見出し画像

周りを引きつける人になる

今日(6/25)はマイケルジャクソンが亡くなって10年の命日だということで、運転中のラジオからマイケルの数々のヒット曲が流れてきた。

ちょうど10年前、バーガーショップでビール飲んでいるときにMJが意識不明状態で自宅から搬送されていたのを中継で見ていて、すごくショックを受けた記憶が蘇る。日本に帰国してもうすぐ10年になるが、自分はどう変わっただろうか? 目指していた自分像に近づいているのだろうかと自問してみた。

当時は社会経験も少なく、比例して自惚れていたんだなぁと振り返る。
無理やり正義を作り出し、自分の意思を押し付けることで自主的、活動的であると思い込み、人を惹きつける事に躍起していたこともあっただろう。

当時目指していたのはきっと、「カリスマ性を兼ね備えた経営者。」
といったところでしょう。

そんな自分でありながらも、いや、そんな自分であったからこそなのか、私の横暴さをさらりと受け流す、”静” の雰囲気をまとった人たちとの出会いは、いつも印象的で心に残っている。
その、穏やかで優しく強い人たちの周りは、やはり平穏だけど隙のない空気感が漂っていて、そういった人たちと対峙すると、決まって私は空回りして、バツが悪くなっていた。

周囲と調和、感応し、中立にたたずむ。
自分とは人としての次元が違うような感じでした。
単に地頭が良くて何でも論破できるとかというレベルではなく、
とても自然で、自分の気持ちに正直であり、決して声を荒げるようなタイプではなかった。 

次に、「内業」に書かれている中から、

カリスマ性のある人は、人を魅了する独自の特別な個性を持っているから
カリスマ性があるのではない。
カリスマ性のある人は自己を修養しているのではなく、
エネルギーを修養している。

エネルギー(気)を修養するには、自己を修養しなければならない。
自己を修養するということは、例えば、
健康であり、何かにとらわれすぎずに心を安定させ、
多くの事や物に感応し、繋がり、良い反応を示すこと。

と、私は解釈しました。

当時も今も、まだまだ何かにとらわれて、心が安定してないなぁと感じますが、今の自分があるのも、過去の自分の延長上なので、そういった過去の出来事にも目を背けず、安定した気持ちで繋がっていくことも自己の修養につながるのだと思います。
もちろん、マイケルジャクソンの曲を久し振りに聴いて、心の奥深くにある何かを感じ取ったりすることも大切な要素だと思います。

しかし、ごく普通の職場(社会)においては、高純度の気をまとった人がたくさんいるわけではないので、ほとんどの人は気が洗練されていない状態で互いに交流している。自分の低レベルの気が、別の人の気にぶつかり負の連鎖が発動する。

では、その時に負のエネルギーに反応するのではなく、その人の別の面に反応して、良いエネルギーを引き出してあげることも自己修養となりましょう。

”すぐに結果を求めたり、相手の反応に期待してはいけない”
ここが一番の自己修養ポイントであると認識して、少しずつ修養を重ねよう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?