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「うまくいかない」がデフォルト

高校教師の枝瀬です。
主に、教育、心理、コミュニケーションや自己啓発、
日々の気づきを発信しています。

デイノコッカス・ラディオデュランス
という微生物をご存じですか?
人間の致死量となる放射線の1000倍近くにも
耐えられる生物として有名です。

現環境において、
その耐性の強さは「無駄」でしかありませんが、
いざ環境が激変した時、
生き残るのは人類ではなく、
この微生物かもしれません。

タイパ・コスパがよすぎて
合理化が行き過ぎると、
環境の変化に脆弱になります。
サバイバルするためには
一見「無駄」に思えるような能力も必要。

だから、
遊びや無駄なこと、たくさんしようね。
そんな話を今日、高校生と交わしました。

この記事も、
読んでくださった方の気づきのタネになり、
行動が変わるきっかけになれたらいいな
と考えています。
どうぞ最後までお付き合いください。


今日のテーマは「自律」と「他律」。

なにをするにも
「これをしていいのだろうか?」
「それをしてはいけないのではないだろうか?」
相手の顔色やご機嫌を見ながら過ごすのは、
タイヘンだしツライ。

価値基準のすべてを「向こう」が握っている場合、
自分で〇か×かを決めてしまったら、
まちがって失格するのではないかと、
ずっと身を固くしてしまう。

脅かしたり抑えつけたりする
パワハラ気質の上司や先輩がいても、
部下や関係者としては、同じような現象が起こる。
束縛したがる恋人との関係だってそうなるだろうし、
恐怖でしつけようとする親の子供たちもだ。

みんな、自分の判断が外れることが怖いので、
「(これでよろしいですか)」とお伺いを立てて、
ルールの決定権を持つ相手の顔色を見ることになる。

短期的に見れば、
それでうまくいくこともあるだろう。

でも、このやり方には
とんでもない副作用があって、

本当の決定権が自分にある場合でも、
向こう側にそれがあると思い込んでしまって、
自分の判断に間違いがないかどうかを、
ひっきりなしにチェックし、
なかなか行動できなくなってしまうのだ。

簡単に言えば、
「自分の人生」を生きられなくなってしまう。

それでいいのか?

「自分の頭で考える」と、失敗は不可避だ。
怒られることもあるだろうし、
人に迷惑をかけることもあるかもしれない。

「じぶんの頭で考えて」
じぶんで判断するということは
確かに、リスクになりうる。
失敗してもハズレを引いても
自分の責任になってしまうからね。

だけど、ここで発想に一ひねりがほしい。

その失敗を自分で引き受けて
そこから立ち上がることができたら、
どれほど楽しいだろうかって。

ゼロから100に達したとしたら、
プラス100の成長。

それも悪くない。

でも、
マイナス100から100に達したら
プラス200の成長になる。

そのときには
マイナスのときの経験が、
周りの人に大きな共感を感じてもらえるだろう。

失敗もマイナスも
「無駄」じゃない。
たくましくサバイバルするための
必要不可欠なエネルギー源だと捉えよう。

失敗することは
人生のデフォルト(初期設定)なのだと思えれば、
随分たくましく頑張っていけそうだ。

失敗したとき、「つまらない」で終わらすのか?
それとも、失敗を「おもしろい」に変換させるのか?

発想1つで人生は大きく変わりうる。


今日はここまで。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
これを読んでくださったあなたの
少しでも参考になれば嬉しいです。

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