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坂本龍一さんの人生に思いを馳せることにしました【ウサちゃんのうた】

幼稚園に通っていた頃は何をしていましたか。

私は、大学芋の由来をお父さんと一緒に調べたこと、さら粉(グラウンドの荒い砂を取り除いて採取できるサラサラな粉)を集めて綺麗な泥団子を作っていました。

意外と幼稚園の体験って忘れられないですよね。

さて、本題ですが先日決意表明をいたしました「坂本龍一さんの人生に思いを馳せることにしました」の初回【ウサちゃんのうた】です。

「ウサちゃんのうたって何?」と思われる方が多いかと思いますが、これについては後ほど記載していきますね。
今回は坂本龍一さんの幼少期の体験とその体験から得た表現に対する考え方について私なりに書いていこうと思います。

【ご注意事項】
この文章は坂本龍一さんの著書『音楽は自由にする』『ぼくはあと何回、月を見るだろう』を元に、個人的に解釈したことを記載しています。 

1人の人間の人生を100%理解できるわけではないことも重々承知しておりますが、坂本龍一さんの素晴らしさを理解し、自分の文章で表現していこうと思った次第でございます。

誤った点などもあるかとは存じますが、どうかご容赦ください。


***
1952〜1956

1、坂本龍一さんのルーツ

幼稚園で毎週のようにピアノを弾かされた経験と、叔父さんの影響、ぼくの最初の音楽体験と言えるものは、だいたいそういうものでした。

(坂本龍一(2009).『音楽は自由にする』.新潮社.p17)

著書の『音楽は自由にする』で坂本龍一さんは、一番最初に音楽に触れたのは「3歳、4歳の時に幼稚園で行われていたピアノを弾く時間」と、「叔父さんの影響」の2つと書いています。
「叔父さん」というのは、坂本龍一さんの母親の一番下の弟で、音楽が好きだったようで、たくさんのレコードを持ち、ピアノも弾けました。
坂本さんはよく叔父さんのお部屋に遊びに行き、レコードを聴いたり、ピアノを弾いて遊んでいたようです。

当時はピアノに対して楽しいという感情はあまりなかったと坂本さんは振り返っていますが、感情を持つよりも音楽が当たり前のように存在する環境で過ごしてきていたのかもしれません。
私たちが、毎日お風呂に入るのに楽しいという感情を抱かないように。

幼稚園時代、「音楽」に触れていただけではなかった坂本さん。
東急文化会館で10円のニュース映画(劇場用のニュース※1)を観に行っていたそうです。

「やっぱり坂本龍一ともなると幼稚園の頃から映画とか音楽とかに触れてたんだよな〜。」と漠然と生まれ持っていたものが違うと思われるかもしれません。私もそう思いました。

安心してください。坂本龍一も当時は1人の少年です。

坂本少年は幼稚園の帰り、友達を誘ってニュース映画を観に行ったことが先生に見つかり、幼稚園の「悪い子代表」になったそうです。
そもそもの才能が違うと思っていたけれど、このエピソードでどこぞの女子高生かと思い、妙に親しみを持ちました。

『芸術新潮2023年5月号』でジャーナリストの尾崎哲哉さんはこの「悪い子代表」エピソードを以下のように考えています。

これは「不遜」「生意気」というより、未来の芸術家がいかに早熟であり、幼時から好奇心と反逆精神を併せ持っていたかを物語る逸話だろう。

(尾崎哲哉(2023).『芸術新潮2023年5月号』.新潮社.p66)

後に坂本さんが社会問題について行動していたため、このような解釈をしているかと思いますが、個人的には「反逆精神」(権力に逆らうこと※2)を幼少期から持っていたという解釈が興味深いなと思います。

坂本さんと編集者・後藤繁雄さんのインタビューを集めた『skmt 坂本龍一とは誰か』でも「ちょっと得意な気持ちがした」と振り返っているように、坂本少年の「俺は他のキッズみたいに泥団子なんて作らねえ」というちょっとだけ斜に構えたような無邪気さを感じてしまいます。
そういうところに愛しさを感じたりするのですが。

坂本少年は幼少期から音楽が身近にあり、映画などの文化的な分野にも興味を持っていましたが、それが原因で先生に怒られちゃう可愛らしい一面も持ち合わせていました。
そんなことを知ると、どうにも別世界の人間とは思えないです。

※1 ニュース映画:https://rnavi.ndl.go.jp/jp/guides/theme_honbun_602011.html
※2 反逆:https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%8F%8D%E9%80%86/

2、ウサちゃんのうた

さて、冒頭で記載した「ウサちゃんのうた」、疑問に思った方も多いでしょう。
「ウサちゃんのうた」とは坂本龍一さんが初めて作曲した歌のことです。

坂本さんの幼稚園では夏休みにお家でうさぎのお世話をする体験があり、新学期に入ってからその体験をもとに曲を作る時間がありました。
それが坂本さんの初めての作曲体験で4、5歳の時だったそうです。

ピアノの時間といいすごく個性的な幼稚園だなと思いました。世界はまだまだ広いですね。

ウサギという物体と、ぼくがつけた曲は、本来なんの関係もないのに、結びついてしまった。

(坂本龍一(2009).『音楽は自由にする』.新潮社.p20)

当時の作曲体験を坂本さんはこう振り返り、後の「表現の力」の考えに繋がっています。

3、表現の力

個的な体験から剥離することで、音楽という世界の実存を得ることで、時間や場所の枠を超えて共有されていく、そういう力を持ちうる。
表現というのは結局、他者が理解できる形、他者と共有できるような形でないと成立しないものです。

(坂本龍一(2009).『音楽は自由にする』.新潮社.p21)

坂本さんは、「表現の力」を上記のように考えています。
音楽や文章を考える時、自分の記憶に残っている体験や感情を元に生み出すことが多いと思いますが、その体験や感情は本来、音楽とは何の関係もないことではないでしょうか?

坂本さんが体験したうさぎのお世話から生まれた感情は、元々音楽とは何の関係もないことでした。
けれど、「ウサちゃんのうた」を作曲することで、音楽の世界と結びつき、色々な人の耳に届くようになります。
坂本さんが抱いた「可愛い」「大変」などの具体的な思いは伝わらないかもしれないけれど、「ウサちゃんのうた」は多くの国や異なる時代の人に届くものへと変化していきます。

「表現する」という行為では、その分野の専門性(音楽であれば曲単体の美しさなど)が新たに加わるため、自分の体験や感情をそのまま相手に伝えることはできません。
100%相違なく感情を伝えられないことが「個的な体験からの剥離」であり、表現の限界だけど、表現することで、共通言語へ変化できる。
それが「表現の力」だと坂本さんは考えています。

個人的に、音楽を聴いたり、読書をしたり、人と話すときに抱いていた感情が言語化されたような気がして、とてもすっきりしました。

それにしても、小さい頃から漠然とその結びつきに対して違和感を持っていた坂本さんの感性には驚くばかりです。

***
いかがでしたでしょうか。

今回は坂本さんの初めて作った「うさちゃんのうた」を中心に幼少期の体験と「表現の力」についてポツポツと綴ってみました。

ちょっとひねくれているけれど自分の感情にはとことん素直な少年、それが坂本龍一さんの幼少期ではないかと思います。

私たちも小さい頃の出来事が、振り返ってみると意外と自分の考えに繋がっていることがあるかもしれません。
(あの時作った泥団子も何かしら自分の糧になっていると良いのですが。)

それではまたお会いしましょう。
気長にお待ちいただけますと幸いです。

***
【参考文献】
・坂本龍一『音楽は自由にする』(2009年、新潮社)
・『芸術新潮2023年5月号』(2023年、新潮社)
・坂本龍一、後藤繁雄『skmt 坂本龍一とは誰か』(2015年、筑摩書房)


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