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小説・うちの犬のきもち(1)

犬のぼくは、人間のおばあちゃんと、パパンとママンと暮らしている。

だから、ママンがいうには、ウチは4人家族だ。

家の中でいちばんエラいのはおばあちゃんで、その次がパパンで、その次がぼくで、最後がママンだ。

ママンという人は、ぼくの気持ちを一番分かってくれるけど、ときどき頼りない。

・・・・・・

ときどきじゃない。ときどきよりもっと、多く、つまり、しばしば、ぼくのことを無視する。

ぼくは、優しい女の人と、優しい小さな男の子と、優しい小さな犬が好きだけれど、その他はみんな苦手だ。

それなのに、今日も散歩中にママンはジャックラッセルテリアのアオ君に「おはよう、今日もかわいいね」などと調子の良い挨拶をした。そういうとき、ママンはもうぼくのことなんか見ていなくて、アオ君もアオ君で調子に乗って、ママンの膝に前肢をかけて、笑顔を振りまいて興奮している。「ねえねえ僕かわいいでしょ、かわいいですよね」って。

「あははは、アオ君、元気だねぇ」ママンもちょっと屈んで、アオ君の前肢を触ったり、アゴを撫でてあげたりする。そういうとき、ぼくはママンの後ろに行って、できるだけアオ君とは距離を取る。ママンはぐっとリードを短くもって、「しーちゃんは挨拶いいの?」とちょっと困ったように聞く。いいに決まってる。最初のうちは「ごめんね、この子はちょっと怖がりでぇ」とまるでぼくの人格に問題があるかのように言ったこともある。 ぼくは目を合わせない。

ーーじゃあ、どうもー。
ーーはい、ありがとーございましたー。アオ君またねぇ。

とかいう挨拶を交わして、ママンはやっと歩きだす。でも、ママンの顔にはニヤニヤがまだ貼り付いている。それで、「アオ君、元気だねえ」とぼくに言うけど、ぼくは無視する。

こういうときだ、ママンが頼りないのは。

ママンは本当はぼくが嫌な気分になっていることも、ぼくがぜんぜんアオ君とは挨拶したくないっていうのも分かっている。ただ、人間どうし挨拶をするときに、愛想良く振る舞うべきだと、ママンは何の考えもなく、条件反射的に動く。そうしてぼくをないがしろにする。本能的にそう振る舞うってことは、たぶん、何かとママンにとっては都合が良いのだ。ときどき、どうぶつ病院はどちらに行ってるんですか、とか、ドッグラン良いとこありますか、トリミングはどちらですか、どんなフードを食べているんですか、などと聞かれたり、聞いたりしている。フード以外は、どの情報もぼくにはまったく興味はないけれど、ママンにとってはインターネットではなかなか得られない大事な情報なのだ。ママンの言い訳はそんなところだろう。

それでも、やっぱりぼくの気持ちをないがしろにするのは、ママンとしてどうなのだ? 

それをママンは気付いていて、ちょっと悲しくなったりしている。

ときどきぎゅっと抱きしめられて、しーちゃん、と言って何かを伝えてこようとする。そういうときはぼくはママンの感傷を無視する。そして、ママンの前をずんずん歩いて、勢いよくしっこもウンチもして、ママンにほめさせ(こういうとき、大袈裟くらいにママンはほめてくれる)、気になる匂いを気の済むまで嗅いで、もう行こうよ、とママンがリードを引っ張っても、断る。

そうするとママンは、ちょっと不機嫌そうになるけど、たいていじっと待っていてくれる。

本当はぜんぜんダメだけど、おあいこ程度ということにして、ママンを許そうと思う。

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