夢助・忌野清志郎~芸術のことは自分に従う②
枝瀬です。
主に、教育、心理、コミュニケーションや
自己啓発、日々の気付きを発信しています。
「だい@初担任のサポーター」と
同一人物でして、
3月は
「だいアカウント」で
平日(月・水・金)3回
教育系の発信を、
「枝瀬アカウント」は
土日(不定期)に、
素の自分発信をしています。
最後までお付き合いいただけると
嬉しいです。
以前、
忌野清志郎というミュージシャンを
記事にしたことがあります。
「今、やけに〇〇を欲してるぞ、自分」と
思うことありませんか?
旬の食べ物はもちろん、
この音楽聴きたい、
この小説読みたい、
あの人と会っておしゃべりしたい!
みたいな・・。
今の僕は、
忌野清志郎(キヨシロー)を
猛烈に欲していて、
車内ヘビーローテーション中なんです。
というわけで
今回は、推し活記事!。
布教活動です。
夢助・忌野清志郎
うろ覚えなので申し訳ないが、
『不確かなメロディー』という
ドキュメンタリー映画の中で
キヨシローは
と語っている。
その言葉通りの人だった。
キヨシローが
若いころ敬愛した音楽は
ローリングストーンズや
デビットボウイ、
オーティス・レディング。
キヨシローが
いかに自分の好きな音楽を大切にして
それを自分の表現の糧にしてきたか、
それはもう
聴けばわかる。
この人は、
自分の思春期の頃の心の動きを
終生、大事にし続けた人だ。
彼の生前最期にリリースした
アルバムタイトルは「夢助」。
「Dreamer(夢見る人)」の
キヨシロー的訳だ。
いつも夢見て、
夢を小ばかにする連中を
眼中に入れず、
突っ走り、
夢みたいな人生を体現させた。
今回は、
数ある素敵な曲の中から
今の気分で6曲チョイスして
みなさんに紹介したい。
甲州街道はもう秋なのさ
キヨシローは
不遇時代の長かった人だ。
自身は、常に、
自分のパフォーマンスに
絶対の自信をもっていたし、
一部熱狂的なファンはついていたが、
とにかくセールスが芳しくなかった。
それゆえ、
レコード会社から一方的な契約解除されたり、
魂込めて制作したアルバムが廃盤になったり、
幼馴染のバンドメンバーが心の病気になり、
キヨシロー自身がクビを言い渡したり・・。
そんな鬱屈した気持ちを
ソウルフルに歌い上げたのが
この曲。
歌わずにはいられないほど、
マグマのように
感情が溜まっていたのだと思う。
そんな表現は
ポジティブとかネガティブ問わず、
人のこころを打つ。
正直な人じゃないと
こういう歌は歌えない。
いい事ばかりはありゃしない
シンプルで
小学生にも通じるような言葉遣い。
ビジュアルやパンクな演奏に
イメージを引きずられると、
一見、歌詞なんて、
殴り書きの思いつきのように見える。
でも、本当は
1曲に大学ノート3冊分ぐらい使って
吟味に吟味を重ねていたそうだ。
実際、
この曲の歌詞も
ダブルミーニングが効いている。
「月光仮面」は、
昭和30年代のヒーロー番組の元祖。
白いターバンと覆面をまとい、
悪事のあるところ、
オートバイに乗って駆け付ける。
ファンの間では
月光仮面=月のモノ
を連想させるから、
この歌詞世界では
交際相手を妊娠させてしまった、
という解釈が通説。
スピード違反で白バイにつかまる一方、
妊娠させてしまった交際相手から、
「正義の味方がオートバイでやってこないぞ」と
なじられるという、
見事(?)な対比で、
やるせなさが強調される。
そう、
この曲の歌詞は全編通して
やるせない。
本当のところ、
この頃のキヨシローは売れ始めている。
名曲『雨上がりの夜空に』で
一躍スター街道を突き進む時期に
こんなブルージーな曲を歌うのが
僕としてはキヨシローを偏愛する理由。
売れるまでの不遇の時代に感じた
怒りや挫折や、鬱屈、無能感・・
生きていく上での
やるせない気持ちを
大事にしている人は
人間として信頼できる。
水の泡
アルバム『秋の十字架』の冒頭曲。
この時期、キヨシローは
「ラフィー・タフィー」という
バンドを組んでいた。
サックスは俳優の武田真治。
私事だけど、
自分は担任時代の学級通信のタイトルを
「ラフであれ タフであれ」としていた。
由来はこの「ラフィータフィー」である。
生徒に言っても通じないから
一度も言ったことはない(苦笑)。
この曲もブルージーで
やるせないのだけど、
キヨシローの曲は、
どん詰まりの中でも
最後の最後まで希望を失っていない。
七転び八起きマインドと
私は勝手に命名している。
誇り高く生きよう
この曲をセレクトしたのは、
というより、
この記事を書こうと
思い立ったきっかけは、
この記事で
「けい」さんから、
ありがたいコメントをいただいたからだ。
嬉しすぎた!!
この曲をチョイスしてくださったおかげで
この1週間はインスピレーションが湧きまくり、
あれも、これもと
選曲を楽しみながら、
記事の構想を練ることができた。
(ありがとうございます!)
塾講師から高校教師に転職するときも
この曲を、よく聴いていたことを思い出す。
キヨシローのラブソングは
「君」と「僕」の世界。
だけど、
キヨシローの「愛」は
普遍的な人間愛に通じるところがあるから、
友情でも家族でも
人間関係全般に応用できる。
今回の記事を書くにあたり、
noteでも「清志郎」を検索してみた。
みなさん、
それぞれの「キヨシロー」像があり、
思い思いに、まるで恋人のように語っている。
そう、
キヨシローの歌詞は
「君」と「僕」しかいないので、
聴いているうち、
「オレ一人に向かって、歌っている!」
という気にすらなるのだ。
大衆ウケではなく、
コアにコアに
ファンの心に突き刺さるタイプの
ミュージシャンだった。
毎日がブランニューデイ
木村拓哉も
「この歌が好き」と公言している、
というのは豆知識。
「多幸感」という言葉が
一時、流行したけれど、
そんな感覚をずいぶん前から
キヨシローは歌ってくれていた。
この曲が
気分にジャストフィットすると
幸せの強度が無敵になり、
なんでもできそうな気がするから、
ある種、危険な歌でもある(苦笑)。
晩年のキヨシローの歌は
底抜けにポジティブ。
ソウルが澄み切って、
明日や未来や
希望にしか焦点が合っていないのだろう。
LIKE A DREAM
キヨシローは、
2007年7月に喉頭ガンで
一時、すべての音楽活動を休止するが、
翌2008年2月
日本武道館で『復活祭LIVE』を挙行。
その最後の最後に歌ったのが
『LIKE A DREAM』で、
何度見ても
目頭が熱くなる。
キヨシローは
歌詞世界によって
声色を使い分けていたけれど、
この曲の歌い方はとくにやさしい。
私見・キヨシローの魅力
2009年5月2日。
ガンの再発を発表していたキヨシローは、
容態が急変、帰らぬ人になった。
09年は僕が高校教師になった年で、
訃報を知ったのは
部活動の大会に向かう電車の中だった。
ニュースでは、もっぱら、
「反骨のロックンローラー」として
紹介されていたけど、
僕には、違和感があった。
確かにキヨシローは
「反骨」の人だ。
放送禁止用語を生放送で歌ったり、
原発反対ソングや、「君が代」を歌って
販売中止を受けたり、
それを怒ったり(笑)。
反体制・反権力を
ロックと定義するなら、
間違いなくキヨシローは、
ロックンローラーだ。
でも、キヨシローは、
そんな一括りの概念で
理解できるような器じゃない。
あるときは
繊細な吟遊詩人
あるときは、
憂鬱なブルースマン
あるときは、
「愛と勇気」の塊のような人。
キヨシローは
キヨシローとしか形容できない。
自己表現を全うした人は、
すべからく芸術家だ。
亡くなった1週間後、
東京・青山葬儀所で、
「AOYAMA ROCK'N ROLL SHOW』が営まれた。
弔問数は43000人。
僕もその中の1人。
たまたま、隣になった人とは
『タイマーズ』の話で盛り上がった。
…………。
いかん、
この記事、
延々と書けてしまう!
やめ!やめ!
もう終わります💦
またの機会に❗
謝辞
先述しましたが、
この記事を書くきっかけは
noter「けい」さんのコメントのおかげです。
そして、
アラフォー仲間
キヨシローファンというところで、
「田中弥三郎」さん。
また、
こういうタイプの記事に
チャレンジしようとしたのは、
お二人の影響もありました。
真理花さんの記事に関しては、
「推し活」などという
やや軽薄な響きのある言葉を使うと、
失礼にあたるかもしれません。
でも、
人生を変えてくれた恩師を
「自分の言葉」で語り続けようという姿勢に、
共感と敬意をこめて引用させていただきました。
最後に。
noteは何を書いてもいいんだ!
「楽しく続ける」ことを最優先すべきだ、
というメッセージを送り続けてくださる
クロサキナオさん・りょーやんさんも
日々、
「ありがたし」(めったにないほど素晴らしい)です。
長文乱文、
最後までお付き合いくださり
本当にありがとうございました。
これを読んでくださった
あなたの少しでも気づきになれば
嬉しいです。
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