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自分の力量で生きたらいい

僕は自分が仕事ができる人間である、、と若かりし頃に幻想を抱いていた。

仕事をしたことが、アルバイトすらしたことのない時である。

最初にした仕事はユニクロのアルバイトだった。


当時の僕はわかっていなかったが
お客さんとのコミュニケーションが多い仕事。


僕はその頃、人にも好かれる、、という幻想を抱いていた。
だからなんとかなるだろう、、という考えもあった。


でも現実では違うことが起きていた。

僕は高校の頃、サッカー部に所属していた。
周りは昔から習い事でサッカーをやってるような人や、中学から部活でやってる人らばかりで、高校からサッカーを学ぶことを始めたのは僕一人だった。

サッカーボールを蹴ることはもちろん難しく
試合のルールさえ知らない状態だった。

入部した理由というと
なんとなく中学の頃、友達と遊びでやってたサッカーが
楽しかったので入部してみただけ。


僕は元々大人しく、自分から発言することもあまり無い
控えめな人であり、サッカーの技術もなかったからか
僕が気に食わない一部の先輩からは、悪口を言われたり
嫌われていた。
その後後輩もできてくるが、そこでも嫌われているムーブはあった。


実際は嫌われることが全然あったという話。

自分の幻想や思い込みは好かれるはずだったわけだけど、
そして仕事ができるはずの人間だったわけだけど

結果的には

頭がてんやわんやになり
次に何をしていいのかもわからない、整理のつかない
仕事が苦手な自分だったし

そこで働いていた一部の人達からは嫌われていた。
仕事ができないことだったり、そのほかの理由だったり
理由は多岐に渡るだろうけど。


つまり僕には自分の現実を見ないで生きる癖があるのだ。
臭いものには蓋をした。

しっかり嫌われてたり
仕事がおぼつかない、やり方がわからない、未熟な自分がある

のにも関わらず、


きっと、そんなはずはないだろう。。。
どこかにその悪因の全てが取り払われる場所や自分があるはず!!


とどこかで見ないようにしていたのだ。


カッコ悪い自分は嫌だから。


そんなかんじで生きているから
自分の出来の悪さを認められないし
認めたとしても、自分責めばかりで気力も無くなっていく


その頃の自分でもできたはずの
確実で小さな一歩を踏み出す努力ができなかった。

後に自信になるはずだった経験を積み上げられずにいた。

大きな幻想ばかりを見ていたからだと思う。
人生に焦ってばかりいた。

悔しいけど、自分と向き合う生き方について
僕はド下手である。


だからこそ、心理探求の話に惹かれたり
スピリチュアルな話に関心があるのだと思う。

現実の自分の力量と向き合ってこない生き方をしたから

あるいは


うつ病やバイトのクビなどに合い、挫折した時

今までの自分の経験と向き合いすぎて
結局自分には何も達成できない
これからもきっと何も達成することはできんだろう、、、という
超現実主義になりすぎたからこそ

なんか満足できない
気持ち悪い今が続いたのではないか。




極端なイメージを持っている。
そこに気持ち悪さがある。


そんな自分と向き合いたい。


自分の極端さに気づき、一息ついて落ち着き


自分の望む方向へ少しでも向かえる
堅実な努力ができる人間になりたい。


そんなの当たり前やん、、と思われるかもしれない。

けれど、僕には
これがわからなかったし、できなかった。


できることだけを選択している今でさえ
出来ないことがちょいちょい現れてくる。


目の前の現実は自分の思い通りに展開するわけじゃないのだった。
その現実と自分には関わりがある。

何が起きていても
目の前で起きてるわけだから、それは自分のものでもあるわけだ。

逃げるのもなんか違う。


できることで満たされたら
次には今まで出来なかったこと、やりづらいことが起きてくるらしい。


そうなると、自分の無力感を感じる瞬間がちらつく。
内心、怖い。

どうほどいて
満たせるか。

どうにかできそうな自分の問題なら
対処する方法を考えるところから始めてみる

どうにも出来ない他人の問題なら、関係のない違うことに集中して
自分の気分を整える

どちらにしても
自分の今の力量でできることで
進んでいけばいい。

自分の力量を見誤らないことがポイント


小さすぎても
大きすぎても

それはしんどくなってしまう。。


ここなら、、、いける!という
安心して進めるポイントをみつける作業。

自分が望んだ方向に確実に進めて
気持ちよくなれるポイントはどこだろうか。

これができる人を僕は強い人と呼んでいる



リョータ

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