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12-30 今年の振り返り(大長編)(主に自然教室)

1:00
人生で初めてかもしれない、酒飲んで気持ち悪いと思ったの。頭痛薬とウイスキーが胃でマリアージュを起こしている。胃が焼けるようだ。

2:30

なんかこの曲聴くと俺死んだのかな?って思っちゃう。
そこまでとは言わずとも、なんだか走馬灯じみたものを感じる。何故かこの曲がのび太のワンニャン時空伝と結びついてる。何故か。

それともかなり関係ないけど、死んだみたいな感じがするんだよ。

8:00
目が覚めたけど布団から出られない

9:30
布団から脱出
昨日と同じ朝食を摂る。

11:30
また布団に入ったら出られなくなった。
今年の振り返りをするか。


1月
かなり勉強してた。
天井まで単語を書出したルーズリーフで埋まってた。あのころは逆に楽しかったかもしれなち。それなりに賢かったしな。多分今は半分ぐらいしか勉強できないと思う。
なんだかんだ高校の人たちと遊んでたりで満喫してはいたのかもしれない。
共テがめっちゃ楽しかった記憶ある。だいたい同じ高校の人だし、俺当時金髪坊主だから他校の人を威圧できたし、休憩時間はみんなでおしゃべりできたし、良かった。
そんで周り見渡すと知り合いばっかなのってまじで心強かった。真面目にやってるやつを「つまんなそ〜」って見下してたので非常に気持ちが良かった。ここでいちばん面白いのは俺だ、ってマジで思ってた。

そしてキモかったのは追い込まれすぎてシーシャに手を出してたこと。なんかすごく甘くて美味しかった。今でも時々買おうかなとか思ったりする。
あー久しぶりに買うわ年明けたら。思い出の味なんだよくそキモくても。
青リンゴ味。
まあ何がキモイって「こんなことするほど追い詰められている自分」に酔ってたからなんだけどね。

2月
本格的に受験。
いやーそんなにトータルとして受験勉強はしなかったけど開放感が凄まじかったな。そんで爆弾ジョニーをめっちゃ聞いてた。終わりなき午後の冒険者、駄々駄、唯一人、キミハキミドリ、男の子、、、、
特に覚えてるのは文教大学の受験の帰り。
問題もめっちゃ簡単だったし、すごく気持ちよかった。
早稲田は普通にムズすぎて落ちた。英語の傾向が大きく変わったんだよな。そんでボコボコにされた。英語さえ出来てれば受かってたのではって今でも思うことがある。
そんで中央の受験の時、地元の相棒がちょうど目の前の席にいたんだよな。凄く心強かった。強気でいられた。まじでありがとう。そうそう雪めっちゃ降ってた。
帰り道キャンパス内で雪遊びしようとして恥ずかしいからやめろと諌められた。

受験が終わり、2月後半戦、それはそれは遊び倒してた。
鶴見の友人の家でダラダラしたり、そこに女子を呼んで小さな優越感に浸ってた。その次の日には婆ちゃんちに友人を招いた。その次の日には2ヶ月ぶりのバイト。
次の日にはまた鶴見の家。その次の日には都立大を受けに行く友人を見送りに行く。その帰りに朝の日光に当てられながら聞いた以心電信。今では日常となっている京王線の風景がその時は新鮮だった。土日は家族でタコパ。
彼女を寝とった男と受験終わりを祝う飯。彼と話すのは本当に楽しかった。夢を深く語れる相手だったし、俺をめっちゃ厳しく見てくれるから助かっていた。全てを見透かされている上で一緒にいてくれている心強さ。縁が切れたのが惜しい。
 
3月
今年で1番、いや高校生活でいちばん忙しかったかも。もしくは人生で。
桜木町まで久しぶりに歩いた所から3月は始まり、学校で丸刈りにされてそれを染髪し、天丼食って古着屋見て、からの大阪。大阪卒業旅行楽しかったな。

この行きの新幹線でクラスに馴染めないから音楽聴いてた時に50回転ズに出会った。マジで今年1いい出会いだったな音楽だと。結果論的に。結果的に今年1番聞いた曲だったからね。
大阪着いてからもUSJでハリーポッターのに並びながらファンシーしりとりとかいう意味不明な遊びをしたり、フライングダイナソー拒絶してつまらんやつになったり、スパイダーマンのやつを全力で楽しんだり、杖を買いに行きたいとごねた奴がいて本気でムカついて空気悪くなったり、ダンスを全力で踊って注目されて気持ちよくなったり、バスで嫌いな奴がマジでウザすぎて煽りあいになったり、ホテルの部屋で永遠に音楽の話したり。そんな初日。だいぶ端折って書いてる。

2日目にはアメ村でカモられた。今思い返してもムカつく。あそこで1万で買ったペインターパンツ夏にはもう股が破れたんだが?マジで詐欺だわ。ああいうヤツらの気さくさと話術に騙されてものを買うのはよそう。俺以外にも人はいっぱいいるから俺が買わなくったってあの人たちは困らない。あいつらから話術を研究したいわ。
そんで普通に2万消し飛んですごく機嫌が悪くなった。勉強代にしては高すぎる。
道頓堀も汚いし混んでるしで嫌だったなぁ。でもテレビで出てるところに自分がいるっていう嬉しさはあったな。
昼飯のお好み焼き屋では嫌いな奴と見事に分断できてよかった。そんで量多いししょっぱいしだったけど、店内の雰囲気がいかにも老舗って感じで良かった。
そういえば厨房の中で若い弟子みたいなのがめっちゃボロカス言われてたような気がする。気のせいかな。あれはちょっとこっちまで怖くなった。雰囲気良くないやんけ。
こういういい雰囲気の所にいるとさ、自分がセンスいいやつだと思えてくるからいいよね。
そんで最後の集合時間に班のやつらが遅れてくるせいで俺はめっちゃ怖かった。班を別れて行動してるし、遅れるしで絶対怒られると思ってイライラしてしまった。あの時はごめんね。
そんで帰りの新幹線も孤独。寝てたっけな。
帰ってきてから、なんかを買うっていう友人に付き合って新横の駅からちょっと離れたドンキに歩いて行った。高一から一緒に踊り続けてる彼とはお互いのアウトな性癖を語り合える、お互いに核を持っている一蓮托生みたいな関係だった。そんな中でのノーガードの猥談は楽しかった。疲れて果ててたけど。

地元の生徒会長の浪人が決まったヤツと飯。また元気出せよの会。そこで金玉が3つになった話を聞いて大爆笑した。彼はエピソードトークの引き出しが多すぎて勝てる気がしない。

球技大会を観戦してる最中にボケて、それが不発で、恥ずかしくて友人を殴ってしまった。挙句それを金銭で解決しようとしていた。もう二度としません。あの説教はかなり効きました。

釜飯美味かった。そのあと旅行の計画を立てたけど実行はされないまま。

カラオケで卒業ライブの歌の練習。カラオケではうま目に歌えるのになぁ。

1番やりたくないバンドの練習があったなあ。なかなか上手くいかないベースボーカル。歌いながらだとどんどん早くなっちゃう。恥ずかしくて早く終わらせたいんだよ。てかそもそも畜火以外で歌いたくない。そもそもバイオリンってなんだよ。それ以外できないのに軽音ヅラすんなよ。俺かなり迷惑してたよ。周りの女子もちょっと、いやかなり迷惑だったと思うよ?
本バンドのギターが遊びに来てドラム叩いてた。それに合わせて俺もベースを弾けた。お互い椎名林檎クラスタが好きだからある程度知ってる曲が共通してんのですごく楽しかった。ああこの頃の軽音が良かったな。何も言わずとも何をやりたいかくんでくれてた。

後輩の発表を見に鶴見へ。その様子を後輩の女子がストーリーにあげてくれてすっごく嬉しかった。すっごく。そうやってストーリーに載せてくれる程度には俺の事を友人だと思ってくれていたのかって。今思い返しても泣ける。なんで俺はあそこでいいリアクションが取れなかったよか。
そして男の後輩たちと飯へ。女子の可愛さを大学群で例えるっていう最低な遊びをした。このままだとこの団体が学歴厨に染まる。そして風呂。

本バンドの練習は最高だね。本当にいいバンドだった。
バンド内恋愛もネタにできるいいバンドだったんだ。春の陽光。

卒業生を送る会、俺も名物卒業生として少し選ばれていたので登壇したが、糸を歌うというボケをして大すべりした。しかも人を巻き込んでしまった。すごく反省してる。
先生たちがRADの正解を歌ってて泣きそうになったけど、後輩たちのコントで一気に壊れた。泣けなかった。
あぁ本当にあの頃は楽しかったなぁ。俺はいい先輩として色んな人から注目され、愛され、本当に幸せだった。嗚呼。
RADの正解今聞いても歌詞が刺さるな。
俺が大事にしたい思春期ってのを非常に上手くかけているなぁと上から思った。

そして卒業式。
涙は流さなかった。でも今思うと泣けたんだろうな。あれってクラスの人たちとは完全に決別するってことっしょ。もっと大切にしても良かったんだろうなぁ。そんでめっちゃエロい卒業式の衣装の人がいた。ずっとその話で持ち切りになるぐらい。
祝賀会で腰を降ったらいいミームが生まれた。
高校本当に楽しかったな。ずっと居たかった。本当に。今でも思うよ。今も楽しいけど、やっぱり俺は心が高校に囚われたまま。いつまでもあそこにいたい。
色んな女子とも写真撮れたのでよかった。そんで今はなくなってしまった後輩ともここで写真を撮ってた。今見たらすごく心が締め付けられた。もう会えないってことを、なんかこの写真の時の彼は生きていて、それは本当にもう俺の心の中にしか動く像は無いんだなぁと。
支離滅裂ッ!
スーツは息苦しいので、着替える。みんなはスーツのまま。そのまま学校でバンド練習。男畜火は高校で一番いいバンドだったと、今でも思うよ。1番ソウルが乗っていた。楽しかったなぁ。
練習も終わり、いつもの溜まり場で過ごす。ひとりがギターを引き出してそれに合わせてみんなで歌う。あの時間美しすぎるだろ。
そしてガストへ。そして戸塚ハウスへ。10人近い人数で押しかけたのでぎゅうぎゅう。寝るのも一苦労だった。すっっっごく楽しい夜だった。

そしてその日の朝起きてそのまま後輩カップルと飯。俺の合格祝い兼卒業祝いを開いてくれた。サプライズでケーキと花束もらったけど、泣けなかった。それはすごく申し訳なく思ってるんだけど、すごく嬉しかった。俺は人間になれたんだ、後輩からこんなに認められるようになったんだ、そう思ってた。彼らは俺のベスト後輩たちなのかもしれない。すごく慕ってくれてたしね。もっと大切にすればよかった。あいつらにはもっといい店連れていくぞー。金貯めるぞー。
そしてそのまま軽音のリハ。疲れ果てて死んでた。

またやりたくないバンドやってそのあとサイゼ。まあお喋りは楽しかったよ。本バンドのギターあんまり会話したことは無いけど俺の事めっちゃ理解してくれてて嬉しかった。

軽音の話ばっかりしてるけど踊りの方もちゃんとやってましたよ。

こっからは更に軽音と踊りの練習がはいり死ぬほど忙しく。

そして本番、先に踊り。
途中で疲れたとか言って離脱しやがったドアホに死ぬ気でムカついた。マジでなんなんだ?舐めてるだろ。その癖してほかの団体では偉そうにちゃんとかっこよく踊ってて死ねやって。こっちをかろんじすぎだろ。って話を本番終わったあとに落語みたいに正座して語った。
最後の舞台なんだよなあれが。俺のいちばん楽しい3年間がここで終わったんだな。実感湧かないよ。マジで。今でも踊りを体が覚えてる。世界で一番いい団体だよ。俺のユーモアはそこで培われた。俺の青春だったんだ。

軽音も無事に終わった。
こっちのステージでも踊った。やっぱ男畜火は最高のバンドなんだよ。本バンドの方もめっちゃ良かった。
烏滸がましいかもしれないけど、俺はこうやってステージでなにかしてるのが一番しあわせかもなぁ。
みんなインスタにめっちゃ好評を入れまくってくれてたので帰りマジで泣いた。泣いたんだよ。
叩かれがちな俺を受け入れて、話を振ってくれたりしてくれた軽音の人達がすごく好きなんだ。優しくしてくれて本当にありがとう。本当に救われていました。

4月
そんな素晴らしい環境を捨てて望む大学、絶望しか無かった。
湿気てやがるなぁと初日ッから思ってた。
今では大学も結構すきではあるけども、やっぱこの頃はクソだなぁと思ってた。
とくに入学式、人多いし、自分と似たような見た目のやつも何人か見たし、ああ俺はここで何者でもなくなるんだなぁって絶望した。

3日には男畜火ラストライブ。一昨日行ったライブハウスで高校生のライブがやってたので、応募時に高校生だったので滑り込みセーフで参戦。
今までやった曲全部やった。
あんなに熱いステージは無いな。最後のハイタッチが我ながら死ぬほど美しかったと思う。恥ずかしながらね。
あぁあの熱は忘れらんないよ。俺はやっぱロックが大好きなんだよ。またほかのメンバーじゃなく、男畜火としてやりたいんだ。あんなにいいバンドないんだ。

次の日は本バンドの男メンバーと美容学生と飲み会。初めてなんだよな確か、同級生と店で飲むの。
この会も楽しかったなぁ。めっちゃ美容学生に褒められて嬉しかった。30すぎてお互い独身なら〜のくだりを真に受けたりしてる。馬鹿だなぁ。

数年ぶりに相棒の家へ。ピアノが得意な彼とベースで軽くセッションしたりで楽しい回でしたよこれも。あいつの部屋行くといつも気が抜けるんだよや。寝ちゃう。

大学に馴染めない日々。

履修相談できしょい時間組まされて1部改変したっけ。そひて新入生歓迎パーチーは出れなかった。バイトだったけ。
きしょい時間割組んでくれた先輩はTTの指導をしてくれてた人。いちばん信用をおける先輩。

前期の月曜は二三限空きだったので映画見に行ったな。スラムダンク、めっちゃおもろかった。
宮城リョータが抜くところで涙出た。そっからずっと泣いてた。

軽音同好会の集まりに初めて行ってなんか覚えて貰えた。同中の先輩がいてビビった。
なんなら同中の同期もいた。幼稚園から一緒のやつだから奇跡の再会。
 
湘南のライブを主催してる鎌高のやつと飯に行った。2年ぐらい前に貸した服を返してもらうついでに。音楽の話をして楽しかった。ライブのグッズも。

教育のオリエンテーションパーティー。この頃は好調だったみんなも失速してるなぁ。

次の二三限空きはジョジョ読んでた。

JKBの体験会では、火縄銃実際持ち込んだりおもろいところかと思ってたけど大間違いだった。
今思い返すとこの頃にはまだ疑問抱いてただろ。こいつら大丈夫か?って、それなのになんで入ったんだよバカ。

birthdayパーチーをうちの焼肉屋で開催した。
プレゼントのセンスが終わってるんだなぁと感じた。クソみたいな地元に招いてすみませんでした。

高校留年してる友達とも飯に行ったな。死ぬほど大遅刻してきたけど。どんな話したんだっけなぁ覚えてねぇなぁ。まあ大概猥談でしょ。初めてコメダ入ったかもな。

そして大学初めてのバンド練習。死ぬッほど緊張した。
4年と3年、十何万のギブソン持ってるイケメンギタリスト、3歳からドラムやってる一浪、その中に俺だから場違いすぎる。マジで緊張したなぁ。
ピックを持つ手が震えてた。膝もガクガク。なんかケチをつけられんじゃなかろうかと震えてた。
意外と褒めて貰えた。まあそりゃ最初から厳しくは言わんやろ。
そんでみんなクッソ上手かった。4年の人なんて今まで会った男性ボーカルでいちばん上手かった。ギターもめっちゃいい音だし、ドラムもレベチでうまい。俺だけ置いてかれている。黒閃を出さねば。

次の日はまたに三限空きなので銭湯へ。
昼間っからはいる風呂は最高だね。

そんでマキシマムザホルモンの練習もあった。
いやっ!マジでデスボ出せる人いたんだな。
すっげぇ楽しかったこれも。重たいの最高だな。高校でもこういうのやりたかったな。

Vaundyのにも参加したけど、ボーカルがすごい苦手だった。どぶ森のローランみたいな感じの見た目をした、常識のないやつだった。
歌も下手だし。嫌な気持ちで練習してた。

ああ4月入ってからだなお酒をよく飲むようになったの。練習とかいう名目で。
あと韓国に行く友達へのメッセージビデオでコント作ったのも。


5月
この頃何聞いてたっけな。でもどっちにしろなんかめっちゃ明るくて楽しい曲を聴いてたよかな?
あーーーーーーそうだ。ELLEGARDENとBEAT CRUSADERSとだな。めっちゃ好きになった。ドーピングパンダとかもか。この頃明るかったな世界。

川崎の競馬場に意味もなく行ったこともあったな。

そんでその次の日、元カノと飲みに行ったんだ。いやらしい事の一つや二つを期待して行ったけど待ってたのは絶望だね。
ボロカスにマナーとかを貶されて、今の終わってる彼女の生活を聞かされて、人格も否定されて、クソッタレだった。本当に失望した。俺が好きになった彼女は見る影もなかった。いや嘘だね。やっぱりキツく俺を見てくれるところは前と変わってないわ。
浮気セックスに興じ、毎日飲み歩き、タバコを吸い、おっさんは優しいとか言い出すカス女になっていた。嗚呼。
その日はそのまま桜木町に行き、後輩たちの練習に顔を出す。やっぱり俺は高校にいたいなぁとまた強く思った。そして後輩のコントが酷すぎた。救えない。
後輩の女の子からも話しかけて貰えたけどつっけんどんな態度をとってしまった。

チャリで渋谷にも行ったな。あの旅は楽しかった。ただ246を北上していくだけなんだけど、知らない道だらけだからテンションが上がる。そして俺は都内に憧れがあるので、それを実際にこの目で見れていることが嬉しいんだ。風を切る。
春っていいね。春の空気が最高だよ。秋よりも希望に満ちている。暑いんだけど、それでもいいんだよ春は。

そんで同好会のフレッシュマンライブ。これもまあかなり楽しんだよ。ベーシストとしてのステージなら今までで1番のステージだったかも。弾いてる最中目が合うし、4年の先輩の人気のあまりステージの真ん前までサークルの人達がおしよせて大盛り上がりだし、最高だった。
高校よりもいいステージをしてしまってなんだか不貞を働いたかのような気分になった。

みそきんをさがして下北を歩き回ったりもしたのが5月。

そしてみんなが俺の誕生日を祝ってくれたのも5月。俺が誕プレなんかを貰うとはなぁ。感激だよ。とかいちつつ俺は何も恩を返せてはいない。むしろ延滞してる。こん時に貰ったTシャツ今でも愛用してる。キセルは使ってない。ホルモンもちょいちょい聞いてる。ズボンは履けてない。ごめん。

新宿へも行ったな。甲州街道をずっと行った。あのThe新宿っていう駅前の通りに出てすごく感動した。
都庁とかの高い建物の間を通るのも楽しかった。神奈川じゃああんまりないよ。

本バンドのみんなとうちの焼肉屋に行ったのも懐かしい。エアポーカー、エア麻雀とかいう意味のわからない遊びをして楽しんだ。女子が死ぬほど可愛かった。もうなかなか会えないと思うと今でも涙ちょちょぎれる。

初めてお酒の飲みすぎで友達に迷惑をかけた。
鬼滅実況しながら支離滅裂な言動を繰り返してたらしいけど記憶がまっっったくない。

フレマンでアジカンやったメンツでミッシェルのコピバンもやった。これはオーディションに向けて。

後輩とも飲みに行った。本当はこの日パワーマンも来る予定だったんだけど、貧血かなんかでぶっ倒れて搬送されてたらしい。今でもあの驚きは忘れられない。彼のお母さんに連絡してしまったもん。そんで事実を告げられた時ぶったまげた。めっちや心配したわ。元気になって本当に良かった。

Vaundyをまたやったんだけど、ボーカルのやつがめっちゃちんちくりんで濃い顔の中国系オーストラリア人ハリーだったのは驚いた。彼に英語褒められて調子にも乗った。

そんで、オーディション。かなりきつかった。
めっちゃ狭い部屋にすし詰めにされて、爆音に晒され続けるのが10:00カラ19:00すぎまで。マジできつかった。
しかもほかの人たちうますぎてドン引きした。
俺らなんてマジで鼻くそ。いや俺か。俺だけか。ハリーとちゃんと仲良くなったのもこのとき。
スサシのコピーでオーディション出てた先輩たちがうますぎて、死ぬほど感動した。「こ、これこそ破壊、、、、!」みたいに。以来、スサシにハマった。

6月
頭の方に岸辺露伴ルーブルへ行くを見て以来あんまりなんかした痕跡がない。

もしかしたら爺ちゃんの癌発覚この頃かも。
一族全員揃ってるところにガンになりました!みたいな内容のを誤爆して、大パニックになって、おじが急いで全員をグループから消去してた。

この時期にまた新しいサークルに入った。けいおん。そして高校の因縁の相手がいるところ。
ここではandymoriとアジカンとバウンディ。またかよ。
andymoriではシティライツのリズムがむずかったり、Peaceのフレーズが鬼みたいな基礎練フレーズだったりだったけどおもろい先輩と組めたのでセーフ。初射精が浪人時代に行った風俗だったらしい。
そんでアジカンの時のメンバーが今でもほぼ固定の飲みのメンツになってる。俺はこいつらののみのノリが未だに苦手であるが、バンドやってたらめっちゃ楽しいメンツなのでディレンマ。ボーカルが全く歌詞を覚えられないからみんなで歌うっていうスタイルを取り始めたのはここ。

Vaundyは俺がコーラスなのにマイク用意すんの忘れて本番中に先輩にマイクを用意してもらったりしてた。これがウケた。可愛い先輩も笑ってた。

7月
 ヨコと初めて風呂に行って音楽について語って、ああこいつは高校を経て変わってしまったなぁと絶望した。と同時にこいつは親友だなぁと心強くなった。蔑ろにしてるけどね最近。ごめんてマジで。

(注意⚠️ガキ共と言ってるのは照れ隠しです)


そんで自然教室の指導員のバイトに行ったのもこの時期。
死ぬほど暑い気死ぬほどハードだけどやりがいは間違いなくあった。ガキ可愛かったなぁ。

初日は持ってるガキの相手をバスでさせられまくった。
サービスエリアでガキ共の誘導をしてる時、すごい非現実感を覚えた。俺が、先生????って
そうそうガキ共は俺の事先生って呼ぶんだよ。俺は先生じゃないよって言っても先生って。あれを聞くと自然と頑張らなきゃなって気持ちになった。あぁ俺は頼りにされているんだ、やるしかないんだって。まあ途中から舐められてえびちゃん呼びになったけど。
ちなみに恥ずかしながらこの時俺はもうみんなから引っ張りだこの人気者になっていた。あの感覚は忘れたくない。あんなに自己肯定感が満たされる瞬間は無い。
トモヒロっていう脳筋っぽく見えるけどめっちゃ知識人のガキとよしなまの話で盛り上がった。後にも先にも彼しかよしなまを見てる人はいない。

飯食いすぎて動けなくなったガキを看病したなぁ。背中さすってる時もさ大丈夫大丈夫。俺がいるからなぁってカッコつけて言ったりしてたの死にたいな。
彼の体温を背中に感じながら部屋に帰った時、父になるってこんな感じなのかなぁと思って泣きそうになった。

キャンドルファイヤーに遅れて参加し、マイムマイムとかでできるだけ派手に、大きく、楽しくやるのは恥ずかしくないと示すために踊った。華火の経験がここに生きていた。めっちゃ笑われた。けどみんな楽しそうだった。ここでも「えびちゃんここに入ってよ!」って色んなところから言われた。結果的にダウン症の子の近くに行った。そしたらめっちゃ気に入って貰えたらしい。

風呂の指導も楽しかったな。大騒ぎするガキをいさめながら、正確なタイムキーパーとして振る舞う。楽しかったなぁ。

明日のためにガキ共の麦茶を作る。そして彼らの水筒に入れていく。蓋がごっちゃになったりトラブルはあったものの、6人で協力し最強の生産ラインを発見して盛り上がった。ほぼ全員初対面なのにね。

そんで夜の24:00すぎに会議が終わり、そのあと指導員の兄貴たちと風呂へ。キツいっすねぇ〜みたいな話をみんなでした。トミチョーさんがベテランだからマジでこの人は頼りになった。でもまじで自信を持って言えんのは俺が1番人気だったということ。
風呂で見上げた夜空が忘れられない。
風呂から上がって、先生方からの差し入れのカップ麺を食った。
足がもう棒のようになってるほど疲れきって、気疲れもして、そんな中で食う開放的なこのカップ麺は人生でいちばん美味しい食べ物だった。

マミさんという怖い女性のことをバレずに下の名前で呼べるか選手権を明日開催することを誓い会った。寝たのは1時。

2日目。気象は5時。バカかよ。

今日は山登り。
足を滑らせやすい子の手を取りながら言って欲しいという担任の先生からの依頼で最後尾を歩く。女の子たちのしょうもないボケを全部拾った。
「水飲めよー」とか「足元気ぃつけろよマジで」みたいな格好をつけた言葉でうしろからガキ共を励ました。今思い返すと恥ずかしいかも。

そして山を登り切り、その果て

この雲海である。これは分かりにくいかもしれないけど、ここまで至るまでの文脈を含めていちばん綺麗な景色だったな。今年の。
ほんで弁当が余ってるらしいからふたつ食った。

山怖くて泣いてたこの手を取っておりたの美しかったな。もう大丈夫?って聞いても首を振るだけ。いやまじで俺が頑張らなきゃって。急なところでもうひとり怖いって泣き出した子もいた。
両手にガキをつかみながら、1度も降りたことの無い山をおりたのはマジで怖かった。
でも、俺は「先生」なので踏ん張る。
カメラマンさんが死ぬほど有能だった。めっちゃ気が利くし、この山下りの時に問題のあるガキを一身にひきうけてた。山を駆け下り、また駆け上がり、みたいなのを何周も繰り返しても疲れひとつ見せない。

そして下りで担任の先生が迷子に。めっちゃ迷ったけど何とか降りれた。いやー楽しかった。本当に。
先生ってやりがいはすごいな。

山降りてからはカレー。自分で作ったものはめっちゃ美味いな。

この夜、熱中症で痙攣して搬送される子が出るという大パニックが起こる。
その時、俺は風呂の担当。本当は4人で見るこの仕事をひとりでひきうけた。無能だけど格好つけたくて。
そんでパニックになってんのはガキどもも気付いてるので俺は格好つけて、「お前ら、先生たち今大変だからさ、5年生なんだし自分たちでちゃんとできるよな?」って言って真面目に風呂をはいらせた。武勇伝武勇伝武勇デンデンデデンデン。
でも全く知らんガキに強めに叱るのって怖いわ。責任負えなすぎるから。
マジで大パニックだった。それとは別に鼻血出したりする子も現れるし。
校長が受け入れ先の病院を探しまくってたの、めっちゃかっこよかった。

なんとか搬送も終わり、風呂も終わったが予定が大きく狂った。
アストロウォッチみたいなのの時俺たち指導員は明日のための麦茶をガキ共のために作ってた。
1人のマミさんが話始める。「そういえば今日お礼言われたんですよ。『お水入れてくれてありがとう!』って」って言って大爆笑した。みんな疲れ果ててるからこの程度のことで息ができないほど大笑いした。まじで五分ぐらい息できないぐらい笑ってた。これ今年で1番笑った出来事かも。
そして大爆笑しながら生産ラインを動かし続けた。

夜の打ち合わせの時、1人の指導員さんが俺に話しかける。
「弁当ふたつ食ったってまじですか?」
俺「はい」
「あのーあれ私のだったんですよ」
俺「えっ!?ま、マジですかマミさん!?マミさん、本当に本当にすみませんでした。まじですみません。そんなことになってたなんて知らなくて!マジでごめんなさい!マミさん」
今年一のガチ謝罪と土下座。
笑って許して貰えた。腹の底はわからん。

この日も何とか終わり、夜、風呂にて。
壁の向こうから声が聞こえる。「シンさんおっぱいおっきい!」こんなエロイベあるかよ。男性の指導員陣、唐突の無言。話を聞きいる。心臓の音が聞こえる。
えろ漫画みたいな時間だった。いや少年漫画か。今年いちえろ買ったかも。たしかにそのひとまじでおっぱいでかかったからな服着ててもわかった。
これはまずいぞと言うことで風呂から脱出。急いで部屋へ。
「いやーーーーーーあれはやばかったっすね。」みたいな話をした。

そのあと、保健の先生からの差し入れのホットアイマスクをつけて寝た。あれ気持ちよすぎる。今年一かも

3日目。5時起床。カレーの片付けをさせられる。疲れ切って誰も何も言わない。
俺「そういえばマミさん、大学サークルとか何は言ってるんですか?」
マミさん「♯/灬;厂●ゞ/==’¥”」
疲れすぎて何も分からなかった。  

あーそう言えばミニ運動会とかやったわ。
マミさん「あれ!?あの子私と同じユニフォーム着てる!」
俺「マミさんマジで奇跡じゃないですか!!!トモヒロあいつめっちゃおもろいんで絡んでも大丈夫っすよ!」
っていうやり取り。

てか三日目の記憶は疲れすぎてほぼない。昼飯をガキ共と食ったぐらいか。あと帰りの怪盗グルーのなんかのやつを心の中でレビューしてたぐらいか。

正直この仕事、楽しすぎた。マジで。だが給料安いしキツいしで二度とやりたくない。大当たりの回だっただせだとおもう。

ちなみにマミさん選手権は俺の優勝だった。


帰ってきてから数日何も出来ないほど疲れた。

自然教室編書いてたらめっちゃ遅くなってきたわ。よしここからは駆け足。

末の方に地域の盆踊り。
俺が6年生の時に1年生だった彼らがもう中学生になってた。そんで敬語になってた。
ドイツハーフのあの子は相変わらず顔整いだった。
夏祭りでも俺は気を遣いまくったりでご婦人方から気に入られた。というか再評価された。
太鼓でもしっかりとアイドルやら残響散歌をかっこよく叩ききってこの頃が俺の今年の自尊心のピークだったな。

そしてギブソンの家での飲み会。
飲みげーとか、ナンパとか、コンビニのトイレの手洗うところでの方尿とかで絶望した。この頃はもうこいつらとは飲まないと思ったんだけどな。

8月
戸塚ハウスの泊まりがあったけど、俺がバイトとか太鼓の打ち上げとかで忙しくてほぼ滞在できなかった。

中盤、つまりお盆は家族とよくおしゃべりした。家族ってか親戚か。じいちゃんとかとも熱く語り合ったけどなんも覚えてない。

そして免許合宿。
序盤はマジできつかった。家から離れなきゃ行けないし、自分の布団で寝れないし、友達は一人しかいないし、運転はむずいし、マジできつかった。
だが初週の日曜日に遠くの風呂へ言ったのが大きなてんきになった。初めて整いを覚え、壮大な夕日を見て感動し、この生活に希望をいだけた。
てかマジで今もうすごくよってきてるので早くかきあげたい気持ちが。
そんでお酒禁止なのは全然きつくなかった。アル中じゃあなかったんだ俺は。

9月
免許合宿はカットで。覚えてるやつが俺以外にもいるからね。
そんで合宿から帰ってきてそのままバンド練習。ドロス。
スラップも混ざってるので大変だった。
ライブでMCを任されて、オチから先に行ってしくじった。口臭いって言われて傷付いた。

免許を取得し、高校の仲間とそのまま飲みに行く。
やっぱり女子がいると自己肯定感が満たされていいよね。

さらに加速するぞ。

後輩の恋愛相談に乗った。俺をたよっていいのか?
いや嬉しい。俺は慕われているんだ。幸せだ。

大叔父と運転特訓。そして魂のカンバセーション。
やっぱ努力はすべき。そして身内の苦労話は面白い。俺の親父分その2だな。

10がつ
居場所が確立されたのと、青森と崩壊

11月
奴隷とか普通の幸せとか

12月
なんもなく楽しかった。いたインスタを笑った。

17:00
最終日でも店は忙しかった。

25:00
うわっ振り返ってたらすごくスピード上げててもこんな時間だ。
ミンチョス
今年はいい歳だった。
ハイライトは卒公と自然教室と戸塚(orモルックor免許)だな!

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