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小説・うちの犬のきもち(11)・冷戦

パタンと静かにドアが閉まった。
ママンはひとりで一階に降りていった。
部屋に残ったパパンはひとりでiPadを見ている。
せっかくの土曜日なのに。

冷戦、というやつだ。
パパンとママンの。

きっかけは・・・遡ると、ママンの帰りがずっと遅いし休日出勤もする、ってところだと思う。

…そもそも、二年前からママンが玄関をリフォームしたい、扉も鍵も変えて、ついでに靴箱をもっと大きく使い勝手の良いものにしたいと言っていて、今年の正月に、今年の目標に玄関リフォームと宣言していた。それで、おばあちゃんが家の手入れのあれこれをいつも頼んでいる地元の工務店に電話をしたら、近いうちに見に行きます、と言われたのに、なかなか来てくれないからもう一度電話して、それから一週間くらいで来てくれたけど、翌週中に持ってきますと言った見積書は、翌週が過ぎ、翌々週が過ぎても持ってきてもらえなかった。ママンが仕事の合間にその工務店に電話すると、すみません、大至急見積書持って行きます、と言った割に、結局来なかった。

工務店もママンも忙しいからと、パパンが他のリフォーム会社を調べて、いくつか絞ってママンに提案してくれているのに、ママンときたら、うーん、とか、でもお、と文庫本を読みなが気のない返事をした。

ママンはおばあちゃんから、おばあちゃんはおばあちゃんのお父さんから、リフォームは地元の工務店がいちばんで、いちばん良い仕事をしてもらえる、でも、大手は高いばかりでマージンを取って下請けに安くやらせていて、下請けは安くて地元でもないなら良い仕事は期待できない、と聞かされていて、思考停止して、他の提案を考えられない。パパンが「話を聞いてもらうだけでも良いし、怪しければ僕が断りますよ」と言っても、なかなか前向きになれずに、気のない返事をし、パパンはいらいらを募らせて、フキゲンでいるところを、ママンがフキゲンやめてよ、と言って・・・。

おばあちゃんは、気配を察して、朝起きたら「信州に行きます。明日帰ります」ってメモが置いてあった。

だからぼくは困っている。

「パパン、ママンのいる一階に行こうよ」って悲しげに訴える。

パパンはiPadを置いて、ぼくを一階に連れて行ってくれるけど、自分はすぐ二階に上がってしまう。ママンの方も、しーちゃん、おいでーってぼくを呼ぶけれど、パパンにはつーんとしている。ぼくはママンに抱っこをしてもらっても、パパンがいないから、抱っこから降りて、階段の下に言って、パパンをきゅーん、と呼ぶ。ずっとそうしていると、今度はママンがぼくを二階に連れていき、パパンのいる部屋のドアをとんとんとん、ってノックして、ほんの少しだけドアを空けて、ぼくを中に入れてくれる。そしたらまた下に行ってしまう。ふたりとも朝ごはんも昼ごはんも夜ごはんも一緒に食べない。

ぼくはパパンのところとママンのところを行ったり来たり。
それをくり返しているうちに日曜日になってしまった。

パパンとママンには、ケンカは翌日に持ち越さない、というルールがあるのに、日曜の朝の時点ではふたりとも気持ちが収まらないようだ。

ぼくはおろおろして、パパンに寄り添い、ママンのところに言ってどうにか解決して、とお願いして、行ったり来たり忙しいし、いつものようにおもちゃの投げっこをしても、ひっぱりっこをしても、パパンといればママンが、ママンといればパパンが気になってしまう。廊下を歩く音とかドアが開く音とかで、立ち止まり、耳を澄ます。パパンもママンも近くに来て欲しいし、仲良くして欲しい。

きゅーーん、という声が掠れてきた。

昼になって、フキゲンな声でママンがパパンに聞く。

「お昼何か食べたいものあるの?」
「パスタ」
「分かった」

それでぼくはちょっと安心する。
昼ごはんはパパンの好きなボロネーゼになって、一緒に食べることになる。

冷戦の終わり。

だから、ぼくはいつものように日当たりの良い窓辺に行って外の様子をうかがう。ツピーツピーという鳥の声を聞き、おばあちゃんの庭の、まだ薄い緑色の葉が伸びていくようすを眺める。

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