下北沢のハンバーガー屋/吉祥寺の古着屋

最近2つの街に行った。
ひとつは下北沢に舞台を観に、もうひとつは吉祥寺に映画を観に。劇場と好きな映画館があるので月に1回くらいは行く街だが結構好きなのでこの2つの街に行く時は散歩をするために少し余裕を持って家を出る。

初めて行く街を散歩するのも好きだけどある程度行き馴染みのある街を散歩するのも同じくらい好きだ。その街の中に自分が知っている道が増えていってだんだんその道が頭の中で繋がっていき思い出と交差する感覚が心を躍らせる。

下北沢のハンバーガー屋

その日も13時からの舞台を観るために下北沢に向かっていた。12時ごろに駅に着きそのまま舞台の整理券をもらいに行くと人など並んでなくて3番の整理券をもらい「上映30分前に再度ここにお集まりください」と言われた。最前で観れることがほぼ確定したのは良いもののめちゃくちゃにお腹が空いている。お腹を満たしてなお会場に整理券を持って戻らなければならない。急いでご飯を食べなければいけない事実に機嫌を損ねていたら30分弱で戻らなければいけない時間になっていた。どの店に入ろうか迷っているとなんだかいつもより人が多くてどこの通りも賑わっている。悩んでいる時間が無駄だと感じ、近くにあるハンバーガー屋さんに入店した。

が、この決断が間違いだった。まずちょっとちゃんとしたハンバーガー屋さんの待ち時間を舐めていた。「5分〜10分で出てくるだろう」なんて考えている自分を平気で15分待たせてくる。店員は5分くらい経った時にセットドリンクを出すことで、さも待ち時間がリセットされたみたいな顔をしてくる。帰る時に見た看板はいかにも下北沢という付加価値に誇りを持ってそうだったので最初に気づけなかった自分を責める。仕方なく本を読んで待っているとどうも隣の声が気になって仕方ない。学生が今のTwitter本社の課題について熱く語っている。更には今の日本の会社のシステムは前時代的だだのもっと社会全体がフレキシブルにならなきゃこの先どうとか言っていた。最終的にはTwitter社はリストラしすぎて清掃員が足りてないからまずはトイレを綺麗にすることから始めると良いらしい。なんとも昭和の根性論っぽい結論にまとまっていた。

15分後に出てきたハンバーガーは信じられないほど美味しかった。これは一瞬で食べ終わるわと思っていたがなかなか口が進まない。19年生きてきて初めて発覚したのだがどうやらハンバーガーを食べるのが苦手な人間らしい。小学校の時竹馬も一輪車もからっきしだったので覚悟はしていたつもりだったが、いざ現実として突きつけられると少しショックだった。どう気をつけてもかぶりつくとトマトがジェンガみたいにすり抜けて落ちていく。レタスとパティも寝相が悪い人の朝の掛け布団ぐらい所定とはかけ離れた場所に移動していて今にもこぼれ落ちそうだった。美味しさに勝る提供時間と食べずらさ更に鼻につく隣の会話に少し下がり気味の気分で店を出るとさっき見た時からさらに人通りが増えていた。行列と人だかりの周辺を見てみると一つの看板が目に入る。

「下北沢イカまつり2023」

最高!イカ祭りで賑わう街ほどいいものはない。イカ祭りのために並んでる子供を見た時この町の未来は安泰だと確信した。その後お目当ての舞台を見てすっかり上機嫌になった自分はその足で古本屋に向かった。普段なら大体1冊だけ買って店をあとにするが、その日は気分が良かったのか3冊の本を買っていた。こうやってジャケ買いした本が結局読まずに家に溜まっている。家だとあまり読書の気分にならないため今度本を持って散歩にでも出かけよう思う。その時はくれぐれも店選びには気をつけたい。

吉祥寺の古着屋

その日は映画を観に午後から吉祥寺に向かった。3本の観たい映画がたまたまアップリンクで連続でかかっていたので前日にチケットを取って家を出た。吉祥寺に行くと、決まった散歩コースがある。井の頭公園だ。都内のデカい公園が好きなのもあって何かしら時間ができると足を運ぶ。公園に行ってもする事といえばラジオを聴くだったり音楽を聴くだったり本を読むだったりと対して日常と変わらないのだが、公園にいるだけでその時間が少し非日常に傾く感じがなんとも好きで心地いい。ただ自由度と即興性が命の散歩で冒険せずに、いつ冒険するんだと意気込みいくつか公園近くの古着屋を回ってみることにした。

現金のみの店でいかにも買いそうな雰囲気だけ出しながら服を見て回るが、手持ちの現金は2000円しかない。あまり買いたい服は見つからなかったが久しぶりの古着屋だったこともあり見て回るのは楽しかった。4軒目の古着屋に入った時あることに気づいた。イヤホンをしているのもあるが、今日一回も店員に話しかけられてない。世の中で何回も言われている服屋の店員馴れ馴れしく話しかけてくる問題。今更こんなことについて長々書くつもりはないが、店員側はもう少し世の中の声を聴いた方がいいと思う。あんなにネットの情報を鵜呑みにしそうな見た目しているのに。

かれこれ小1時間見て回ったのでこの店で最後にしようと最後の店に入った。パッと見た感じ好みの服が多そうで気分も上がる。入ったと同時にアルコール消毒お願いしますとの声があったのでその店員に軽く会釈をしてから消毒して店に入った。
この瞬間しまった!と思った。両耳にイヤホンをしているものの万が一のことを考え音量は最小。そのためイヤホンの存在を忘れて、聞こえている人の行動をとってしまった。これは店員側にイヤホンはしているけど全然声をかけてもらってもいいですよと言っているようなもの。頼むから今の一瞬の行動に気づかないでいてくれと願ったが願い叶わず。案の定「試着もできるのでお声かけください〜」と声をかけられた。1度粘ってみようと聞こえてないふりをしてみる。が、店員は聞こえてるの知ってるんですよと言わんばかりに「どんな服お探しですか?」と完全に自分の方向に近づきながら聞いてきた。これを無視する勇気はなく、「あ、特にこれといった目当てはないんですけど」となんとも情けない声で応答した。こんな時に「70年代のビンテージの革ジャン探してたんですけどなさそうなんで他探してきます」なんて起点を効かせたアドリブの一つや二つ言えれば生きるのがどんなに楽だろうか。話しかけられた途端に5000円程度の出費を覚悟している自分がいることが情けない。そもそも話しかけられたら、お薦めされたら買わなきゃという自分のような人間がいるからこのような手口が後を絶たない。オレオレ詐欺だってそう。引っかかってしまうお年寄りがいるからなかなか無くならない。服屋の店員はこのような世の中に向けたアンチテーゼとしてこのような行動に出ているのかもしれない。そう考えると少しこの店員に寄り添いたくなる、なんてはずもなくどうすればこの店員を剥がせるのかだけを考える。この時相手ディフェンスが体を寄せてきながらも華麗に抜き去る三苫薫の凄さを身をもって感じた。
とにかく時間が解決してくれるかもと迷っているふりをしているとその店の常連らしき人がやってきて店員に声をかけた「この前進めてもらったジャケットってまだありますか?」店員は持ってきますねと店の奥の方に商品を取りに向かった。
今だと思った自分は店員が向こうを向いた瞬間に足速に店をあとにした。おそらく情けないくらい小さな背中だっただろう。その背中は小さくなったまま井の頭公園の森の中へと消えていった。


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