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帰国子女入試、今昔物語 〜親子2代で帰国受験を経験して思うこと〜

こんにちは、EDUBALアンバサダーのErinaです。アメリカとドイツに滞在歴のある私と娘。かつての帰国受験経験者の私が娘の帰国高校受験を経験してみて思ったこと、それは想像していたほど甘くはなかった!ということ。昔の感覚のまま娘の受験に臨んだ私の驚きと戸惑いを思いのまま綴ります。よろしければお付き合いください。

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帰国受験の今昔

娘が帰国高校受験を経験したのは2023年、私が経験したのは1990年。(年齢がバレますね。)その差は30年ちょっと。その30年の間に世界も時代も、そして帰国受験にも変化を感じます。すべて個人的な体験に基づいたお話ですのでご了承下さい。

私が海外在住となった時代は、帰国子女がたくさん海外に渡っていた時代。同じように帰国受験する子も結構いました。私は高1の6月にドイツから帰国し、すぐに入試を受け9月編入を考えていたので海外在住中から志望校選びと受験勉強スタート。受験対策は中学まで在籍していた日本人学校の先生にお願いし、志望校選びは父が集めてきた学校情報と資料に頼るのみ。事前に学校見学なんてできませんでしたので、入試当日に初めて学校に足を踏み入れるところがほとんどでした。

まめな父が作ってくれた学校資料や当時の受験票

いまはどの学校もわかりやすく学校の魅力を伝えるホームページや、SNSで学校の「今」を情報発信している時代。日本から遠く離れた海外にいても、基本的な情報なら手に入ります。学校HPやオンライン説明会で学校の現状を知ることのできた娘を思うと、とても恵まれていてうらやましく思いました。それに比べて当時の私が一番頼ったのは「この学校おもしろそう!」という自分の勘。笑

長女は中3の夏休みに帰国し、塾の夏期講習から入試対策をスタートさせ、秋には学校見学で検討校のすべてに足を運ぶスケジュールでした。10校は見ましたので最後は親子でヨレヨレでしたが、準備する時間あり・生きた情報あり・塾という頼もしいサポーターありという状況はこの上なく条件が整っているように思えました。だからこそ余計に「どうにかなる」と思ったのかもしれません。この認識が甘かった!

受験勉強が進んでいくうちに気付いたのは、それは確実に帰国子女に求められているものが昔とは変わってきているということ。私の時代は帰国子女はまだレアな人種。「すごーい、アメリカにいたの?」と言われ、ノート片手に「私の名前を筆記体で書いて!」とか、ちょっとした人気者。それは輝かしい過去の栄光。笑

でも、いまは状況が違います。娘が日本に戻ってきて入った公立中学や隣の小学校でも帰国子女は珍しくなく、温かく迎え入れてもらえましたが特に騒がれることもなく。そして今は私費留学で海外経験を手に入れる子や、英語教育により身につけた語学スキルのある子がいる時代!そんな状況で帰国子女に期待されること…それは紛れもなく「海外経験+高い学力」「自己表現力」!これは強く強く感じました。

いまどきの入試

私の時代から、帰国子女入試は国数英の3科入試が主流でした。(※救済校は除きます。)そこはいまも変わらず。当時は帰国してから通塾する子は多くても、海外在住中から通塾していた子は少なかった印象。私も通塾なしで、自己流の対策のみ。当時試験会場で話した子の中には、日本語で話すのが苦手な子もちらほら。そう考えると学力も相当個人差があったのだと思います。そのためなのか入試で求められるレベルも今ほど高くなかった記憶。

今は海外にある日系進学塾も増えたり、オンライン指導や通信教育も充実。受験対策もしやすくなりました。そういう状況も加味してか、今の入試問題は英語だけ見てもアメリカ在住歴の長い私でさえ難しく感じます。国数は公立入試レベルの基礎問題が解けてれば大丈夫!と塾の先生に言われても、そもそもハンデのある子にはその公立レベルが難しい…。そんなわけで娘はなかなか苦戦を強いられます。

さきほど今の帰国子女には自己表現力が求められると書きましたが、私の時代も面接で海外での経験をアピールトークするなど、当時も自己表現力は問われていました。でも今は出願の際に提出する志望動機書や作文には、私の時代のようにただ自分の海外経験を書けばいいのではなく、その経験をいかに自分の中に落とし込んでそれを高校生活でどう生かしていくか、引いては将来的に日本社会にどのように貢献できる人間になりたいか…という壮大なビジョンを持って書く必要があるということ。もうこれは就職活動じゃないか!塾の先生にそう指導を受けたときは衝撃を受けました。これはジェネレーションギャップとも呼ぶべきなのか。

そしてこの志望動機書を元に面接で話が進むので、自分自身のことや海外経験から思うことを言語化する必要がありました。言語化と一言で書いてしまうと簡単に聞こえますが、結構手間と時間のかかる作業。自分から見た自分、他人から見た自分、それを照らし合わせて自分という人間を表すのにピッタリな表現を考える。そして、さらに自分の進路や志望校の教育方針とも結びつけて自分の将来像を描く。(んー、こんな難しいことを15歳に求めるだなんて。)娘とも話し合ったり、塾の先生にアドバイスをいただいたりしながら娘は何度も書き直していました。当時の私は試験当日に会場で入試を受けたぐらい。ここまでやった記憶はありません。

新旧イヤーブック対決:左側が私、中身がオールカラーの右が長女のもの…

帰国生であるということ

こんなふうに書いてしまうと、昔ほど珍しくない帰国子女はもうディスアドバンテージしかない上に、求められるものの大きさに後ずさりしてしまいそうですが、決して悪いことばかりではないのですよ!まず帰国子女は今も昔もやはり貴重な経験を持っていることに変わりはありません。そして日本の学校にはない教育プログラムを海外で受けていたり、異文化や現地のリアルを肌で知っているということには大きな意味があります。

そして留学とは違い、やむを得ない理由により大きな環境の変化や逆境を経験している彼らはそれを乗り越えただけの芯の強さがあります。そういう経験をしてきた分、同じような苦しい状況を共感できる心も持っています。先の読めない時代でも、海外での経験が彼れらを守る武器となってくれると信じ、そして何より人生に豊かな彩りを添えてくれた海外での時間は、長い目で見ても生きる励みになってくれると思っています。
がんばる帰国生にエールを!