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#29「 宗像大社を歩く 」

中津宮なかつぐうに行きたい。
そう伝えると古い友人は最初、露骨に難色を示した。
だが、粘り強く(しつこいとも言う)交渉を続けた結果、焼肉とビールで無事に契約が成立したのだった。
5月14日、9時25分発のフェリーに乗るために、渡船場がある神湊こうのみなと港へ向けて朝7時に飯塚市の実家を出た(友人が車で迎えに来てくれた)。
先ずは辺津宮へつぐう(一般的に知られている宗像大社)へ。
割と地元に近く、高校を卒業してすぐに購入した15万円のおんぼろビートルのお祓いもここでしてもらった。
しかし、本殿以外は訪れたことがなく、その本殿のお姿も遠い記憶の中に朧気だったので、ほぼはじめましての気分だ。
前日の雨で湿り気を含んだ空気が、朝のひんやりとした温度と相まって気持ち良い。
早朝の人影もまばらな境内の静寂は、凛、という言葉そのままだった。
本殿、祈願殿、第二宮、第三宮と参拝を終える頃には、雲が晴れて陽が射しはじめた。

日曜日だからか、フェリーにはたくさんの人が乗り込んだ。
デッキ席を確保したものの、風が冷たくてTシャツ1枚では肌寒い。
カメラを持つ手に鳥肌が立った。
ほぼ予定通りの25分で大島港に到着し、港近くのお店でハンバーガーを買って腹ごしらえを済ます。
ぎょロッケ、美味でした。
食べ終えてから写真を撮ってないことに気づいた。

フェリーの発着場から徒歩5分ほどにある中津宮には湍津姫神たぎつひめのかみが祭られている、らしい。
その辺の詳細は公式HPウィキペディアにお任せしたい。
急な石段を息切れしながら登り、その先にある本殿にご挨拶をした。
七夕伝説発祥の地と言われる織女神社と牽牛神社もありますよ、と入れ替わりに登ってきたご家族が教えてくれたのでそちらにもご挨拶をして、ぼくたちは沖津宮遥拝所おきつみやようはいしょを目指して歩きはじめた。

大島地区コミュニティセンターで猫を撮っていると、「いい写真は撮れましたか?」と声を掛けられた。
73歳だというそのご婦人は、人生の楽園やポツンと一軒家に出演したこと、西鉄でバスガイドをしていたこと、ご主人のお仕事の話などを聞かせてくれた。
「ゆっくり楽しんでいってね、今日はいい天気だわ」「ありがとうございます、お元気で」と笑顔で手を振りあった。

そこからもう少し頑張って坂を登り、そして緩やかに下っていくと海が見えてきた。
沖津宮遥拝所だ。
鳥居をくぐってご挨拶をしていると、お社の裏側から声が聞こえてきた。
詩吟…だろうか?
言葉を波に浮かべるようにして年配の男性が低く静かな声で奏でる調べに、ぼくはしばらく聞き入った。
「その唄はなんですか?」
このひと言を言い出せなかったのが今も悔やまれる。

舗装された道路を歩いてもつまらないからと遊歩道のルートを選んだ。
まるで山登りじゃないか…。
どうりでフェリーに乗っている人の多くがトレッキングシューズを履いていたわけだ。
目的地を決めただけで、下調べもせずに軽装で来たことを後悔しながらひたすら歩いた。
朝の肌寒さは何処へやら、噴き出す汗を拭う小さなハンカチがしっとりと重い。

アスファルトの道に出て、ほっとしながら牧場の脇を登っていくと、坂の頂上が見えた。
その向こう側の景色が、何度も読み返した司馬遼太郎さんの本の一場面と重なる。

ああ、ここに来れてよかった。

この日のハイライトは間違いなくこの瞬間だった。

気分が高揚していたのだろう。
残りの体力も顧みず、更に遊歩道ルートで大島灯台まで歩いた。
前にも後ろにも人はなく、時に蜘蛛の巣に絡まれながら、時に濡れた苔に足を滑らせながら、修行僧のように歯を食いしばって歩いた。
灯台までの道中の写真がほとんど無いのはそういう理由なのだ。

灯台から港までの帰りは、距離よりも歩き易さ優先で道を選んだ。
黄色い声を上げながら自転車で駆け下りていく恋人たちに舌打ちする以外はすっかり無口になったぼくたちだったが、港が見えた途端に饒舌に一日の出来事を振り返っていた。
時間的に海鮮丼を諦め、その代わりにフェリーターミナルに併設されたカフェでソフトクリームを舐めながら互いの健闘を称え合い、16時25分発のフェリーを待った。

山道を5時間かけて歩いた3万歩のダメージでまだ膝が痛かったりする。
イテテ、なんて声が洩れる。

それでもまた行く機会があれば、レンタル自転車やレンタカーや観光バスじゃなくて、やっぱり歩くんだろうな。




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