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小説・うちの犬のきもち(7)・いつもの休日

二月なのに生暖かい日で、テレビのニュースでは例年にない暖かさの各地の映像が流れていた。流氷は無くなり、桜が見頃になった。

お昼ご飯の後、近所の梅が見頃だからと、パパンの提案で、みんなで車で十分くらいのところの公園に行くことになった。めずらしくママンが運転した。ママンは例の休日出勤が続いていて、疲れているのに週一日の休みにはりきってしまうのだ。そういうのって、ちょっと周りの人を疲れさせるし、たいていはママン自身も夜になって急にお腹が痛くなったりしてぐったりする。ぼくは車酔いした。公園に着いてからも、ヒトがたくさんいて、犬もたくさんいて、気持ち悪いなあと思っていた。歩きながらそこらへんの草を食べ、おばあちゃんとパパンとママンが遠くの梅を見ているとき、胃の中のものを吐いてしまった。

「あれ、しーちゃん!」

パパンの慌てた声で、おばあちゃんとママンも気付いた。パパンが大丈夫かと撫でてくれて、ぼくが吐いたものはママンが片付けた。「だいじょうぶ? しーちゃん?」ママンの眉毛はハの字になって、涙目だった。「ごめんね気付かなくって」。

吐いたあとって、気分がだいぶよくなるよね。

おばあちゃんは、だからというのでもなく、ぼくのことなんてあっという間に気にしなくなって、ひとりでずんずんスタスタ歩く。きれいに咲いた梅の木の下で立ち止まり、青空を背景に、スマホで写真をパシャパシャ撮って、ひととおり撮ったら、また先に進む。
ぼくは、その後ろを、パパンを従えて、せっせと歩く。公園のカフェの外に座っている人に愛想を振りまき、小さい子供にも頭や背中を撫でさせてあげて、みんなに親切にしているようで誇らしい気分だ。

一番後ろを、とぼとぼ歩くママンは、小さな声でぶつぶつ言っている。

「しーちゃん、ごめんね。出かける前から行きたくないって言ってたのに」
「ママン失格」
「気付かないふりしたんだわ、ママン」
「しーちゃんが車に乗るのが苦手なのは、ウチの車がもう古いからかも。イマドキの電気自動車とかなら快適かも」
「吐いたりするときはいつでも近くにいたいのに」

それから、はっとして、ママンの足取りは完全に止まってしまった。
「・・・・・・しーちゃん、本当にお別れのときにひとりで行ってしまいそう」

「おーい。ぶつぶつ何言ってるの?」
パパンが立ち止まって振り向いて、ぼくもママンの方を向いて、引き返した。
「えー泣いているの?」
「だって、しーちゃん、気分が悪かったのに、気付かなかったし、吐くときひとりぼっちだったから、悲しくて」
「犬は吐くものだよ、ねえしーちゃん」ぼくはパパンを見上げて、うん、今はすっきりだよ、と答えた。
「うん」ママンは仕方なく頷くけど、だらだら続ける「でもさ、本当のお別れのときに一緒にいられないんじゃないかなって」

ママンの想像には飛躍がある。よくあることだ。パパンはそういうとき、冷静に指摘するか、悲観的になっているだけだよ、と聞き流すけど、この日はちゃんと答えてあげた。
「しーちゃんは元気でしょ。七歳なんてまだ若いんだよ。ねえ、しーちゃん? 三十までは生きてくれなくちゃ」
「・・・・・・」ぼくはうっすら笑顔だけ向ける。
「一緒にいられる時間を作ってさ、そんなに仕事ばっかりしていちゃだめだよ」
「うん」

話を聞いてもらえたからか、パパンの雰囲気からか、ママンの気持ちはじょじょに軽くなって、みんなとお出かけのときにはいつもそうするように、危なっかしい姿勢でスマホを構えてスチャチャチャチャとぼくの写真を撮りまくる。

そういうのがここ一年くらいの、いつもの休日だ。

ちょっとしたお出かけから家に帰ったら、お昼寝タイムだ。いつもの窓際か、ソファの上か、パパンの机の隣の席でパパンにお尻をくっつけて丸くなるのも良い。ママンもお昼寝タイムになって、ソファに座ってうとうとする。おばあちゃんは庭の手入れをするか、ミシンでせっせと何か作っている。

ぼくのすきな、いつもの休日のひととき。


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