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卒業まで2年ない!G11で海外インター校に入学した娘のこと

こんにちは!アンバサダーのKeikoです。
今回は、G11、高校2年でシンガポールのインター校に入学し、帰国大学受験をした娘のことを振り返りたいと思います。
長くなりますが、お付き合いください。

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主人がシンガポールに行くことが決まったのは、ある年の4月。息子は小3になったばかり、当時ドイツに交換留学中だった娘は高2になったばかり。思いがけない話に戸惑ったのが昨日のことのようです。
母子が帯同するかしないかは保留とし、娘の帰国後、まずはシンガポールを見に行ってみよう!それからどうするか決めようか。ということで主人の赴任に合わせ行ってみました。インターはもう新学年が始まるというタイミングの8月のお盆休み明けに。

行くことを念頭にやっておいたこと

娘については、「G11にグレードを落とさず入学し、とにかく2年で卒業させてもらって日本に戻そう」と考えていました。今思い返せばむちゃくちゃですが(笑)これは当時の我が家的には譲れなかったこと。ただでさえ1年遅れるのが、グレードを落とせば、2年、3年と友人たちより遅れていく…長い人生で考えれば誤差でしかないのですが、特別勉強が好きなわけでもないし、野心もない娘。2年で卒業させ、友人たちの待つ日本(ホーム!)へ戻してやりたいと思っていました。「ちょっとシンガポール行ってくるね!」って本人は思っていたのではないでしょうか。

シンガポールに行くかもしれないことを考えて、やっておいたことがいくつかあります。

  • もし適応ができずに日本に戻った場合、在籍校は受け入れてくれるか。 これはOK。一旦退学という形はとったけれど、なにかあったらいつでも帰ってきてよい(詳細は応相談)と言ってくれたのは、とてもありがたく安心でした。さらには「いい経験になるから行くといい」と、先生方が背中を押してくれたのには、母親としては涙、涙。

  • 行く前に、帰国受験を視野に入れている大学に資格要件を確認。    これは結構手間がかかりましたが、やっておいて良かったことのひとつ。もちろん先のことなので確約はしてもらえませんが、受け答えから、大学のスタンスが良く分かりました。卒業まで2年を切る予定のため、受験資格がない、と言われる大学もありました。反対に、学年として2年を修了していればOK、さらにはその前のドイツの交換留学をカウントしてくれる大学もあったので、行く大学にこだわらなければ、帰国大学受験はなんとかなるだろうという気持ちになりました。

行くのを決めたのは娘自身

高校生となると、自分の意思がないとうまくいきません。そして、実際に現地を見せずには決めさせられませんでした。そんなわけで夏休みにシンガポールに連れて行ったら、本人は生活するイメージが湧いたようで、とりあえず行くことは決定。同時に下の子と私も帯同が決定。 (笑)娘については12年間過ごした学校をやめさせてしまっていいのか、これで娘がうまくいかなかったら…親の責任だ…という気持ちになりました。
だけど本人は気にする気配も不安も全くなし。とにかく本人のGOサインが大きかったです。娘曰く「どこにいても母校だし、友達はいつまでも繋がっているから問題なし!」と。この子なら大丈夫と思ったものです。そして、交換留学でマインドセットができていたのはとても大きかった!自分ひとり、完全アウェイの環境で修行をして、耐性もついていたようです。さらには大らかで、いろいろ気にならない性格も良かったと思っています。

さあ!学校選び!

行くことを決めたなら、学校を決めないといけません。これも我が家にとっては時間がなく、一発勝負でした。なんせもうこの段階で卒業まで1年10か月しかないのですから。

日本人にとってのシンガポールの高校は、早稲田渋谷シンガポール高校の他はインター校。それもほとんどの学校がIB校。当時IBに特別な思い入れはありませんでしたが、IB校の中から学校を選ぶことになりました。
が!いくつかの学校にアポイントを取って面談をするも、「学校が選べない!」そう、G11からグレードを落とさずに入学し、2年で卒業させてくれる学校なんてほほとんどないのです!
「G9くらいからはIBDPのための地ならしをしておかないと。そもそもいきなり入学して2年でDPを取るのは難しい。DPのスコアも出ない。仮にIBDPなしだとしても2年での卒業は保証できない」と、面談はしてくれても試験さえ受けさせてもらえない学校が多数。厳しい現実…だけど納得。
学年を1つか2つ落とすなら受け入れOK、といくつもの学校で言われました。
どの学校も安易に高い学年の生徒を受け入れないのは、今思い返せばむしろ誠実なのかも。(学校側の都合もあるでしょうけれど)
あとここで、IBにはかなりの気力や計画性、持続力が必要になるんだなと感じました。実際知人のお子さん方も相当苦労していたので、簡単な気持ちでIBを始めたら痛い目に合うのは間違いないのだと。

受け入れてくれる学校、ほんの数校から目星をつけて試験を受け、当日に合格を貰いました。もう、まさに「ねじ込んだ」という表現がぴったり。受け入れてくれた学校には感謝しかありません。
急いで日本に帰り退学手続をし、各種書類を揃えつつ、とにかく本人は一日も早く学校に合流させないと。こうやって娘のシンガポールでの学校生活がスタートしました!

G11からのインター校生活はどうだった?

いきなりIBの授業に合流、課題が次々降ってくる

娘の学校は規模が小さい学校でしたが、我が家にとってはそれが非常に良かったです。クラスサイズが小さいため、少人数で手厚い。先生が親身、クラスメイトが仲良く優しくて、なにかと助けてくれていた。日本人が少ないのも良かったことのひとつ。
娘はその学校の卒業資格を目指すことになりました。ただ小さい学校でIBの授業しかなかったため、IBDPは取らずとも、授業はIBを学ぶことに。IBの授業内容は、とても興味深く面白そうでしたから、学べてよかったと思っています。(DP取得を目指したら苦労していたと思います)
この学校ではIBDPじゃなくてIB Certificate (科目ごとの資格。フルディプロマじゃないとあまり意味はない)だけでも取れば?と聞かれましたが、我が家は見送り。とにかく2年で卒業するのを優先し、学校の成績だけ取って、あとは英語のスコアとドイツ語を追いかけることにしました。高い学年で来ているので、それはもうやむを得ないのです。二兎を追うものは一兎も得ずになりかねないのですから。周りの同じような状況の日本人のお子さんたちも、IBDP取得は見送り、英語力の向上を図る方が多かった印象です。

「そして実際の授業は?」

というと、やっぱり大変だったのだと思います。ただ、本人からそんな素振りはあまり感じませんでした。自分を追い詰めるタイプでも全くないですし。とにかく先生が気に掛けてよくサポートしてくれたのがありがたかったです。

日本で、理系科目を留学の出発にあわせて高1の夏でさっさと捨てていたのに、必修科目としてMath (SL) とChemistry (SL) が復活…日本と違って卒業まで必要な重要科目と言われました…当然、とても苦労していました。
Japanese (HL) は文献や課題が面白く、私も一緒になって学びました。その先生とはCASの授業の一環のボランティア他、大学への出願の際にも本当にお世話になりました。

当時、悩んだことが2つ。G11からの入学、それまで学習言語が日本語、となると理数のフォローや英語の勉強など、チューターをつけるにも、外国人に頼るべきか日本人に頼るべきか迷いました。これは色々試してみましたが、どちらが良かったのかは今も分かりません。
英語力については、そもそも2年弱でモノになることは期待していませんでした。(娘の場合は特に)高い学年で来るなら、英語力を上げつつ、英語で学ぶ必要があるわけですが、当然難しい。ただそれができるかできないかは「その子による」のだと思います。
英語については、なかなかTOEFLのスコアの高得点が出ない。良くても、4技能のバランスが取れない。スコアは上がらないけど、本人も気にしない性格だから勉強しない。(汗)娘については、IELTSに変えたら結構良いスコアがあっさり取れたので、資格試験も相性はあるのだと思います。Writingのスコアが物足りませんでしたが、卒業前の3月のスコアで、もう英語学習は終わりとしました。

振り返って思うこと

私のまわりには似た境遇の日本人、高い学年でお子さんを連れてきた方がそれなりにいて、情報交換をしていました。娘はG11、高2から来ましたが、高1から来るのと高2から来るのは全然違う。やっぱり3年はいないと、形にならないのかなと思います。
そして、まず馴染むのが大変そうなお子さんも多数…親は良かれと思って連れてきたけど、なかなか気持ちがついて行けず、生活に適応できないという話は良く聞きました。その子にとって、後々振り返った時にいい経験だったと思えることを願うのみ、です。だから高い学年で連れてくるのは、まずは子供の気持ちが無いと、難しいのかもしれませんね。

娘の場合は、結局は連れてきてよかったのだと思います。家族で過ごした時間は本当にかけがえのない貴重な時間でした。「高2で連れてくるってどう?」と人に聞かれたら、「その子による。ただ、振り返った時にはとても良い経験になると思う!」と答えると思います。
やれキャリアだやれ海外就職だ、じゃないけれど、その子そのご家庭にとって良い選択だったのなら、それでいいですよね。

そして…
「先は見えなくとも、その時その時で最善な道を選んできた」ことに、帰国子女を持つご家庭はもっと自信を持っていいのかもしれないな、と思っています。