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妄想旅 <10> 奇形なるもの

じめじめと、ベタベタと、ドロドロと・・・”沼”で連想される形容詞は、そのまま近頃の気象状況のように、湿度の高い、プラスマイナスでいったらマイナス方向に大きく振れてる印象が色濃い。

色恋には全く縁がないが、”近年の言語の理解度の低下”という命題に縁づいて、言葉と意識をテーマに私が辿り着いた先は”沼”だった。        

詳しくは前稿”妄想旅<9>”に書かせて頂いたような次第なのだが、なぜか男女の性差問題という沼に現在絶賛嵌り中となっている。

沼は嫌だ。だってドロドロのベタベタだ。できれば一生嵌りたくない。   色だって真っ黒だ。それも所々黒光りしている。コールタールみたいだ。 

(・・・コールスロー食べたい・・・)    

それが頭のてっぺんからつま先までどっぷり浸るハメになってしまった状況に心で蓋をして、(沼なんか無い、沼なんか無い)と背中に向けて念じてみたが、(”雑感”とかに逃げてんじゃねーよ)という背後からの声に泣く泣く旅は、Show Must Go Onという事らしい。

なぜこうなったのかよくわからないのだが、とにかくここから抜け出す為にも、話を先に進めさせて頂きたい。                 (抜け出せる気が全くしないのは、この際気にしないでおく・・・)

アベックという言葉の意味の変遷の原因を探ろうと、当時(大正から昭和初期)の世相を追っていく中で、モダンガールという言葉(と現象)に行き着いたという事を前稿で書いた。

アベックという言葉の意味の変遷                   大岡昇平氏説:昭和2年、男女の清い交際を表すものとして誕生したこの言葉が、約3年後くらいから”同伴”という大人の男女の交際を指すようになり、昭和5年後半頃にはいやらしい男女の関係を指すようになっていた。

このアベックの意味合いが変化したのは、昭和2年に流行語にもなったモダンガール(流行語としては”モボ・モガ”という方が認知度が高いようだ)という現象に対する、世間のネガティブなイメージの余波をもろに受けた事が大きな要因の一つなのでは?、というのが私の推論である。

当世風の女性。昭和初期、多くは軽蔑の意をこめて用いた。         広辞苑第7版、モダンガールの項より

言葉としてはアベックより先に広く人口に膾炙するようになったモダンガールを、当時(昭和2年頃)、小林きよしという人が「モガさんの持ち物」という漫画で描いている。

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外見は描かれた画に近い装いだったようだが、持ち物が実際にこのような物だったのかは何とも言えない。

A、C、D、Eは(ああそうだったんだな)と思えるが(Bは何だかよくわからない)、FからLについては、実際に持ち歩いてたのかも知れないが、描かれている画風と相俟って、軽蔑的な印象を与えていると感じる。  (Hが抜けているのはなんでなのかわからないが)

F:偽名刺 G:精力剤 I:避妊具 L:質札

様々なwebを閲覧したが、悪評一辺倒というわけではないものの、モダン・ガールは批判の対象であり続けたと言える。

批判される時、決まって要となる概念が”貞操”だった。(概念というよりはこの場合、観念という言葉の方が近いかも知れない)

この当時、行われていた女子教育なるものの骨子は「良妻賢母」を目指す事を基軸としていた。

「忠臣二君に仕へず、貞女両夫に見えず」という貞婦烈女が理想的女性像として、とりわけこの時代に新しい階級として発生していた中流以上の階級の女性に対し、強く教え込まれていた。

「貞操とは男の爲の道徳である。男の自由の為に、女を拘束することろの道徳である。」  室伏高信「新貞操論」~大正14年7月、雑誌『女性』

このように女性に対してのみ純潔を求めるのがこの当時、一般的であったのに対し、「自由」を求める声があがり、男性に対しても女性同様不貞操を罰しようとする動きが生まれている。

(どうしても一言言いたい。論の頭に”新”とあるのが、斜め上を一周回って斬新な化石とでも言えばよいのか、得体のしれない奇形なモノを見るようで感嘆を禁じ得ない。

もう一つ、”道徳である”と言い切っているが、頭蓋骨には脳の代わりにハンマーでも詰め込まれてたのか?いや、確かに時代が違うんだけど、この時からまだ百年も経ってないよ?→<97年前である>)          (ちなみに某ハンマー投げ選手は全く関りがない)

当時、男に貞操を求める考えがいかに新鮮であったか、事例を見てみたい。

「我国現行法の下に於いては男子の姦通罪を認めず、従って男子に貞操義務を認めざる法の精神並に我国現時の社会状態より論究するときは、我民法の解釈上、妻は夫に対し貞操を強要する権利ありと認むるを得ざるを以て、
~<以下略>

上記引用は、1925年(大正14年)大分地裁の判決文である。 

突っ込みたい気漫々だが自重する事にして(”法の精神”とか言いよったな今こいつ・・・)私的に意訳すると、『男性に姦通罪の法律無いし、従って貞操義務とかも無いんで、女房が亭主に貞操を強要する権利はありません』と言っているのである。(男の下半身に”精神”なんかあってたまるかぃ、たいげいにせぇや・・・)

夫が不貞を働いた事を離婚理由として訴えていた妻は控訴、その結果、大審院にて、「近代日本における妾の法的諸問題をめぐる考察 (二・完)」(西田真之・著/雑誌・明治学院大学法学研究、2017年8月28日)で、”妾に関する裁判例の中で最も重要なものの一つ”と書かれた、歴史的と言っていい判決が下される。(この判決が歴史的になってしまう事が問題なのだが)

「婚姻は夫婦の共同生活を目的とするものなれば、配偶者は互に協力して其の共同生活の平和安全及幸福を保持せざるべからず。然り而して夫婦が相互に誠実を守ることは其の共同生活の平和安全及幸福を保つの必要条件なるを以て ~(中略)~  配偶者の一方が不誠実なる行動を為し、共同生活の平和安全及幸福を害するは、即ち婚姻契約に因りて負担したる義務に違背するものにして、他方の権利を侵害するものと云わざるべからず。(以下略)    

問題は、女性の不貞操を罰する法律はあるのに、男性の不貞操に対する法律が無い事であり、この判例でもそこが妻の離婚提訴を裁判所が正当と認める際の壁となっていた事だ。

当裁判で大審院長であった横田秀雄氏は、次のように法の壁を、多少強引とも思える論立てで突破し(いや法律の方が強引というか無茶なのだが)、離婚提訴を正当と判決、夫にも貞操義務がある事を明示して、世間の注目を浴びた。

「換言すれば、婦は夫に対し貞操を守る義務あるは勿論、夫も婦に対し其義務を有せざるべからず。民法第八百十三条第三号は夫の姦通を以て婦に対する離婚の原因と為さず、刑法第百八十三条も亦男子の姦通を処罰せずと唯是主として、古来の因習に胚胎する特殊の立法政策に属する規定にして、これあるが為に婦が民法上夫に対し貞操義務を要求するの妨げとならざるなり」

大正15年(1926年)7月20日、大審院の大正15年(れ)233号判決文である。以降、夫の不貞操を理由にした離婚が増加したという。

この判決は、女性の権利(と改まって書かなければならない事自体がそもそもおかしいのだが)を獲得する大きな一歩だったと言っていいと思う。

そして新しい変動の波には、それに抗う動きがつきものだ。変動する対象が持つ影響力が大きければ大きいほど、その反動の波もまた大きくなる。

大正15年11月、雑誌『女性』誌上の記事内に、次のような論説があった。

「弱き者は良き嫁、良き子、良き妻として自らの心をあざむき、忍従の仮面を被ったもので、強き者は反逆児となり、更に奇形なるものは所謂モダーン・ガール型のものとして反動の生活に生きようとする」        「現代女性生活の過渡相」下田将美氏

この一文は、従来の在り方に反発し自由を求める女性の姿を肯定しつつ、モダンガールは”奇形”、と表現していることから、行き過ぎた負のイメージとして認識されていたことを示している。

モダンガールを”反動の生活に生きようとする”と記したこの一文こそ、女性の権利獲得という新しい変動の波に対する、反動にしか私には映らない。

そしてその反動の波は小さなものではなく、やがてモダンガールのイメージは転落の一途を辿る事になり、一方反動の波は社会状況が追い風となって巨大化していった。

いずれにも当時の経済不況と関東大震災が大きな要因として関わっている。

<妄想旅>7と8の最後にこの”関東大震災”と”経済不況”と書きつつ、当時それらがどのように社会に影響を及ぼしたか論じないままだったが、ここでやっと繋げられた所で本稿を終わりとし、次稿、この2つによる影響とモダンガールのイメージ転落との関わりについて書かせて頂く事としたい。

お時間ある方、またのお付き合いのほどを。

最後までお読み頂き、ありがとうございます。

今夜はケンタッキーにしよう。

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