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「素敵なみよ子さん」が消えた日

最近、年をとって忘れっぽくなってきました。特に日本の外にいると、日々思い出がおぼろげになり、日本語も怪しくなる。これは日本とイギリスの子供を取り巻く環境について、といったような社会問題についてでなく、あくまで私の子供時代の思い出についてですが、すっかり忘れてしまう前に書き記しておきたいと思います。

4歳の私が見つけた絶好の遊び場

私は現在イギリスの北のエディンバラという街に住んでいる。この街では、というかイギリスのどの都市でも、もし未就学の子供が一人でウロウロしているのを隣人がみたら、隣人はおそらく児童相談所に通報するだろう。まして、赤の他人の家に無断で入り込むなどということはありえない。入れる方が罪に問われる可能性がある。

が、1970年代の日本の田舎では、というか我が家と近隣の家では、未就学児が近所をウロウロするのも、また赤の他人が面倒をみてあげるのも、普通にあったことだ(『となりのトトロ』を想像してほしい)。幼稚園に行く前の私の記憶は朧げだが、忙しい両親は私の相手をする時間などほとんどなかった。それは我が家に限った事ではなく、ほとんどの近隣の家でも同じ事だった。そこでしばしば隣家のご隠居さんの離れに遊びに行っていた。行けば必ずおやつを勧めてきた。一緒にTVで大相撲をみて、飽きたらまたどこかに行く。

それとは別に、私はもう一軒別の場所に出入りしていた。それがみよ子さん宅だった。

記憶に残っているみよ子さんは20代くらいのスリムで綺麗な女性だ。頻繁に家におり、お菓子をくれた。そのお菓子もご隠居さんがくれる、大人のお菓子の余り物ではなく、私が好きなグリコや森永のお菓子だったと記憶している。

家も、大正時代に建てられたご隠居さんの古臭い離れや、古民家に無理やり現代の物を押し込んだ広くて隅々が暗い我が家とは違っていた。みよ子さんの家は新しく、明るく日当たりがよかった。壁が白く畳も新しかった。

みよ子さんの家に行けば意地悪な兄も、赤ん坊の弟もおらず、ひっきりなしに押しかけてくる近所の人もいない。ずーっとテレビをみていても、本や漫画を読んでも何も言われない。家を嫌っていた覚えはないが、とにかく快適だと感じた事だけはよく覚えている。

何よりみよ子さんは他の大人のように「あれはダメ、これはダメ」と言い捨てたりしなかった。

あちらに用事があると言ってはバタバタ走り、こちらに買い物に行かなくてはと言っては車で消え、子供の話には面倒くさそうにするくせに他の大人とはぺちゃくちゃ大声で無駄なおしゃべりをする。それが子供の目に映った田舎の大人である。が、みよ子さんには時間があった。急いでいなかった。みよ子さんには自分の子供がなかった。

みよ子さんの夫

美代子さんには夫らしき人がいた。らしき人、というのはつまり彼が本当に夫だったのかどうか実は知らない。大柄で少し小太りの、当時としては髪の長めの男性で、覚えている限りゴロンと寝そべって漫画を読んだり、TVをみたりしていた。平日の昼間でも家にいて、私に漫画を出してきてくれたりする。

青っぽいトレーナーと長めの髪とスボンといういでたち以外でこの夫について何一つ思い出せる事はない。タバコをふかして横になっているだけなのだ。みよ子さんの家は我が家から歩いて2分なのに、みよ子さんもその夫も、うちに来たことが一度もなかったように思う。時にはみよ子さんだけが留守で、夫らしき人だけが家にいた。そんな時でもやっぱり居間でテレビをみて、お菓子を食べて帰った。

忽然と消えたオアシス

ある時、いつものように暇を持て余した私がみよ子さん宅に行くと、鍵がかかっており、中には誰もいなかった。カーテンが閉まっていたので、中の様子もわからない。母にそれを言うと「もう行くな」という答えしか返ってはこない。みよ子さんはどうしたのか、と聞いても納得する答えは返ってはこなかった。

しばらくして、近所の女の子が、ある日「いいもの見つけたから一緒に行こう」という。それはみよ子さん宅の敷地にあった小さなビニールハウスで、中にはちょっとした家財道具、キッチン用品、小物、そして不思議な紙の札のようなものが散乱しているのである。

私は「お母さんに見つかったら怖い」と言ったのだが、隣家の子は「お母さんに何か持って行ったら絶対に喜ぶ。捨ててあるのだからいいのだ」と、置物やコップなど幾つかの「いいもの」を持ち帰った。私もプラスチックの角形トレーに何種類もの野菜カッターがついたものがあるのを見つけて、それを母に持ち帰った。帰り際、雨ざらしになっている小皿を庭で見つけた。それは見覚えがある皿だった。みよ子さんがお菓子を盛るのに使っていたオレンジの花の柄の皿。

私から野菜カッターを受け取った母はなんだか微妙な反応をしたが、結局その野菜カッターは、育ち盛りの子供が4人いる我が家の台所で重宝され、かなり長い間使われる事になった。

みよ子さんとは誰だったのか

みよ子さんに何が起こったのかを知ったのは、それから数年経ってからの事だと思う。みよ子さんの家は別の家族に購入され新しい隣人がいた。

家族の集いで台所で食事の支度を手伝っていた叔母に、野菜カッターは自分が見つけてきたのだ、と自慢すると、母親は微妙な顔をして叔母に、

「この人、例の夜逃げした人たちの残したのを持ってきたのだ」

と苦々しそうに言った。もう私はその頃にはずいぶん大きくなっていて、彼らの身に起こったトラブルは近隣の人達にとって過去のものになっていた。

母と叔母によると、みよ子さんは美容師だったのだが、彼女とその夫は薬物中毒者だったのだそうだ。借金が膨らんで、首が回らなくなってしまい、家財道具を置いたまま夜逃げしてしまったのだそうだ。

私はきれいだけど虚ろな感じの彼女の様子や、昼間から家でタバコをふかしていたみよ子さんの夫の生気に欠いた様子を思い返す。私の小さなオアシスは、色を失ってしまったようだった。

みよ子さんはどこにいるのか

みよ子さんがどこで何をしているのか、知る由もない。ひょっとしたらみよ子さんは私の想像の中だけで存在しているのかもしれない。ただ、みよ子さんの家の庭で拾ってきた野菜カッターだけがみよ子さんが存在していた事のただ一つの証しなのだ。

私がもしみよ子さんに会えるとしたら、私に居場所をくれてありがとう、と言いたい。世の中の人がどう思っていようが、私には暖かいオレンジ色の空間と、みよ子さんからもらったお菓子の事だけが鮮やかに思い出される。

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