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小説・うちの犬のきもち(13)・努力

旅行好きのおばあちゃんが、隣の駅の始発電車に乗りたいからと、早朝、パパンとママンと車で隣の駅まで送ることになった。駅でおばあちゃんを見送った後、パパンとママンとぼくは大きな公園まで車で行ってみることにした。

大きな公園は、早朝だからか、ほとんど人がいない。
今日は晴れる予報だけれど、空気はまだ湿っている。暖かくなりそうな予感がする。
桜は半分くらい葉が出ていて、地面には桜の花びらがじゅうたんみたいに積もっている。

ぼくはなんだか楽しくなってずんずん歩いた。
人が少ないからってママンも、ほー、ほけきょ、けきょ、ってヘタな鳴き真似をして歩く。
けっきょ、けっきょ、けっきょ、きょきゃきょく・・・

「東京特許許可局?」パパンはなめらかに言う。
「すごいねー」ママンはひとごとみたいに感心する。「ねね、三回言ってみて」
「東京特許許可局、東京特許許可局、東京特許許可局」
「すごい! アナウンサーみたい」
ぼくもパパンを見上げる。
パパンはまんざらでもなさそうだけど、別に喜んではいない。
「こんなの誰でも出来るよ」
「そうかなー」
「ママンだって練習すれば出来る」
「練習ね。練習すると美容に良いとかだったら頑張れそう」
「実際、良いと思うよ。顔の筋肉使う」
ママンの目はぱあっと輝く。
「トウキョウトッキョ・キョ・カ・キョク、トウキョウ・トッキョ・キョカ・キョク」

ママンはよくそういう努力をする。ほどなく、うやむやになってやめる。

人間というのは、しばしば努力をして、努力を美徳として、しばしば他人にも努力を要求する。ぼくは出来る努力とで出来ない努力があると思う。

出来る努力とは、おやつを食べるために、背伸びをしてテーブルに手をかけたり、椅子の上にジャンプしてテーブルに手を伸ばすとか、ぼくのマドンナ・近所のコッちゃんに早く会いたいから急いで歩くとか。

出来ない努力とは、山田さんちのいつも怒っているチワワさんと仲良くすること。
ときどきママンが教えようとする、ハードルとかジグザグ走りとか。
そういうのは、楽しめる犬もいるけれど、ぼくは得意ではない。だからやらないし、だからと言って、だれも困らないと思う。

でも、人間の場合は、そうもいかない。人間の人生はもっと長くて、もっと時間があって、複雑。複雑な構造を維持して、快適に暮らしていくためには、得意でないものをせっせと頑張らなくちゃ生きていけないのかもしれないし、そのせいで、ちょっと不幸を抱えているんじゃないかな、なんて思ったりする。

もしぼくが人間で、会社員だったらきっとあんまり頑張らないだろうな……なんて想像するのは楽しいのかもしれないけど、それは会社員に生まれ変わったら考えよう。


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