて、とても和んでいてとても満たされた気分になっている。

なぜならば、好きなことやってみたいことやりたいことこれを何の遠慮もなく、何の引っかかりもなくできているから。

こうやって人体実験やジャーナリングや知識を得ることや、深く考察することや瞑想や、よく考えてみたら、あなたはあなたなりによくやった。

何かに圧倒されながらも、よく頑張ったと思う。流されて立ち向かえ流されて立ち向かい、しかも逆流していたから。エゴの方向へ。

そうやって考えてみると、あなたはかなり研究よく頑張ったと思う。がんばったという言葉は好きじゃないかもしれないけどよくやったと思う。

確かに生産性などない。
自分の心を確かめてみたときどう思う今気がついてるはずだ、生産性こそないけれど、そんなことより心が豊かになっている。

それこそ顕在意識でなかなか気づいてないかもしれないけれど、本当に本当に1ミリずつ少しずつ気づかない程度に気づいている。

あなたがよくやる片付けの方法のように、1度全部放り出してカオスのようになって、
ここからどうやって片付けたらいいんだろう、片付かないんじゃないかなどと言う不安が出てきても、どういうわけかなぜか最後はきれいに収まる。
それと同じことを今やってるんだよ。

こっちとこっちあれとこれ、並べ替えてみたり、まとめてみたり、捨ててみたり、吟味してみたり、箱にしまってみたり、いろんなことをしていて、今整理しているところだ。
かなり床が見えてきているから、あなたの心もすっきりしている。

すっきりした状態だとリラックスが可能だ。
とにかく心に思ったことを、まさかねぇだとか、自分にはできないだとか、そんな都合の良い事は起きないだとか、そんな否定をしないで、とにかくいいなと思った事はそのままにし、
頭に湧いてしまったネガティブな思いは、そんなバカなとかぶりを振れば良い
それでいいのだよ。

心のクリーニングにハワイの手法があるのは、あなたの心が楽になるため。
あなたはそれで、心の中をクリーニングしリセットし、いつも床が見えている状態であれば、それも1つの安心になる。

床が散らかっていて、どこに何が潜んでいるかわからないような状態だと、気になって、恐ろしくて、不安になるだろうし、あるいは、散らかりすぎてつまずくんじゃないかあるいは、何かなくしたと思うかもしれない。

あるいは所有物が多すぎて、その管理に煩わしさを感じるかもしれない。
大丈夫、今は少しずつ見えてきている。

だからもう一度念のため言っておくが、また揺さぶりが来るかもしれない。
エゴの無人トラックの。
暴走が来るかもしれないけれど、あれはそのうち止まると言うことを信じて、それと金網からそれを見ていればいい仲間とともに。


(このころ、凪とエゴの暴走が繰り返し何度も来ていた。ほんの少し軽さを知った分だけ、ほんの少しのエゴの重みもかなり苦しく感じていました。仲間というのは夢の中ではじめはひとりで攻防して辛かったのがいつの間にか仲間が増えたために楽になってきた印象があるので、そのことかしらと思います。)



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