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それでもなお望む

太陽礼拝というヨガの一連の流れがあります。
その太陽礼拝の流れを108回行うというのがここ何年かヨガ業界の恒例行事の一つです。

その108回太陽礼拝をやりました。
受ける側で。
「あれっこんなきつかったっけ?」
と言うのが正直な感想です。
108回するには、最初の軽いストレッチ的なことや途中水分補給休憩などの時間を入れても約2時間弱かかります。

時間的には、50回超えたあたりから、もう半分かと感じます。80回ぐらいで、もう終わっちゃうのかぁと感じていましたが、だんだんと手を抜く自分がいることに気がつきます。

手を抜くというより、裏腿、いわゆるハムストリング周りが結構きつくなって、流れの最後で前屈状態から立ち上がるのですが、その立ち上がりが何気にきつい。
だからここのポイントでその裏腿に刺激が入らないように上手く力を抜くというか、手抜きするといいますか。
これはこれで、無理したら筋肉や関節に負担をかけますから必要なことなんです。

そんな感じで、108回無事に終えました。インストラクションしてくれたトレーナーが上手でしたので気持ちよく出来ました。

女性の場合、太陽礼拝の中の動きのうつ伏せから腕で地面を押して胸を伸ばす状態(アップドック)が腕立て伏せのようできついという方が多いと思います。
腕立てではないですが、近いような動きを合計108回やると思うとそりゃきついですよね。

そういった意味でも、終わった後の達成感も人によっては頑張った自分に感動して泣く人もいるかもしれません。

そもそも何故108回もやるの?といえば、除夜の鐘でもおなじみ108の煩悩を一つずつ消していくというところからきているようです。

仏教の世界では、煩悩は無くなるものではないという教えらしいですが、もちろん私も108回の太陽礼拝で煩悩が消えたとはこれっぽっちも思っていません。
煩悩の三毒というのがあり、数ある煩悩の中でも克服すべき根本的な3つの煩悩のことで、貪瞋痴(とんじんち)というそうです。

貪は貪欲、瞋は瞋恚(しんに)、痴は愚痴の3つです。
貪欲はむさぼること。
瞋恚は妬む、羨むからくる恚り(いかり)のこと。
痴は愚痴のこと。ここでいう愚痴とは不平不満を言うことというよりも、真理を理解しない愚かなこと、無知なことという意味のようです。

108回の太陽礼拝が終わって、
シャワーを浴びたら、気持ちよくなって
「さぁて今夜は美味しいもの作って何飲もうかな?」ともう、「貪」です。
それこそ108回の太陽礼拝をしておきながら心から感じる、真理を理解しようとしてない「痴」ですね。

それでも、ワイン一、二杯ぐらいにとどめれば良いものを、トモヒロ、欲のかたまりです。貪欲です。
泡を開けたら年越し用にしようかと用意してた赤ワインを開けてしまう始末。

いつのまにかシャバーサナをして深すぎる瞑想に入るのでした。