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小説・うちの犬のきもち(4)・人間のご都合主義を考える

ぼくが思うに、人間というのは、ご都合主義なのだ。欲しいものを分かってくれないし、フキゲンの理由も自分のよいように解釈する。

ぼくが生後二ヶ月のとき、ぼくはまだブリーダーさんのところにいた。パパンとママンはぼくを家族にすることに話がついていて、その日は約束の二時間も前に着いてしまって、あまりに早くては失礼だからと、近くのデニーズでモーニングを食べて時間を潰した。ママンは『室内犬の飼い方』という本を開いて、トイレトレーニングの話を熱心にしていた。

「犬がウンチ食べるのは、悪いことではありません。
トイレを失敗しても叱ってはダメです。あ、別の本には、すぐに叱る、って書いてあったよ。でも、トイレは誰に迷惑かけるのでもないから、上手く行ったときに褒めればいいよね」

パパンはモーニングの目玉焼をトーストにのせて、黄身の部分をほんのちょっと箸でつつき、醤油を垂らした。真剣そのもの。

「ごめん、聞いてなかった。もう一回言って」

ママンは顔を上げずに、本に目を落としたまま、声を大きくして言なおした。
「ウンチを食べるのは悪いことではありません」

ぶっ

パパンは食べているものを吹き出しそうになり、咽せて、あわてた。

「大丈夫?」ママンは眉間にしわを寄せて水のグラスをパパンの前に置いた。
「ちょっと、大きな声で言わないで」
「え?」ママンは周りを見て、あ、という顔をした。「えへへ」と笑ってごまかした。

というのは後からパパンに聞いた。「しーちゃんのことしか考えてないんですから、デニーズでウンチ、ウンチを連発したんですよ」という話をおばあちゃんに何回かした。おばあちゃんは、そのたびに苦笑していた。

ぼくはその日、パパンとママンに会うのは二回めで、朝からブリーダーさんの態度がいつもと違うことも分かって、ソワソワして、落ち着かなくて、パパンとママンに会ってからは、飛び跳ねてはしゃぐような怒るような気分で、すっごく不安だった。パパンに抱っこされ、「ちょっと手が離せないから、運転よろしく」と言われたママンの運転する車に乗った。すると今度は不安で怖くて気持ち悪くてくーんくーんと声を出した。パパンは「大丈夫だよ。怖いね、ごめんね」と繰り返してずっと撫でてくれたけど、それより不安で怖くて気持ち悪い方が強くて、泣いたり、吐いたりした。でも、お家に着いたら、ぼくの部屋があって、おばあちゃんもパパンもママンも優しくて、遊んでくれて、少しずつ、大丈夫なんだと思えるようになった。六年前のこと。

「そうだ、来る途中にデニーズ見かけたから、行こうよ」

病院でぼくは検査のために二時間預けられた。
待合室でパパンはママンに言った。

ぐすん。
ママンは鼻を鳴らした。

「ほらさ、しーちゃんお迎えに行ったときもデニーズ行ったじゃない。その後……。いや、その、験担ぎというか、おまじない、というか。しーちゃんはさ、大丈夫だよって言う意味で」
そのときデニーズに行った後は、しーちゃんが来てくれた、とまで言うのをパパンはためらった。しーちゃんが家に来てくれたことはとても大きな喜びで幸せで愛で、それ以上のことは起こりえないと、パパンもママンも思っていた。

「うん」ママンの声はかすれていた。

「大丈夫だよ、しーちゃんはとても運が強い子だし」

「うん」
 さっきから、うん、しか言わないママンは、それでもパパンの提案に乗ることにして、ソファから立ち上がった。験担ぎということにしてデニーズに行き、運が良い子だと信じること。

ママンはしーちゃんが具合が悪くなったことに、何か理由があれば良い気がした。それを防げなかった自分を責めて、悔いることができれば良い気がした。でも、直接的な理由はないらしかった。近所の動物病院の先生は言った。その先生の紹介で、大きな病院に来て詳しい検査を受けることになった。

ママンはぼくの気持ちをそのときは、正確に分かってくれていると思った。病院で検査を受けるのがイヤで、その後のきっと受ける手術もイヤで、いつものようにパパンとママンとおばあちゃんとずっとお家で一緒にいられないこともイヤだし怖かった。


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